業界独り言 VOL275 全部作ってくれませんか

最近では富山の薬売りではないのだが、あたかも千葉の行商のおばさんの如きプレゼンテーション興行の機会が増えきている。無論丁度お客様の開発が順調に行っていることの証でもあり、新たなお客様の広がりを期待しての活動なので、こうした動きはよいことでもある。最近の売り物は、ワンチップ戦略の成果として開花しつつあるプラットホームが小気味よく動作する試験端末やら、ARM7ベースで培ってきた世界中での実際の3G/2.5Gネットワークとの相互接続性試験をクリアしてきた成果でもあったりする。なにせ3G端末であるチップセットには不可欠と言われる2.5Gの機能実現についてはお客様からも懐疑的に見られるほど奥の深い陰湿な欧州規格でもあったりするからだ。確かにCDMAのお旗本であったとしても2.5Gの世界では新参者であり経験不足という色眼鏡で見られてしまうのは致し方ないところでもある。2Gの立ち上げで欧州に先制パンチを繰り出した日本メーカーも一時期ほどの元気はなくなっている。開発拠点として作り出した欧州の組織などの解体なども多く見られているのが実情でもある。

そうした背景を考えれば、開発リソースとしての人材などが実際にはダブついている図式が見えてもくる。実際問題、3G開発成果のパテント収入をベースとしてじっくりと2.5Gの開発を後ろ向きと捉えずに強力な3Gソリューションの一環として開発展開するというビジネスモデルを描いているQuad社にとっては願ってもない追い風でもある。世界各地での開発拠点が目的別に呼応しつつ一つのプラットホームの構成要素を仕上げていくという構図は成功を収めつつある。無論モデムチップセットとしての性能以外に最近では3Gハンドセットとしてのアプリケーション機能までも求められるご時世となり、ともすればマイクロソフトの如きバッシングを受けそうな状況にもあり留意が必要となってきている。国内メーカーの方達の取り組みとしては、モデム制御とアプリケーションの分離独立を旗印にしてモデムチップセットとアプリケーションチップを明確にハードウェアで分離し、RTOSとマルチタスクアプリケーションOSとをそれぞれ実装したデラックスなハイエンド仕様である。

そんな華やかな状況が誌面を賑わしたりしているのが、世論誘導あるいは広告成果としての実情なのだ。しかし陰りを見せてきた端末ユーザー数の微分値ならびに部分積分の結果で世の中としても変容を許容できなくなってきたらしい。とはいえ瞬時値で抜いたという通信キャリアが、このまま驀進するのがどうかは別のストーリーだろう。確かに開発に莫大な費用投入をした成果として素晴らしい性能の端末が提供されるようになったのは事実だろう、トップキャリアが2.5Gからの移行をお願いする形で世間を賑わしているパケ死なるものを駆逐できるようなサービスも含めて誘導策を打ち出すようになってきた。パケホーダイといったネーミングにしてはミニマムコストが高すぎるような気がするのだが、それでもパケット代で親子関係が破綻したりするよりは良いレベルになるのかも知れない。電力系キャリアのPHSサービスの撤退の背景には、コストだけでは語れない部分も多分に含まれているのだろう。PHSから3G端末への切り替えで良くなる点とは新幹線で使えるようになる事だけではないようだ。

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業界独り言 VOL274 プラットホーム戦略の難しさ

心配していた、早咲きの桜も今年は卒業式から入学式までの間、咲き続けるという状況となった。桜が咲き始めから満開まで11日も続いたというこの記録は、バブル期以降久々の景気の良い兆候だという。こうした状況の年は必ず景気が良いのだという、それはそれでよいことなのだろうが・・・。不況続きの中でのよい兆候というのはちょっと疑って掛かる人もいるだろう。実際問題、Quad社の株価なども転職当時の価格以上に戻してきているのも一つの表れでもあるのだろうか。こんな状況とは裏腹に、中東情勢の緊迫さなどは考え始めたらきりがないというのも事実である。イスラムの神様の前に照らしてみた場合に正義は神様の数だけあることにもなり一面的な見方のみになりやすいわが国の能天気な思考の中では混乱を引き起こしているのも事実であろう。中東情勢と株価高騰への先行きのみに意識が回りがちな状況の中で悩ましい日々でもある。

端末メーカーの人たちにとっては憂鬱な横須賀詣でも、ハイキング日和ともなれば壮年リタイヤ族あるいは元気な老人会の皆様などが元気溌剌とハイキングコースともなっている武山を目指す姿と疲れたエンジニア達の姿がダブって見える時期でもある。ビックな通信キャリアでは、社内研修よろしく各地の所属となったピカピカの一年生を何台ものバスを仕立てて見学ツアーとして社内施設を案内もしているようだ。なにせここは天上界とも三途の川の向こう岸ともいえるようなところでもあり神様ならぬ閻魔様の手の内で開発しようとしている製品のマスタープランから完成した端末にいたるまでありとあらゆる情報や現物を持って横須賀詣でをする景勝地でもあるのだ。私はといえば、四半世紀前にこそ試作品の納入やら打ち合わせやらにのんびりとハイキング気分で来ていた記憶があるくらいだ。転身を決めた直後に訪問した最後の訪問時の記憶は自身の中に結界を張っていたためにあまり覚えていないのだが、それとて、もう五年も前の話である。

路線バスが整備され、必要不可欠と見られていた宿泊施設なども建設されたのはつい最近のことでもあるのだが天上界の人々は、この地を3Gバレーとでも位置づけているようである。確かに野比からバスで入ってくる丘陵地帯の雰囲気は、どこかワイヤレスバレーの風景とも被って見えるようだ。昼過ぎからの打ち合わせという予定だったので、京浜急行沿線に住む自分としては自宅で午前中の作業を進めておきブランチを食べてから自宅を出て、京浜急行を南下するルートに乗った。潔く散り行く満開の桜が葉桜に移り行く沿線の風景は春から新緑の季節への移ろいを映しだしていた。妙に浮かれている自分に気づいたのはそうした風景を見つつ知己たちにSMS短歌を認め始めていたときだった。最近の国内ユーザーに共通して置き始めている産業革命の萌芽のような感触は、一昨日の田町でも感じていたし、その前の溜池でも同様だった。

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業界独り言 VOL273 若手組み込みソフトエンジニアの育成には

現役エンジニアも、ままならないのに若手なんて・・・という声も聞こえてきそうな昨今である。オジサンたちの世代として期待したい若手からのリアクションなどどこ吹く風だとでもいうのだろうか。どこかでリングが途絶えてしまったようにも思えるし、リングが互いにつながる事を期待しているフシもある。新入社員全員にマイコンキットを配ったという時代もあった。といっても四半世紀以上も前の話である。かの日本電気が作り出した8ビットマイコンのトレーニングキットTK80というのがその内容だ。遅れて富士通もグループで開発した16ビットマイコンのトレーニングキットLKIT-16を安価に社員に配布したといわれている。EEPROMのメモリにモニタープログラムが書き込まれていて、若干のSRAMにソフトウェアを打ち込むことが出来る16進の入力キーが付いていた。表示できるのは7セグメントのLEDのみである。手足など何も無い・・・。出来るのは、機械語の書き込みと実行あるいは停止である。

そんな時代から四半世紀以上が流れて、千円たらずの雑誌の付録にボード搭載済みの16ビットシングルチップマイコンと開発支援用のソフトウェアCDROMが添付される時代となった。なにせ昨今の技術革新からシリアル接続さえすれば、内蔵のFlashメモリに書き込んだりデバッグするためのモニタープログラムが用意されている時代なのである。外付けするものといえば応用基板との接続のための連結コネクタや、そこに載せるシリアルレベル変換ユニットだろうか。TK80やらLKIT16を見てきた世代のおじさん達にしてみると、なんともうらやましい限りの環境といえるのだが、流行のRJ45コネクタサイズのEthernetユニットとシリアル接続させてみようとか、色々思索をするのである。一枚の基板とその雑誌に特集された記事などから期待されるのは日本のエンジニアの発奮なのだと思い至るのであるが、出版社が企画をしてチップベンダーや部品メーカーなどと協賛を募って起こそうとしていることに政府の援助の欠片すらないようだ。

こんな環境を提示してみても、最近の若者では何も興味も示さないというのだろうか。手足がない達磨のようなものを示してみても、自ら手足を拡張した姿を夢見るなんてことはないのだろうか。マイコンの本質であるところのプログラミングや機械語の動作原理などどこ吹く風で最近ではC言語あたりが機械語に相当するらしいのだ。ともすればスタックもFIFOもプログラミングテクニックの範疇としての理解でしかないのかも知れない。まあアーキテクチャとして機械語やアセンブラを習得する必要は無いのだとすれば、RTOSなどもC言語で書くという時代らしいので、教育不要ということなのかも知れない。そんな時代を反映してのことなのか、ソフトウェアの効率などドコカに消えてしまい高速マイコンのお世話になりマイコンとメモリーメーカーのWinWin路線によって成り立つような鈍重な時代となってしまったらしい。わざわざ、もっさりとしたJavaなどでソフトウェアを書かせるのもそうした時代背景なのかも知れない。

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業界独り言 VOL272 こんなはずではなかったのでは

デラックスでマルチタスクな世界が携帯電話の組み込みソフトの状況を席巻しようとしている。何処かが震源地らしいのだが、1GBitのメモリが必要な状況というと、なんだかマイクロソフトの世界と何が違うのかと思いたくもなってしまう。まあ詰まるところLinuxであれWindowsであれ最近のPC向け環境としてみればカーネルの振る舞いに大きな差は無くライセンスであるとか、ソースコードがどうしたという話でLinuxになったり携帯の為に開発したOSなどが取りざたされているのである。世の中から消えようとしているPDAなるもののベースとなっていたOSが携帯電話に合うのかどうかは別にして携帯文化自身の発信源は日本のはずなのであるがそうした責任感あるいは主体性というものはなんだか感じられないのはどうしてなのだろうか。今まで限りある資源の範囲を活用しようとやっきになってきた携帯端末の世界が、Linuxのような形で複数のマルチタスクを並行動作させるようなことを必要としているのかどうか誰が考えているというのだろう。

「皆さんにお願いをしています。ですから、数が出るから、きっとコストも下がるでしょう、今までの歴史もそうなのですから・・・」と仰る神様からのお告げを語るようなキャリアもいるようである。本当だろうか、そうしたフレーズに踊らされて泣きを見てきたのはデバイスメーカーなのか、あるいは端末メーカーなのか。自社の半導体生産ラインを埋め合わせるためだけにまとまった注文が欲しいと言うのも事実だろうが、果たして携帯電話というビジネスがどれほど美味しいものとしてデバイスメーカーに映っているのかどうかは疑問が残るところである。ともかく対抗上必要なモデムでの頑張りは果たしてきたそうした成果として最新機種のラインアップが出来上がっている。端末自体の魅力もIモ−ド最新機種としての位置付けを果しうる最高のものになるのが、最近の成果のはずだった。携帯型のゲーム機並みのグラフィック性能やゲームコンテンツが動作することが携帯電話に必要なことだったのだろうか。「凄いですね・・・では次の話題に」とアナウンサーのみが呆れ気味に紹介しているのはせめてもの救いだが経済を回すことに腐心しているテレビ局としてスポンサーのご意向は大切なものであろう。

開発方法論としてTRONだからいけなかったということではないのは判りきっていることなのに、主体性の無い通信機メーカーの所産なのかあるいは携帯電話という端末自体が通信キャリアの企画製品になりきってしまったからなのだろうか。商品として台数が確保されて、コストも通信キャリアの予測のように低下していくことが決まっているのなら良いのだが果たして本当にそうなのだろうか。開発プラットホームがようやく共通化されてモデムチップセットは一社からの提供になったようでありソフトウェア開発の容易なLinuxや携帯端末専用OSなどの搭載をしているのだから開発コストの主因となるコスト高要因は無くなったはずである。半導体メーカーはコスト力を発揮するためにご要望価格であるところのレンジにPDAよりも多くのRAMを必要とするようなソリューションが携帯電話で要求されていることを首肯出来るものなのだろうか。どこかの企画担当の方が「ケータイはPDAとは共存するものであり、駆逐するものではない」というメッセージをされている。

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