業界独り言 VOL283 組み込みソフト大国の底流

台風が吹き荒れる状況の中でも、追い風として利用すればいけるのでは・・・といった危険な状況を自転車で運転していかざるを得ないような実情が最近の状況である。不安定な自転車からナビつきの自動車で戦略を立てたりといった状況にシフトしつつサポートをしていかなければならないということが私達に求められていることでもある。とはいえ安直な有効策は見当たらないのも事実であり、ある意味で付き合いにくい技術集団という見方もあるのは事実かも知れない、それは手取り足取りリードしていくということではなくて、資料やソースを提示するのでついてきて欲しいというのがスタンスともいえる。そうした対応を冷たいと取られるのかもしれないのだが、プロとしての対応を互いに求めているというのがビジネスモデルである。

匠の技を追求しているお客様もいる、バイトパッキングを追及しつつ仕事を仕上げていくという方針が垣間見えるのは彼らのリンク作業などから窺える。昨今の大規模なソフトウェア開発の現場ではコード圧縮の効果の高いARMのSUMコードなどを適用してみても4MBの空間距離制限に入るのは至難の技なのだが、サブシステム単位でのカスタマイズ配置をリンカに指示するなどの古の技を伝承しつつ仕上げていくというのである。技術の進展は、こうした古の技を必要とすることもなく自動的に最適なコードを追加挿入して余分な開発リソースを掛けずともビルドを完了させることが出来るようにはなっている。匠の技で対応してきた歴史に対して新しい技術によるリンカ機能などは実績の無い新技術ということで先送りにされるのは組み込み大国の一般的な風景でもあるようだ。

開発現場の中で、疑問を感じずに繰り返しの仕事にまい進している人も多いようだ。同じことの繰り返しを厭い自動化やツールによる合理化を考え工夫して対応していくというUNIX的な文化は影を潜めてしるようだ。就職事情の厳しさを反映してなのか、育成されてきた教育によるものなのか若者達の中にこうしたことに疑問を持たずに一生懸命に無駄と思われるような仕事をしている姿も目立つようだ。コスト意識もジョブセキュリティも考えない誉められ教育の「おててつないでゴールイン」的な中で暮らしてきた意識には競争も工夫などへの強い意識が感じられないというのである。空洞化して流出した仕事をつなぎとめる覇気もないということなのだろうか。仕事は流出したものの、流出する技術はあるのだろうかという事を考え出すとお寒いのである。平和というぬるま湯な意識の中では、生きようという意識自体が空洞化してしまっているのかも知れない。

組み込みソフトを開発していくためのMeisterと呼べるような人材こそが、各メーカーのキーマンとして厚く処遇されるべきと考えているのだが、管理者の意識も含めてそうしたことの重要性を正しく認識できている会社は少ないようだ。製品を開発していく過程で必要なコスト削減のための機能選択など厳しい要件があるのは事実で、ビルドするためにデバッグ情報を生成しないことなどを実践してコンパイル時間を短縮したり、デバッグメッセージを割愛するようなFEATUREとしてビルド作成したりしている。当然、緊急事態としての追い込みに入ればデバッグ情報をつけてのフルビルドを必要とする。5000本あまりのファイルを食べて肥大化したデバッグシンボルを生成するには昨今の記録メディアであるDVD-RAM程度の容量が1ビルドツリー毎に必要になる。さまざまなお客様に対応したテストビルドなどを実施していくのにはディスクスペースとしてIEEE1394やUSB2.0で接続されたオプションHDDが必須となってしまう。内蔵のHDDだけでは、行う都度に消してしまう必要があったりするのでキャッシュといえるのかも知れない。

プロトコルセットをキャリア毎に細かく既製服として取り揃えていくという流れが必要になりつつある中で、そうしたことに気を病まなくなるお客様が出てくることには、組み込み大国の有り様について大きな問いかけが始まっているようだ。封緘したプロトコルセットに問題が出てしまった時に手を下そうとすることに意義を見出すお客様が居なくなってしまうのだろうか。製品責任を全うしていく上では必須の事項ではあるはずだが、そうしたアクティビティすらもアウトソーシングしてしまうという時代に入っていくのだろうか。確かにそうしたプロトコルセットのサポートを生業とするスキルフルなソフトハウスも登場してはいるようだ。心地よいほどキビキビと仕事を管理してシステム開発を推進していくタイプの会社として活躍する国産のメーカーだったところもある。国内事業者との間で培われたそうした管理技術を駆使してアジアの技術レベルを高めるべく大陸に打って出ているようにも映る。

抑えるべき点を自社内部のスキルセットとして留保蓄積してきた成果が、管理を全面に押し出したスタイルとしてもタイムリーな仕事を支えているようだ。分業体制が会社を超えて相互活用する時代に入りつつあるということなのかも知れない。自立する子会社たちという姿に照らしてメーカー枠を超えた技術協業が携帯電話の一機種の開発の中でも見え隠れしている。中途半端な内部あるいは自社技術であるならば評価に値しないと切り捨てる時代に入っているというのだろうか。今までの重厚長大な会社などでの社風を変えていくのは子会社からしか起こりえないようにも見える。何かの決断をするといった段階で自社の慣性モーメントの大きさに始めて気づかれるトップの方も居られるようだ。脱皮を目指しているトップの方達の思いと、現場で開発に携わる方々の間には大きなギャップが見えるのはクッションとなっている中間層の方達の優しさが問題なのだろうか。

社風をアウトソーシングの上に成立させるというトップ方針で国内外の端末開発をバリバリと進められているメーカーもある。五年前の印象と今の姿では大分異なってはいるようである意味で成熟からくるきな臭い匂いもあるようだ。大企業病の要因となる部分をアウトソーシングと管理とで解決できるということの難しさには、やはり会社としての血流が必要なのだと思う。これではいけないと思う中間層や若手技術者たちの意識を削がずに高揚しつつ仕事の中で昇華させていくということには、大変なトップの方の努力も必要なのだろう。現場の開発技術者たちを開発迷宮の中で追い込み退路をふさぎ責任追及をしていくということで出てくるものは、本当の問題点なのだろうか。五年前の雰囲気にあったベンチャーの気概のようなものは失せてしまったようだが、ベンチャーの意識あるソフトハウスを互いに競争させて使いこなそうということ相殺しようとしているようだ。ただし、技術の横展開や共通化といった観点での大規模化の利点が生かされないということに気が付いてはいないようだ。あまりにも社員が少ないという事が、悪弊となっていることに違いはない。元気のあるこの業界随一という会社のこれからの脱皮変貌にも期待したい。

メーカーとしての製品開発という枠で、有用な商品企画といった役職にいく人たちの流れが、そうしたスタイルの中では育つことがないように見える。昔のスタイルでいえば、開発経験の感性を活かした商品企画への転籍などだったと思うのだが、最近では最初から専門職として企画の仕事を勤めて、開発に従事してまた経験値を積むとそうした人たちは流出していくようなスタイルに見える。ある意味で会社中がアウトソーシングを目指しているようにも見えるのだが、経営トップの方が考えている姿とは違ってきているように見えるのは気のせいだろうか。トレイニーとしてのコンピュータメーカーの丁稚奉公、国内電機メーカーとしての二十年の経験、そんな枠からはみ出して飛び出した五年間の業界生活を通じてみてようやく、国内電機メーカーの良き時代の良き理由を得心したりもするのは、先端技術の提供サポートを同時並行で異なる国内メーカーに供給しつつ物づくりを支えるという特異な経験の仕事の妙だったりもする。昔の会社の仲間が、Quad社に通信キャリア担当の企画マーケティングとしてジョイントしてきた。有能な女性である。また、この彼女の後輩も同時期に飛び出して元気な携帯メーカーのUMTS企画担当に転じていたりする。強力なコンビが戦場を移して展開されるようだ、端末開発で元気を失っている会社が、その中の活力溢れるエンジニアを外部に輩出して業界の変化に呼応しているのは不思議である。

組み込みソフト大国の底流を下支えする重要な仕事になりつつも、お客様である国内電機メーカーの方々のビジネスモデルが瓦解ではなく脱皮しつつあるということだと信じてナビゲートしていくのが仕事である。大規模化が日々進展しつつある状況のなかで、納期に応じた開発を続けていくことはメーカーとしての最低限のテーマではあるのだが、それと併せてメーカーとしての自覚の中で追求していくべき技術もあるはずなのだと思う。そんな意識をトップの方が持ち合わせているか、現場の方が熱く強くもちつつトップに具申して実現をしていくといったサイクルが残っている会社もあると信じている。携帯電話とPCは異なるということで開発を進めてきた歴史背景を理解せずにPC化の流れに進んでいくときに本来の追求してきたテーマを捨ててしまったのではと思える事態もみえてくる。コスト追求が生んだ結果は、ハードコストよりもソフトコストらしくメモリを潤沢に積み、あるいは制限の無いデュアルマイコンといった世界を安直に始めてしまう。そんな世界に警鐘を鳴らしつつ自分達でライトハウスとして先を照らしていくというのがナビゲータなのである。まともな技術者感性を持ち、将来展望を高感度アンテナでキャッチしつつ確信しつつ実務の仕事の中で展開していくという楽しすぎる仕事に興味を示さない殻に閉じこもったエンジニアしか居ないのであれば、この国に将来は無いのだろうか。

業界独り言 VOL282 人は自らを変えることが出来るのか

長年のラブコールに応えてくれて、とある端末メーカーのエンジニアのA君が、インタビューの要請に応えてオフィスを訪ねてくれた。平日の昼間に年休を取得した上で、インタビューに臨む姿は真面目な気持ちに違いない。家族を支えるものとして生半可な気持ちで臨めないだろうし、また家族の同意を得た上で臨んでいるとすれば、彼の悩みは深いのだろう。忙しい中で休暇取得までして大変な決断を迫ってしまったのかという思いとは異なり、彼自身は現在では家族のための生活として自身の生活を見直しているということだった。とはいえ、国内の端末メーカーにあり、3G草創においては試作機開発やらスタンダードにも深くかかわり開発してきたという彼のような人材が、ヒマをつけやすいという事態は端末メーカーとしての余裕というべきなのだろうか。

メーカーの3σからはみだしてしまった観のあるエンジニアとして、自らの為に会社をうまく使いこなしてきたという感覚のあるA君は、自らの志向と会社の指向とをうまく調整して活躍してきたエンジニアだと思う。肥大化する標準化動向の中で、プロトコル開発の渦中にあっては象を弄るごときエンジニアとは一線を画しているように見えた。そういう思いに到達した彼が次の命題として捉えてきたのはプロトコルをスタンダードからオブジェクト指向的な考え方に基づいたオブジェクト生成を行い見通しの良いキャリア毎の差異などにも柔軟に対応していける、夢のプロトコルスタックの開発だったらしい。ある意味通信端末業界での青色LEDの開発に匹敵することだともいえるのだろう。そんな技術者の知的好奇心を充足せしめると共にビジネスに直結する形で達成感を与えうるメーカーはどこかにないのだろうか。

時代は日の丸プロトコルの開発を死守すべしといっていた90年代からみれば、いかにビジネスを達成すべきかというようになり、ソフト開発のバベルの時代を越える中で変質してきたようだ。重い足枷となりいくら効率を打ち上げてみても近道をしようとしても中々到達しない世界にいるのは釈迦の掌ということのようにも見える。多くの神々達の戦いも、生きることに宗旨替えする流れの中で無為なることに到達したということなのだろうか。WinWinというような時代を瞬間生きてきた人たちがギアを外してしまったのか、なかなか組み立てなおすということに至らない。疑心暗鬼な周囲の諸国家との関係やら、高邁な理想やら効率のみで導けない方程式がそこには横たわっている。ある意味で、そうした状況の中で夢の青色プロトコルスタックを開発してこれた彼は幸せなのかも知れない。しかしビジネス着地こそが会社の果たすべき道だとすれば、そこに行き着けないのではと彼が感じとる状況には将来が描けないということなのだろう。

ちいさなベンチャーとして始まったQuad社の歴史は、彼の社会人生活と同期生という見方も出来る。まだ二十年に満たない社会人生活も会社の歴史と比較をするのが彼の今夜の家族との会話になるのかも知れない。しかし、大企業の技術者として暮らしている現在の彼の殻をやぶって、歴史の浅いベンチャーの中で仕事をするということについては家族の方も彼のなかに流れる熱き想いを感じてくれるに違いない。そう、今彼は会社を選ぶ側に回り、自分を生かす主体が自らにあるスタイルでの仕事に入ろうしているのでもある。日本的な湿気のあるような会社生活ではないのかも知れないが、日本の会社が目指している米国的な会社スタイルとも相容れない雰囲気があるのはQuad社の不思議なところでもある。私自身は、ベンチャースピリットのある仕事を求めて移ってきたというのが正直なところでもある。前向きに暮らして生きたいという想いをもつ人たちにもっと集ってもらいたいと思うのである。

A君の面接を通して、彼に自分と同質なものを感じたのは、かつての自分を重ね合わせてみてしまったからなのかもしれない。かつてプロトコル開発というには稚拙な時代に私が取り組んだことはといえば、当時のアセンブラベースのシステム開発にへき易して到達すべしとして捉えていたコンパイラーベースへの移行であった。そしてそれを自らの強い熱意で期待を超える成果としてアセンブラ以上の性能を実現して実用化に達することが出来た。そんな時代の中で彼のようにアセンブラで苦労していた開発をする気に掛けていた元の愛する同僚たちのいる職場があり、まさに1986年というのはそんな時代だった。そんな愛する仲間の為を思って開発に注力していたコンパイラは不純な理由だったのかもしれない。当時は、端末開発に向けてソフトウェア開発という仕事の黎明期の中で女性活躍の陰で頑張るお姉さまエンジニアたちに可愛がられて育てられていたエンジニアなどが彼の時代のエンジニアなのかもしれない。

そんな旧き記憶を呼び戻しつつ、次の時代に向けて考えていた90年代後半の自身の覚醒などを思い返すと現在の仕事などを予見していたのだろうかと合点がいった。大企業の中ではベンチャースピリッツ溢れる仕事に恵まれるという幸せで暮らしてきた自身が、殻をやぶってしまったことは自由に裁量を与えてくれて開発に取り組ませてくれた先輩上司のお陰でもある。未だに教えを請う先輩は、溌剌と後身の育成に取り組まれているのである。彼も会社生活としての成人を迎えようとしている中で、大きな挑戦というのが自身を変えて新しい目標に挑戦できるのかということでもある。彼同様にQuad社自身も20年という成人に向けて殻をさらに破るということが必要なのだとも思う。今、ブロードバンド接続の中でグローバルな仕事環境の中で仲間達の時差を越えて開発をしているという自分自身を思うに、私自身が昔、まさに考えていた仕事の流れの中に今があるということも再認識してしまった。

私が、捜し求めているのは私自身の変革に必要な後任であり、摩訶不思議な縁により行ってきたモデムの世界の開発支援に必要な、これからのコンパスを持っている人物である。そうした目的に沿ってみると、A君の青色プロトコルスタックの開発などはQuad社の羅針盤になるかもしれないのである。そんな強い思いを彼が抱いてくれるようになれれば、きっと彼が思い悩むことへの私からのカウンタープロポーザルになるのではないかと思っているのである。なにしろ私の予見は今まで悉く当たってきたという見方もできるので、この予感も正しいのではないかと確信してもいるのだが果たしていかなものになるのだろうか。五年間という雇用期間サイクルが一巡するなかで私が考えてきたアプリケーションを主体とする時代に遭遇しつつQuad社自身も大きな変容を遂げてきている。きっと創業20年の頃には更に変身しなければならないのだろう、そんな時代に向けても核となるモデム技術者としてのA君のような自身に羅針盤を持つ人は大歓迎なのである。

会社生活に違和感のあるエンジニアは、少なくないのかもしれない。A君のように自己分析をして次なる施策を考えて行動をしている姿を見ていると変態を遂げようとしている渦中なのだとも思う。どんな艶やかな転身をするのかは不明だが、自信みなぎる明るいA君に会えるのではないかと期待もしているのである。技術を理解する仲間のなかで、時期をもとめ周到に実用化していくという仕事がかつての日本企業の良い点だったのだが、最近では直近のことに気を取られたり意味の無い開発投資とは名ばかりのアウトソーシングとしてのソフトウェア開発消費に充てられてしまっていることでA君のような優秀なエンジニアのモチベーションを亡くし暗いという印象を与えてしまうような情況に陥らせてしまっているのではないだろうか。A君がQuad社に来るとは限らないし、今の会社で青色プロトコルスタックアーキテクチャを開発するもよしである。私が予感する次の姿は、まだ此処には書かないで置こう。