業界独り言 VOL276 爽やかな一陣の風の如く

爽やかな薫風のみどりの新人の季節である。電機業界もここ数年続いてきた景気低迷の中からの回復基調であるらしく、存在意義も虚ろなままにすっかり空洞化してしまった組合の形骸化したみどりの日のメーデーなどとは無関係に、景気の成果として給与や賞与などにも良い結果が伝えられているようだ。景気の明るい兆しが技術者にとっても良いことなのだろうと思う。電機業界という中で長年勤め上げるというスタイルが当然のように思っていたりするのは確かに傾向としてあるようだ。つい最近、先輩の方々が会社を勤め上げられて第二の人生をスタートするというのを見ていると若手技術者とは異なった潔さやエンジニアとしてのプライドや若々しさを改めて教えてくれた。無論世の中の変遷の中で担当する業界の縮小でサバイバルをして転職をして自分の考えるスタイルの仕事を目指して頑張っているエンジニアなども最近の候補者のレジメなどからも窺いしれるようだ。

技術者という枠にとらわれないで知人を見てみると、一昨年来、お付き合いしてきた不動産の担当営業のIさんの事例なとも興味深い。みどりの日にIさんが、転職されるということで拙宅まで挨拶に見えられたのである。こうした業界の中では人の異動は普通に起こることらしいのだが、彼女の転出については現在の不動産会社の社長からもエールを貰っての転出らしいのである。我が家とIさんの出会い自体はかなりの偶然でもあり、彼女がこの不動産会社に入社した最初の食いつきの顧客でもあったようである。我が家が一戸建ての注文住宅を建築した顛末についてはお伝えしたとおりなのであるが、当初は、彼女の所属する不動産業者にとっては建売物件などの延長上としての特殊例としての扱いだったらしい。そんな会社に良い影響を与えて注文住宅に没頭する一つの契機になったのが我が家の一件であり、彼女のパーソナリティが為せる技でもあったようだ。建築士を別途契約して真剣に応ずる中で、彼らの会社としての取り組みにも戸惑いと共に変化の意識が芽生えたようであった。

横浜地区で最大規模の不動産業者といえば、悪名高い業者があり、以前住んでいた我が家も実はその不動産業者を通じて購入していたのだった。如何にその業者の仕事がいい加減だったのかは、実際に自宅を売却処分する段になって思い知らされたりもしたのであるが、そうした話も含めて知ることになったのはIさんから教えてもらった普通の業者としての仕事の仕方を通じての結果でもあった。最近その悪徳業者の広告が入らなくなったなぁと思っていたら実質倒産したというのが実情らしく、ローンを組めないような顧客に売りつけるなどの売り上げ至上主義の結果として銀行からも融資の査定からは業者として認めないといった流れになり淘汰されたというのが、その結果であるらしい。そんな我が家も彼女の仕事によりクリーンな物件として転売も叶い、ダークな購入経過で余分に支払わせられたらしい費用なども含めて昨年度の資産売却での赤字計上で払拭されたので一段落ともいえる。

悪徳業者としてその不動産会社の業容が成り立たなくなった上で、まともな会社方針である彼女の現在の会社で受け入れた人材もいるようで会社の方針次第で活躍の場は如何様にでもなるものである知らされたりもするのである。Iさん自体は、不動産会社に移籍して来るまえは建築会社の中で営業担当として活躍していたこともあり自己の研鑽計画に則って不動産物件を取り扱いつつ自分の夢を描こうとしていたのである。彼女のそうした経歴がミニデベロッパーとしてのオペレーションを果たしていた小さな不動産業者にとってもラバースタンプな建売物件だけに終始しないことの取り組みを拙宅の一件を契機に切り開くことになったようだ。彼女の信頼する建築技術者などを会社に紹介したところ二も無く信頼されているからゆえに入社も決まりバリバリと仕事をして工務部門は三倍の規模にまでなったということである。仕事を如何に人の輪で前向きに仕事をしていくかで会社そのものが変容していくということを改めて知ることにもなった。

Iさんの希望は、元気な高齢者を対象にしたコロニーを作りたいということだった。彼女の母は、田舎暮らし体験をさせることを長野県で運営していて、その筋の人にはとても著名な人であるらしい。そんな影響もあってのことか、彼女は元気な老人が共同生活を助けていけるような事業を将来したいという夢を描き、建築業界で培った経験に基づきコロニー構築のための会社設立や適当な不動産物件を探し出したりすることも含めて念頭におき自分の働く場所を変えて経験を積み自分自身の考えるあるべき自身の姿に向けて生活をしていたのである。そんな彼女にとっては不動産物件の販売に伴う周辺住民との調整活動なども含めて自身への研鑽活動と捉えて前向きに全て取り組んできたのである。結果として売ってしまえば終わりといったこともなく、彼女自身の評価も会社の評価も高まることでうまく活動を続けてきたのである。

そんなIさんが転職の挨拶に来られたのは我が家との付き合いが彼女のこの横浜の地での不動産営業担当としての仕事の区切りにおいて象徴的な仕事であったからだとも思う。急に彼女が次のステップに進むことになったのは実家の母親のダウンが契機らしく、まずは体験民宿の運営を引き継ぐことを決めたようだ。彼女の母親も前向きな積極的な人生を推進している達人らしく体験民宿のホームページなどからもそうした実情を垣間見ることができた。彼女が考えている夢実現のステップとして、一時的にせよ体験民宿を運営することはきっと良い経験となるはずだし、元気な老人に向けたコロニーを作るということが都会で行なうことかあるいは田舎でも共通なのかといった問いかけに答えを探す意味でも良い試練の期間でもあるだろう。夢はすぐに叶うわけではない、ただし意識を持ちつつ生きていくことでステップを踏んでいくことは出来るのだろう。

ゴールデンウィークの爽やかな気候のなかで彼女の巻き起こした旋風を思い返しつつ、彼女を交えて三人の成果でもある我が家のリビングでゆったりとランチタイムを過ごし、「妙に心が落ち着くんですよねぇ、この高い天井が・・・」とリビングの上の高い吹き抜けを見ながら、皆で彼女の次のステップについて話し込んだ。実家にある蔵を改造して自分のスペースを作るらしいとのことなので「気」が満ちるということで著名な彼女の実家にも一度お邪魔させていただき、こんどは彼女の蔵の屋根に取り付けられるだろう明かり取りなどを見せてもらうことにした。こうした良い「気」を放つ人と一緒の仕事をしていくことで周囲の人に与える良い影響があるのではないかと思っている。同様なオーラの強い先輩が36年の勤続を終えて大企業の勤めを終えられた、なお次の段階として業界に向けて仕事を始めようとしている姿を見ているとまた良いサイクルが始まるのではないかと期待もしている。

会社の中での仕事に埋没してしまい自らの疑問に答えられなくなった後輩であるT君がいる。久しぶりに着たメールには「私も退職してしまいました」と書かれていて経緯も含めて心配でもあったので早速逢う事にした。大学を米国で終えた彼などは語学に苦も無くうらやましいと思っていたのだが、システムエンジニアとして実践してきた仕事の流れが会社のビジネスモデルの変遷と共に自分自身の中の気持ちとのマッピングが出来なくなってしまったらしい。携帯電話とは異なる業務用無線機の応用商品システムを構築してきた彼にとっては、端末アプリケーション開発のコストや汎用化といった流れに取り組みつつも変革しきれないでいたらしい。システムエンジニアとして多様なシステム構築を果たして問題解決をしてきた彼がエンジニアとしての精神を蝕むような状況になったのだとすれば相談する相手もいないのかということを景気回復しつつあるという端末メーカーのなかに残っている問題だと再認識する次第でもあった。

まずは彼自身が何をしていきたいのかを自分で納得するまで考えることが必要だろうし、生活をしていくことも必要である。精神に変調を来たして退職したのであるとするのならば、納得をした自分の生き方を考えた上でステップを踏みつつ生きていくことをまずは勧めた。語学堪能でシステムエンジニアとしての経験を持つ彼にとっては、次の仕事は見つけられるのだろうが、会社というシステムが変容する中で変遷した価値観との協調が出来ずに退職してしまったことから再出発に際しては会社に頼ることのない強い自己を確立することが必要だと思う。彼が顧客と考える人たちにソリューションを提供できなくなってしまった現在の会社のシステムに見切りをつけたという見方も出来る。前向きに進みたい彼にとっては会社に居続けることに違和感を覚えて納得できないからなのだとすればどこか共感するものもあり、気になってしまうのは同類だと感じているからかも知れない。彼の事例も爽やかな退職の一例なのかも知れない。彼には、是非「気」が満ちるという長野の田舎を体験してもらいたいものでもある。

単に端末メーカーが、採算の取れない事業を消去法で対応していくことで回復しているのだとすれば、社会の公器としての責任はどこに行ってしまったのだろうか。公器の責任を果たす意味で取り組んできたやり方に問題があったのではないか。利益の旗頭でもあった携帯電話の開発ですらも開発費用の問題が提起されている現在の流れであり、多品種少量生産ということがマッチングしなくなってきたシステム商品という分野のサバイバルについては議論する余地もないということだろうか。タクシーが無線機を使わずに個人運営的にご贔屓探しとして携帯電話の番号入りのカードを配る時代では、彼らがタクシー無線機を使った応用商品をいくら提案しても解決が出来ないのは無理からぬことでもある。タクシーを呼ぶ顧客にしてみれば、タクシー会社に対して贔屓の客として酔っ払った状態で任せて自宅まで連れて行ってもらいたいはずなのである。

こうした目的に対しての答えからいえば、携帯電話をセンサー端末として捉えたりすることでいかようなシステムでも開発が可能な時代になったともいえる。タクシー無線機自身にもバイナリーな実行環境を導入することが開発効率の改善に寄与するかも知れないし、携帯電話の業務用アプリケーションを開発することでもダウンロード運用が出来るともいえるだろう。何せ最近の携帯電話のGPS機能や地図機能などを使ってシステムを組めば、業務用システムを開発しシステム運用コストも含めて良好なものにすることが出来るだろう。無論そうした要求仕様を書き起こした上で開発してもらうのは中国やインドの会社なのかも知れない。今までの会社の仕組みで出来なくなったというのであれば、今の要求条件に見合った身の丈に自分自身を合わせていくことが求められてもいるはずである。無償で提供している同様な開発環境やアプリケーション開発ベンダーなども含めて利用していくことも出来るかもしれない。真剣に前向きに夢を語るリーダーとして活動していけば、T君もIさんのようにドリームカムズトゥルーを実現できるのではないだろうか。

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