業界独り言 VOL268 Mr.エンベデッドを捜して

イチゴの季節から桜の季節に移ろい春一番が吹いたりもしたのだが、季節の変わり目には不幸も訪れてくるようで親類や知己の訃報が届いた。大叔母が紀元節を前に、97歳で逝去したという連絡が入ったおりしも母の誕生日の挨拶の電話口から聞こえてきた。100歳までは生きるだろうという元気のよい人であったのだが、具合が悪くなったのは年が明けてからだという。悪くなるきっかけがあると年老いた人達には厳しい状況になるようだ。自身の親の世代についても同様な事態は起こりはじめていてH君の家では義父がなくなったということだった。年老いた人に限らず訪れる訃報は、人からのメール返送に書き入れられた知己の訃報などからも、自身の年代も含めて健康管理について改めて考えさせる事態でもある。

組込みソフトウェアのレボリューションともいえる事態は、携帯でも始まってきていて開発速度の更なる要求が製品コストならびに開発コストも含めての圧縮要請が各キャリアから発信されるようになっている。生産ボリュームと利益率のバランスから売れっ子メーカーなどは通信キャリアを選択する時代にもなっているらしい。生産ラインの余力を持っているメーカーなどにしてみれば、もったいない話とも映るのかもしれないのだが、自身の身の丈に合わせてのビジネス選択ともいえるだろう。無理をして通信キャリアに呼応するということのみが求められていた時代ではなくなったのかも知れない。通信キャリア自身も、転機を迎えていて来年に予定されているナンバーポータビリティなどのイベントに呼応していくためにも実力が問い直されているということもある。

「PDCの端末はもう発注しません」というような事態に陥るのは、目に見えてきた。特色ある端末と低価格でサービスしているキャリアは残るのかもしれないのだが、メインな流れとしては早晩800MHz帯でWCDMAが始まり塗り替えられるのは自然な流れになってきたようである。このチャンスに呼応できるのかどうかは、国内メーカーにとっての大きなチャンスでもありオセロのように駒が入れ替わってしまうことも想定される。3G端末で手に届くボリュームゾーンの端末が安価に供給できるのかどうかというのが時代の要求なのである。PDCとWCDMAの共用機が求められたりもするのかも知れないのだが、そうした一時の時間稼ぎに付き合わされてしまうメーカーもあれば、着々と開発コストを下げてボリュームゾーンの端末開発に照準を合わせるメーカーもいるようだ。

先の無い技術として通信キャリアから2Gとして切り捨てられる状況が予想外にも早く訪れたように感じるのは、私の認識不足なのかもしれない。トップ通信キャリアとしての伸びが打ち止めになり3Gとしてのみ拡大の余地が残されているのが実情なので、ユーザーが離れていく前に魅力的名サービスや端末を提供するというのが今回のFOMA新型モデルの意義なのだろう。言い換えれば、売りを立てたい仕事のための大きな投資が現在の仕事なのかも知れない。コンセプトや戦略で打ち出してきた通信キャリアとしては万全の流れの中での動きとはいえ期待する姿の実情が、コンセプトや戦略に矛盾が生じるかも知れないともおもう。大転換を求められる流れのなかで、海外端末メーカーへの納入依頼の期待値が、どのような形で実現されるのかは興味深いものでもある。

端末業界の期待値が、ソフトウェア開発方法論の切り替えや通信キャリアを含めたアプリケーション流通などをベースにしているのは見て取れるようになってきている。そうした期待値が過去の流れと矛盾してしまうのも事実なのかも知れないが最終的にエンドユーザーが下しつつある端末動向といった流れが後押しをしているようだ。差別化として搭載してきたアプリケーションプロセッサなどのハードウェアの差異は、ボリュームゾーンを狙うメーカーにおいては、アプリケーション構築での構築力不足を見せてしまう結果になるようだ。とはいえシングルプロセッサで期待を越すアプリケーションを構築していくのも至難の業ということにもなる。やはり組込みの技術力が改めて問い直されるというのが、業界の技術者への期待値でもある。ソフトで手抜きをしていたのでは競争力は生まれないのだろう。

次代の組込みソフトの状況が、プラットホーム化が進みゆく中で期待される組込みエンジニア(“Mr.Embedded”)とは、所要のシステム設計をハード機能をよく理解してUI回りでの応答とバランスを考えたソフトウェア設計が出来るエンジニアなのだろう。やはり消費電力事情はチップとコンパイラ任せというのでは心許ない。無駄の無い良質なロジックを考えていくことでソフトウェアとハードウェアの両輪を回していける姿なのだろう。リアルタイム制御一辺倒でやってきたユーザーインタフェースとの速度差などを省みない無駄なコーディングしか出来ない技術者は不要になり、無駄の無いAPIの上で構築するアプリケーションエンジニアとそれに呼応するAPIを構築していくプラットホーム側のエンジニアとに分かれるのだろう。アップルのアプリソフト開発などをしてきたエンジニアなども対象に入るべきかも知れない。

知己の中には長年Windowsでシステム開発をしてきた強者もいるのだが、彼などはこうした時代の要求に応える技術者なのかも知れない。TRONの流れに進めてきた技術者達も変身を求められている。アプリ設計のプラットホームAPI化の流れの中でシステム実現するために必要な技術として今までの自分達の成果をプラットホームの内側に残すというのが期待される姿だろう。データをコピーしまくるだけのロジックではなく、本質的にアプリケーションの動作を把握してプラットホームのAPIの内側と外側とで実装するという技術者が期待されている。端末機器メーカーが、近年取り組んできた開発環境のプラットホーム化の流れがこうした局面で応用を求められてきているようだ。たとえ利用するプラットホームが異なっていたとしてもシステム構築の考え方に立脚して進めていくことで対応が出来るはずなのである。

応用の利く人・・・とは、アプリケーションエンジニアということに他ならないのだろうか。確かにアプリケーションを知らないままに設計されたAPIや実装例などをみると、そのメーカーの先行きに不安を感じてしまうのも事実なのだが・・・。世紀を越えてから、ソフトウェア技術者が流動的になってきたとはいえ、まだそうした技術者たちが働く環境として応用が利く状況を示せているのかどうかは、まだ不明である。旧態然とした流れの中に業界の先行きを不安視した上で、殻に閉じこもってしまう技術者も多いらしい。弾けたエンジニアを許容出来ている会社などは、その部門がライトハウスになっているような事例もあるようだ。重厚長大な歴史をもつ重電メーカーの歴史なども、いままさに変わりつつあるように見える。却って端末機器メーカーとして先陣をきってきたところが変われずにいるようにも見える。

弾けたエンジニアからは、結構前向きに自身のロードマップを描いた上でのレジメなどが、届くもののそうしたレジメ内容が必ずしも要求するものとマッチしないのも実情である。中々”Mr.Embedded”なる人物からの申し入れはないのである。裏を返せばそうした人材が、適材適所でうまくメーカーやキャリアなどの中で仕事をエンジョイできる環境にいるからなのかも知れない。弾けた人材以前に弾けた周囲という事例もあるようで、私も以前見合いの席に出されたときに向こうのご両親から切り出された話としていつまで技術者をするのですか。といったことを聞かれたように思い出す。似たような経験をお持ちの方もいるのかもしれないがエンジニアとしての人生のなかでいつまでという形で切ることなどは出来ないかとも思ったりしつつ、当時「ソフトウェア技術者は30歳で定年だ」などという話があったりもした。

自分自身としては、「ソフトウェア技術者が30といったら16進なんですよ」と笑い飛ばしてみたりもしたのだが、やばい今年は16進でも30を迎えてしまった・・・。導師など周囲を見ていても48歳などでは、洟垂れ小僧の域を出ないようにも思えるので、新たなソフトウェア技術者の定年については論陣をはる必要がありそうだ。自身の中に前向きな姿を見出せなくなった段階が定年なのではないかと思ったりもする。殻に閉じこもって時の過ぎるのをただ只管待つというような姿では、定年といえるのだろう。技を磨き精進しているとまでは、いかないにしても前向きな気持ちで日々の仕事に立ち向かっているのであれば、きっと若々しいエンジニアだといえる。気持ちが定年にならないように、過去に自身で定義をした定年の歳を迎えつつ併せて五年目の節目を迎えている。

業界独り言 VOL267 事実は小説より奇なり

今年もチョコレートの季節が過ぎて、イチゴあるいはひなまつりといった風景に世の中は変わっていった。あるいは、ホワイトデーなる日本的な慣わしに続いていくのかもしれない。この季節に齢を重ねるといった事実背景から、成人式を二度迎えたりした不思議なめぐり合わせに遭遇したりもしてきた。チョコレートとバースデープレゼントの重複した意味を誤解した結果で、もしかしたら今の生活に陥ってしまったのかもしれないのだが・・・。まあ人生の出会いも展開も書き出していけば、小説よりも面白い事実で満ちていることなのだろうとも思う。前職では、国内の電器メーカーでの通信機開発といった情勢の中でマイコンソフト開発の草創期より多年に亘る仕事をしてきた。通常の開発プロセスが確立していた通信機器メーカーなどとの差異は、そうした事業背景に根ざしていたのではないかと振り返っている。

転職の契機になった理由の一つでもあったケータイ定額制を実現する1xEVDOの技術もようやく、通信キャリアからの実用化に段階に突入することになった。実際のところ、自身がそうした仕事に介在しているかといえば広がり行くQuad社の仕事の中で実はWCDMAのユーザーサポートをしたりしているのである。技術的な追求という点でいえば、世界標準として相互競争がある技術のほうがQuad社自身も伸びていくのではないかという気がしている。国内の通信容量飽和という事態を迎えて国内のトップキャリアが目指した幾つかの政策自身が、国内の機器メーカーの開発プロセスを破綻させたのではないかとすら感じているのだが、もう少し長い目で見守る必要があるだろう。ともあれLinuxケータイやケータイ専用OSマシンなどまでもが実際に市場に登場するまでに至ったのは歴史に残ることでも在ろう。

PoCなどと呼ばれているPTT Over Cellularという技術は、Nextel社がモトローラの変復調技術やGSMベースのシステム構築などの当初世代に続くものとして開発を進めてきた成果がようやく世に問う時期を迎えたりしているようだ。こうした話題などは、前職の会社でこそ当然のように進めているべき技術だと思うのだが、国内でのビジネス通信市場は米国のそれとは異なりケータイ競争やPHSの競争などに巻き込まれて現在では体を為していないのである。CDMA2000ベースで構築した幾つかのPoC技術の中でもPS網でVoIPで実現している事例などに比べてNextel社の事例などはプロの要求仕様に叩かれて出来上がってきた技術であると思う。第三世代ケータイという技術の競争の上で、実際に使われるアプリケーションである業務用という通信システムに視点が移っているというのは健全化したと感じる。

自社技術で早期導入してしまった通信規格からの最新規格への乗り換えを検討しているように映る国内通信事業者では、3.5世代と呼ぶような技術やUMTS対応といった謳い文句などで複数の通信規格の共用を実現していく考えのようだ。昔、国内通信事業者の母体から切り出された移動体通信の部門に移られた方が「出向させられてしまいました」といっていたのが今ではこの部門で国内通信事業者全体が養われているかのような状況は可笑しいものである。PDCやPHSの開発を通じての付き合いで旧知となった方が、今では国際規格準拠に向けた活動を進められているというから、きっとこうした事例も小説以上に面白い史実を語ってくれそうである。通信事業者の方で特に端末機メーカーにとっては神様あるいは閻魔様のような御仁がいて、彼は端末機の仕様を告知する立場となっている。

「コードレス電話機とケータイ電話の違いは何か?」と素人に質問されたら如何に回答するものだろうか。市内に持ち歩けるコードレス電話機という位置付けで開発されたPHSなどが入るとますます混乱してしまうかもしれない。ケータイ電話のシステムをそのまま、コードレス電話としてビジネスユーザーの世界などに提案して共用を果すというシステムが米国のAMPSシステムをベースにして構築された事実がある。そのシステムを起案して国内と米国とを往復しつつ意欲的に挑戦開発してきた技術者は、国内通信機メーカーの枠を越えて弾けてしまった。彼の開発成果としてのインビルディングシステムあるいはプライベートセルラーなどと称せられるシステムはその後デジタル化として国内通信キャリアが取り上げたりFOMAなどの規格のベース案件となったりしているようである。この技術にも注目していたというのが、前出の閻魔さまだったりもしたらしい。

派手な開発ストーリーで破竹の勢いで伸びてきた国内通信キャリアも第三世代の開発の負荷には思いのほか苦しんでいるようである。当初スペックと国際スペックの双方に対応させるという国際化戦略が出てきた背景には、第二国内通信キャリアが行ったような国内専用システムの廃棄移行などに遅ればせながら追従しているかのような印象すらもある。ソフトウェア開発が複雑だからコストがかかるのか、要求仕様が高すぎるからなのか。国際調達が掛けられることでコストダウンを考えている通信キャリアの意図が見え隠れもしている。通信キャリア主体で仕様を提示して物作りを進めてきた背景と、低コストで物作りをマイペースで進めている北欧メーカーなどのギャップはかなりのあるものである。提示仕様がわがままなのか、仕様に追従しないのがわがままなのかは、国内メーカーとの蜜月時代の終焉を示しているのかもしれない。

国内通信キャリア御大自らが北欧や米国に脚を運んで低コスト戦略の部材調達に走っている実情と、他の国内通信キャリアとの競争状況とには大きなギャップがあるようにも映る。いずれにしても低価格で必要な機能が満たされる高性能な端末が必要であるということには違いがないのだと思うのだが、こんなにも経済や政治が破綻している国で何故超高級志向の端末ばかりを作り込まされているのか疑問に思う技術者も多いのではないだろうか。とはいえ、ユーザーであるところの通信キャリアが提示する仕様だけに断れないというのが今までのビジネスモデルの延長線にマッピングされた現状のようだ。給与カットや残業カットでモチベーションもままならない中で、次代に続く仕事として新たな展開を求めるメーカーも出てきているようだ。無論通信キャリア自身が、あらたなメーカーとしてラブコールを寄せているような組み合わせもありマスコミとのギャップが面白い。

縁あって先日、閻魔様たちと、今ではQuad社でアプリケーションを推進しているプライベートセルラを開発した知人が仕事での出会いとなったらしい、宴席のなかでプライベートセルラーの話が出て意外なリンクを互いに発見して旧知の仲間として同窓会になってしまったらしい。3GによるPSの時代になりゆく中でアプリケーションゲートウェイとして構築してきたシステムが変容していく流れにもある。フラットレート接続を達成した先行キャリアでは既存の端末設計からの移行に悩んでいたりもするし、新規の魅力的な端末としてアプリを全て書き直そうと言う野心的な端末を中国に向けて納めたりもしはじめている。Quad社のチップセットや開発プラットホームに全く新規に取り組もうとするユーザーなどであれば、気兼ねも無くすっきりと開発が始められそうな様子も伺えるのだが、なかなか今までの組込みソフトの大規模化してしまった気持ちからは抜け出るのは至難のようだ。

Quad社のバイナリ−環境で動作するJavaや◎モードのエミュレータソフトウェアを開発する必要はないと思うのだが、国内の通信キャリア自身もどのようにしたらリーズナブルなコストで楽しい端末が出来上がるのかということには興味津々というのが実情なのではないだろうか。疲れを知らない子供のような開発が次々と進められるような時代に持ち込めればよいのになと思うのは私だけなのだろうか。実績だとかコストがかかるからといって旧来のソフトを使いまわしてくる中で本当の意味での性能追究やコスト追及が出来ずにいるのではないかと思うのはおかしいのだろうか。仕事をするチャンスがあるだけで最近は幸せであると言うのが、この通信端末業界であると思われる、テーマ選択の自由などはメーカーにはないようだ。興味や好奇心をベースに前向きな仕事として若者やベテランが意見やアイデアを駆使して取り組んでいけるような開発サイクルに戻していくために必要なことを考えてみてはいかがなものだろう。

業界独り言 VOL266 ソフトハウスの懊悩

国内メーカーのソフトウェア開発に深く携わってきた、ソフトハウスというビジネスモデルは大きな転換期に入ったようだ。ソフトハウスの開発営業の方が、毎期弊社を訪ねるのだが業界動向を学びたいということのようである。四年ほど前に飛び込みで来た会社であり弊社としては所謂IPRの世界で仕事をするベースの上で日本的なソフトハウスを受け入れることはないという説明を何度もしているのだが、展示会やら新年の賀詞挨拶などで訪れることが続いている。彼らの収益源となってきた携帯電話の基地局関連の交換機開発などがなくなって来たことなどから将来の不安解消に状況を知りたいということのようである。顧客先で聞き及ぶ光景などからも伝わってくる、現場営業の大変さを見据えた上で次の方向性を見出したいということのようだ。確かに、そのソフトハウスの売り上げ実績や収益性という面で財務諸表を見てみると利益率低下と売り上げの低下のダブルアタックとなっているようだ。

カスタマーの仕様に基づくソフトウェアの開発というフェーズのみの仕事の仕方ということが、組込みという特殊性もあいまってプラットホームとしての横展開なども出来にくいという事情がコスト高にもなってしまう要因なのだろう。コスト削減の一方的な要請に応えていく確かなメソッドもなしにいる状況などが透けてみえているようだ。右肩上がりの時代の人数規模の増大なども自社の教育のサイクルなども十分に機能しないままに進んできたようで、解決策としては人材規模のシュリンクで技術品質を高めようという施策で小さな機能性の高い会社を目指しているようだ。IP電話の登場により電子交換機といったソフトウェアビジネス市場が崩壊されていき、SIPサーバーなどの開発という形に形態を変えて生存を賭けているようでもある。端末開発のメニューは、中国や欧州といった展開となりソフトハウスに仕事が下りてくる前段階で国内メーカー同士が手を組んだりして、ますます開発自体の精度と開発費用とが研ぎ澄まされた要請になっているらしい。

組込み端末開発以外でいえば、オープンプラットホームでのデータベースなどのアプリケーションは昨今のインターネット時代のASPアプリケーションの開発の一環などで膨らんでいるらしい。旅行業界などの仕組みも国鉄時代とまではいわないもののタリフの持ち回りなどの古臭いシステム運用を人手でやってきたことなどの”JTB”のようなスタイルから、ネットベースでホテルの予約などが出来る”旅の窓口”のような形にユーザーニーズがシフトしているようだ。そうしたことの裏には可処分所得の適正化が進んだ時代の証として、低価格高品質といったことが多様性のある商品として取り扱えるようなシステムが求められているようだ。単純に”ビジネスモデル”のコピーをしても次のリーダーに向けてユーザーの信頼を勝ち得るのには、力不足である。旅先での不安などにいち早くWeb対応できるまさにマルチメディアに対応できるUMTS携帯端末が世界中で使えるIP端末として動作する時代がきた現在では、そうした併せ技でサーバーとクライアントの双方をカバーする時代のはずなのである。

経験値の応用あるいは横展開をNDAで阻まれてきたのが、ソフトハウスにとっての組込みソフトウェア開発の歴史でもある。そこにプラットホームソリューションにより風穴を開けようとしている取り組みなどが功を奏する状況に入ったようだ。こうした様々な経験値をもつソフトハウス自身が覚醒して、経験値によるシステム開発として顧客先に売り込んでいけるのである。クロスオーバーな商品や技術をシステムとして開発提供していく時代だというのだが、問題は開発スピードであり大会社病に陥ったような硬直した組織や意識では生きていけないだろう。ソフトハウスとしての将来の開発投資をしてきたのかどうかが鍵でもあるようだ。人材派遣業のような形に埋没していたのでは変遷する時代の次には進めないのである。今までの経験値をもつ優秀な技術者達に、明確な指針を与えて技術開発という投資をすることぐらいが出来なければ本当に人材派遣業としての倒産ということの憂き目に遭遇するのみである。ドル箱を抱えているときにこそ次への投資をしなければならないのであるのだろうが、忙しくてそんなことには構う余裕も無かったということなのかも知れない。

ソリューション提供メーカーとしてのQuad社は、ライセンス商売をしている同社の部門とはある意味で矛盾するほどの無私な開発サポートをしていたりもする。まあライセンス適用事例が増えるための撒き餌というようにいわれる方も居るかもしれない。ビジネスモデルとしてライセンスを核に確立してきたチッププラットホームビジネスは、リファレンスデザインでの評価追求をベースに方向修正を繰り返しつつここ五年ほどを費やしてきた。毎年繰り出される新機能を盛り込んだハードウェアやソフトウェアを支援していくことがプラットホームビジネスを生業とするものたちの常なのだろう。”知りたい”という飽くなき追求自体は、知識資本主義と最近は呼ぶらしい。ユーザーをサポートしていくことにより得られる情報は、計り知れないものがあるともいえる。そうした集大成として製品開発の方向性の決定やら優先順位の調停に費やされつつ必要な開発支援体制が確立してきたというのが実情でもある。チップを販売提供していくという立場では、開発費用の費用分担といった目的でのチップごとの契約費用を得てはいるというものの、通常であれば掛かるサポート費用は別立てというのが世の中の通例にも見える。

仕事を選べる時代でもないのだが、居直りにも似たリフレッシュ開発を進めようとしている新たなお客様での取り組み事例などはきわめてインターナショナルな様子になってきているようだ。大規模な陣容としてのソフトウェア開発の常として必要な管理面での組織も専任部隊を契約して設置するなどの最近のCMMの理解も広まっているようである。問題の管理というテーマだけでソフトウェアもハードウェアも管理すべき事由はいくらでもあるので開発チームの新規構成への取り組み事例としても興味深い。チップビジネスを展開するQuad社の技術供与を受けつつの開発ということで、自社技術としてのチップへの実装というよりは自社ノウハウの端末仕様を内外のメーカーに開発委託するという姿が透けて見えている。なにより自社と呼ぶメンバーすらも日本のオフィスの人たちではないようだ。確かに端末として出来上がるものが使われる巨大マーケットであるインド・中国を念頭におけば極めて自然な構成ともいえる。そんな中で大手のソフトハウスや気心の知れた地元のソフトハウスなど多くのメンバーが投入されるようだ。

異例なことは、さらに続きいつもならば日本人のエンジニアが主体となる開発なのでこちらでのトレーニングでは日本語あるいは日本語への翻訳などを補いつつ進めていくのであるが、今回のお客さまからは英語をベースのトレーニングにしてほしいという要請である。こうなると日本オフィスで進めてきたローカライズサポートの姿から離れていくようでもあり寂しい気もするのだが、何よりも日本人技術者がする仕事がなくなってきているのかという危惧が現実となって感じられる事態でもある。自分達の付加価値を再認識してみることが、要請されてもいるようである。暢気に会社の脛を齧って暮らしていけるような時代ではないというのも、こうした風景を見ていると感じるのである。仕事を求めて実際に活動している現場に流れていくということが日本人技術者にも求められているのだろう。となると農耕民族のベースである日本人には合わないのかもしれない。とはいえ地道に開発していくことが評価されずに冷遇されてきた時代を経た今となっては、そうした感覚をもつ期待される技術者が自分の価値観をもてずに悩んでも居るのだ・・・。

驕る平氏は久しからずではないが、最近好調な通信キャリアも、ちょっと見に具合のおかしい通信キャリアも含めて開発競争の現場は大分整理されたかたちとなってきたようにも映るのである。仕方なく流れている仕事に従事しなければならない仕事もあるにはあるようだが、Quad社サイドから見る限りはそうした疲労の残る仕事はないようで、通信キャリアへの教育成果が出てきたと見る人もいるかも知れない。追い込まれた通信キャリアが大英断をしたり、土壇場での判断でばっさりと切り捨てて開発を始める端末メーカーなども出てきてマスコミで誌面を賑わしているほどの将来の見えない端末業界でもないのかもしれない。いずれにしても狭い国土での競争に費やされてきた結果、技術者の島国根性が強化育成されてしまった弊害は、少しずつ改善されていく状況とみるべきかも知れない。第三世代の付加価値としての通信コスト定額性などがようやく評価されるようになったのは、Quad社としての社会貢献といえるのではないかと私は理解している。

では続く次代に見えている姿としての、ソフトウェアプラットホームによる超カスタマイズなどのショップお勧め端末やら、ネットや雑誌で評価される端末ソフトの組み合わせが自在に行えるようなことを定額制の次に私は夢見ているのだが、これを実現してくれるのは果たしてどこのキャリアになるのだろうか。電話番号のポータビリティなどのの行く末に通信キャリアの機能も単なるプロバイダに過ぎない時代に早くなってほしいと願うものでもある。世界中の人たちの英知をリアルタイムに通話をしつつ共有して改善していけるような時代がくるのではないかと夢を見ているのだが、発奮する技術者が是非、国内からも出てきてほしいものである。テレビ会議で、サンディエゴのメンバーと候補者面談を実施したのだが、彼はそんな雰囲気を感じてくれる技術者になってほしいものである。端末組込みソフト開発に10年余りの経験という人だったのだが自身を便利屋さんとして使う会社組織からの離脱を目指しているようだ。予定を30分以上もオーバーするビデオインタビューの結果はグッドだといえるだろう、頑張って殻を破ってほしいものである。