業界独り言 VOL272 こんなはずではなかったのでは

デラックスでマルチタスクな世界が携帯電話の組み込みソフトの状況を席巻しようとしている。何処かが震源地らしいのだが、1GBitのメモリが必要な状況というと、なんだかマイクロソフトの世界と何が違うのかと思いたくもなってしまう。まあ詰まるところLinuxであれWindowsであれ最近のPC向け環境としてみればカーネルの振る舞いに大きな差は無くライセンスであるとか、ソースコードがどうしたという話でLinuxになったり携帯の為に開発したOSなどが取りざたされているのである。世の中から消えようとしているPDAなるもののベースとなっていたOSが携帯電話に合うのかどうかは別にして携帯文化自身の発信源は日本のはずなのであるがそうした責任感あるいは主体性というものはなんだか感じられないのはどうしてなのだろうか。今まで限りある資源の範囲を活用しようとやっきになってきた携帯端末の世界が、Linuxのような形で複数のマルチタスクを並行動作させるようなことを必要としているのかどうか誰が考えているというのだろう。

「皆さんにお願いをしています。ですから、数が出るから、きっとコストも下がるでしょう、今までの歴史もそうなのですから・・・」と仰る神様からのお告げを語るようなキャリアもいるようである。本当だろうか、そうしたフレーズに踊らされて泣きを見てきたのはデバイスメーカーなのか、あるいは端末メーカーなのか。自社の半導体生産ラインを埋め合わせるためだけにまとまった注文が欲しいと言うのも事実だろうが、果たして携帯電話というビジネスがどれほど美味しいものとしてデバイスメーカーに映っているのかどうかは疑問が残るところである。ともかく対抗上必要なモデムでの頑張りは果たしてきたそうした成果として最新機種のラインアップが出来上がっている。端末自体の魅力もIモ−ド最新機種としての位置付けを果しうる最高のものになるのが、最近の成果のはずだった。携帯型のゲーム機並みのグラフィック性能やゲームコンテンツが動作することが携帯電話に必要なことだったのだろうか。「凄いですね・・・では次の話題に」とアナウンサーのみが呆れ気味に紹介しているのはせめてもの救いだが経済を回すことに腐心しているテレビ局としてスポンサーのご意向は大切なものであろう。

開発方法論としてTRONだからいけなかったということではないのは判りきっていることなのに、主体性の無い通信機メーカーの所産なのかあるいは携帯電話という端末自体が通信キャリアの企画製品になりきってしまったからなのだろうか。商品として台数が確保されて、コストも通信キャリアの予測のように低下していくことが決まっているのなら良いのだが果たして本当にそうなのだろうか。開発プラットホームがようやく共通化されてモデムチップセットは一社からの提供になったようでありソフトウェア開発の容易なLinuxや携帯端末専用OSなどの搭載をしているのだから開発コストの主因となるコスト高要因は無くなったはずである。半導体メーカーはコスト力を発揮するためにご要望価格であるところのレンジにPDAよりも多くのRAMを必要とするようなソリューションが携帯電話で要求されていることを首肯出来るものなのだろうか。どこかの企画担当の方が「ケータイはPDAとは共存するものであり、駆逐するものではない」というメッセージをされている。

究極の端末を目指しているという姿でコストが折り合っていると考えるのは通信キャリアからの多額の販売報奨金をもってしても大丈夫なのかどうか心配してしまうほどである。カメラと外部メモリがついた段階でこうした販売報奨金を無視するような単なるデジカメ代わりに契約を反故にしてしまうような若者が増えてきたらしい。付加価値を端末価格に反映しない政策を採り続けて来たツケが回ってきたというのが実情なのだろう。番号ポータビリティの結末の一つは米国でのATTの衰亡などからも明らかであり通信キャリアとしてのスタンスの見直しを迫られているのは日本でも同じはずである。二つ以上の通信方式を追いかけざるを得ない国内の通信キャリアでは、二社とも性急な対応を進めつつも国際化規格としてようやく立ち上がってきた版に向けての端末を繰り出してきた。PDC方式でも多機能端末の開発を続けてきたメーカーにあっては、第三世代端末での開発プラットホームの変化などの流れに乗り切りていないようだ。もともとは、通信機メーカーからの発案で生み出した筈のi-MODEが、自我に目覚めてスペックのみが暴走して巨大化しているかのようだ。

携帯電話でしたいこととは何だったのだろうか、アプリケーションが連携して複数動作するというのが一つの期待する姿でありマルチタスク処理と呼ぶらしいのである。複数処理が連係動作するような形を作ったのはWindowsでのOLEなどが先鞭をつけたのかもしれない。ハイパーテキストにより関連付けたアプリケーションが動作したというのであればBTRONもそうした先進の環境であった。マルチプロセスの動作という観点でいえば、OS9などが限られたメモリ空間の中でマルチウィンドウで動作していたのも記憶にある。残念ながら携帯電話のようなパーソナルな環境で複数処理を実行するような状況とは何かのコンテンツをアクセスしつつメールのダウンロードをするといったような使い方くらいだろうか。狭いスクリーンの上で重なりあった複数のウインドウにXeyeが動作してカーソル位置を教えるまでもないのだと思う。潤沢な資源を与えられて互いにアイソレーションが図られた空間で多様なアプリケーションを走行させることが携帯電話で必要なことといえるのだろうか。

手のひらの上にとっては大画面という液晶の上で動作するPDAを凌ぐようなその環境がPDAとは抵触しない第三世代携帯電話だということらしい。どのハードウェアスペックをみても抵触する以上に高級な気がしている。デジカメ業界がSDカード付きのカメラ携帯で影響を受けたように、最近ではスケジュールのシンクまでを実施するこうした端末が駆逐してしまったといっても過言ではないだろう。実は、私自身はPDAは好きである、機能特化したモデルといえる富士通のオアシスポケットなどは原稿入力には最高だったと思うし、そうした延長にあったNECのモバイルギアなどには何代か乗り換えつつ利用をしてきた。機能特化するということで使いやすさを生むのであろう。最近そうしたアクティビティはSVGAのスクリーンを持つWindowsXP搭載のカシオの小型ノートが役目を果たしている。とはいえやはりモバイルギアやオアシスポケットほどの身軽さは無いので、探そうともしているのだが前述の携帯電話に駆逐されてしまったようで量販店で見渡しても見る影も無いのである。WindowsCEなども携帯にシフトしていったというのが状況なのだろう。

マルチタスクをフルに駆使してLinuxが動作してマルチウィンドウでポップアップするというような環境は、さすがに携帯電話という範疇には当てはまらないように思うのだ。まあ技術的に見ればQVGAの液晶は大きなものであるといえるのだろうがXGAになれた人たちがVGAのクォーターサイズのスクリーンでちまちまとSDキャラクタ同士のアバター通信を見守るとでもいうのだろうか。少年時代にみた光速エスパーの腕時計テレビ電話の感傷にでも浸りたいのだろうか。サザエさんに興味はあっても、電池のキャラクターに用いていた時代を知る由も無いかもしれない。まあ背筋をピンと伸ばしてテレビ電話に向かって挨拶をするという光景は、最近のギスギスした感覚からいえば喜ぶべきことなのもかも知れない。番号を維持したいという思いや、付け狙われているので替えたいといった理由などからなのか通信事業者の思いとはかけ離れたところで機種変更やらキャリアの変更が行なわれているのではないだろうか。

積極的にこのサービスが使いたいからと次の端末指名買いといった健全な理由があれば端末メーカーにとっても本望といえるのだろうが、通信キャリアの指導が行き過ぎてなのか特色の無い難しい端末が出来てしまってはいないだろうか。大規模なアプリケーションがJavaで書けますということの証明の見地からのみRPGの移植をしたりしてみたところでユーザーにとって楽しいことなのだろうか。まさに凄いですねというコメント以上の何が言えるのだろうか。今のユーザーにとっての携帯とはメールやカメラであり、そうしたことを通じての互いのコミュニケーションツールなのである。ネットワークと安価に簡便にインターフェースを取り持ってくれる有用無比なネット端末でもあるのだ。予測変換やら漢字変換のインタフェース技術などを事実狭い画面を活用していく上では限りなく占有するような使い方が使いやすいと思うのである。

今、一つのエポックメーキングなことが起ころうとしているのだが、低価格、低消費電力、高機能を実現していくことの追求をしてきた結果としてシングルタスクでマルチアプリケーションを実現するオブジェクト指向な世界が来年に向けて製品を出すべく胎動をはじめている。既に神様のような通信事業者にも提案をしたりしているのだが、固唾を呑んでこのシンプルな世界が生み出すものと現在の彼らの延長線上の未来との間のギャップと相似性を感じ取っているようだ。端末開発の中で日本中の通信機メーカー自身が積み上げてきた同様なものが通信事業者の仕様というもので駆逐されて技術蓄積が失われていったのとは逆に、同様な技術を端末メーカーの中での生みの苦しみから追求をし続けてきた結果としてリファインした成果が、そうした通信事業者の重厚長大な路線を駆逐してしまうのだろうか。利益を生み出さない金食い虫などと通信機メーカーであれば中傷されたりする基礎技術の追求というテーマを重要なものとして捉えて続けてきた成果が、大きな実りの時期を迎えようとしている。

理想を掲げて夢を語り、将来像に向けて開発研究するというのがあるべき姿だろう。その頃には半導体コストが下がっているからというよな感性のみで研究を続けているのでは到達しなかったテーマでもある。システムエンジニアの視点を持ちつつ問題点の根幹に視野を向けつつ様々な代替案を考えつつかつ深化させていくという仕事の進め方をしないと、短期的なテーマの解決として出来ることにしか取り組めなくなっているのではないだろうか。ある通信機メーカーでは、そうしたことに気が付き技術リーダーを隔離して事業という柱とは別の組織に転籍させて、半導体を含めた形でソフトウェアとIPを固めて将来の成果を期待するという大胆な取り組みをしているところが出てきたようだ。強大な通信事業者との間で短期的な解決策のみを追求せざるを得ないサイクルのなかに、優秀な研究者を置いても未来が描けないままになってしまうことに気が付いたらしいのである。

通信機メーカーの外注であれ、その部門の研究所であれ仕事の中心となっている流れが死の行軍となっていような形で疲弊しているような姿は日本中の通信機メーカーの中に幾らでも見かけることは出来る。しかし、そんな中でも数少ない元気な立場を越えて未来に向けて夢を語りつつ目を輝かせて仕事に取り組んでいる人たちもいるのである。そうした会社の枠を超えた人たちと出会うことが最近出来たのは私にとっても救いである。彼ら自身、会社の中での処遇や文化慣習などといったものに囚われがちのものと思うのだが、先鋒となって開発リーダーがスパイラルな開発方法論で実践するということを選択して部下のモチベーションを引き上げているのである。我々のチップセットを使うということをある意味で隠れ蓑として使いつつ、実は彼ら自身が追及していきたかったことを我々の開発部隊と共有できたことで、結果としてプロジェクトが進行するようになったともいえる。せいぜい私達をそういった意味においては悪者にしていただき、結果として彼ら自身が考える理想的な形でのものづくりが実現出来ることのお手伝いをさせてもらいたいのである。

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