新型FOMAが年明けには発売になるそうだ、年末にはPSXが販売になるそうだし、やはりゲームでなくちゃ日本はやっていけないということなのだろう。来年二月に発売になるものを、この時期に発表しなければならないというのも本来であればクリスマスに出すべき予定だったからなのだろうか。発売を宣言したり、ネーミングに年度を冠したりするのが開発メーカーや開発部隊に対しての発破がけなのかもしれないのだが、果たして忙殺されている現場のことを思いやると声も掛けられない状況なのだと思う。最先端の技術に触れるというキャッチフレーズで求人を募ってきた求人雑誌の誌面に偽りはないというものの、そうかといって正しい表記であったかというと誤解を招いているのではないかという思いもある。誰もが、待ち望む端末を繰り出していくというのであれば誇らしげに仕事を見せることも出来ようものだが、果たして・・・。ニュースを報じていたキャスターは、「画面が綺麗ですね・・」と評して直ちにハンドオーバーしてしまった。
ゲーム端末としての機能は、ドラクエやファイナルファンタジーを動作させることが出来るそうであり、確かに最近ではゲームボーイを痛勤電車での中でやっている若者社会人やら、テトリスをやっている愛すべき中年サラリーマンもいる。平安の都ではないのだろうが、誰もが当時に思いをはせて笏を携えるかのように、ケータイをもち同時に複数の仲間達とリアルタイムに近いメールチャットを繰り広げているさまは、さしずめ漫画の如きである。技術の追求のみに心奪われて、繰り出していく画一化された道具立てのように見える端末と、それを使う世代が、遊び方の工夫とか心豊かな楽しみ方を出来ずにいるのはマニュアル化の温床が背景にあるからだろうか。楽しみ方の広がりとしてバグを楽しむような時代もあった、いかに多くのバグを知っていてその状態を再現できるかといったもの、ある種のゲームであったかも知れない。
ソフトウェアの複雑化により、リリース時期が最優先となりキャリアの仕様にあわせた端末を商戦にあわせて端末を提供できるのかどうかという経済活動のルールでは、モチベーションの維持も大変なことなのだろう。端末価格として支払われるユーザーからの費用と通信費用として支払われる一年余りの費用とで果たして相殺できるものなのだろうか。端末価格に追い討ちを掛けるようなライセンス費用という問題も確かにあるのだろうし、もうプラットホームを統一化してアプリケーションを流通できるようにしなければならないと考えるのは、どのキャリアも同じことなのだろう。第三世代端末としてIPベースで接続が果たされるようになり、最近のGSMにも対応した端末では米国でメールやウェブのアクセスすら可能なのである。アプリケーションがIPベースで構築されるようになってきた昨今では、通信キャリアのビジネスモデルが揺らいでしまう可能性を秘めている。
900番台として銘打たれた、来年リリースが予定されている端末では従来のPDCのI-MODE端末が一斉に第三世代にシフトしたような形で通信キャリアトップとしての意気込みが感じられるのである。快調に第三世代端末で独自路線を闊歩している感のある通信キャリアでは、いかに端末として楽しいかといった機能を具現化しようという方向に変わってきている。PDCという足かせをはずしたことが足元を軽くしているようだ。開発資金注入までして端末開発支援を指揮してきた通信キャリアもあったようなのだが、こちらは端末メーカーが要求する開発費用の額の増大が火に油を注いだようになり一転して資金提供の打ち切りになったという話もあるようだ。端末メーカーとして二兎を追う事は出来なくなり、進むべき道は第三世代しか残されていないというのが、現在の正しい認識なのだろう。しかし、ユーザーにしてみれば、PDCにあった200番台のようなコンセプトを提供してくれないのだろうかと思うのだが。まあメールとWebアクセスさえ出来れば十分なのだと思うのだが・・・。
通信端末メーカーがビジネスとして志向する端末作りと、エンジニアが個人として選択するものの間にもギャップが生まれているように見える。さしずめ現代の閻魔大王の笏ともいえる、ケータイ電話としてなぜか個性の強いデザインの端末が売れているのも事実である。大きなキーボードはデジタルデバイドされた方たちにも優しい形状のようだ。無論、夫婦そろってその端末に買い換えたという知り合いもいる。自分達の作っていきたい端末が通信キャリアのビジネスモデルではあり得ないというのであれば、将来に疑問を持たないのだろうか。やはり端末メーカーが第三世代準拠という端末を自由に作り出して、直接販売するというビジネスモデルに移行すべき時代が来ているのではないだろうか。興味あるデータとして先行した通信キャリアがスペック変更に向けて動き出すらしいというのである。既存端末との並存をいかに果たすのかという興味あるテーマもあるのだが、幅広い第三世代の規格を紐解くと既に対応できる機能が隠されていたようである。
海外ローミングを果たすのが目的としてGSM対応端末を作っていくうえでも、デファクトとして欧州で稼動しようとしている規格に合わせこむことが必要になったのが背景というのだが、I-MODEアプリまでもIPの土管を通してしまえるのであればトンネリングするような形でフランスから日本のレストランの予約が果たせる時代が来るのかもしれない。言い換えれば、通信キャリアとしてのサービスとISPとしてのサービスを分離すべき時代に入ろうとしているのかも知れない。そういえばISPとの協業を目指してきた通信キャリアが合弁解消をしたのも、実はそうした背景があってのことなのだろうかと思ってしまう。当座のデメリットは長いメールやチャットのサービスなのだろうが、何か解決策を見つけた上での所業のはずである。
第三世代携帯電話が目指す姿が、なんだか現代のケータイビジネスのモデルを破壊しようとしているようにも見えるし、逆に言えば良化させようとしているようにも映る。個性ある端末を各メーカーが競争として提供していけるようにすればよいのだが、ナンバーポータビリティの件も、3G規格の変更対応なども含めて時代の舵取りは確実にPDCをベースにした暗黒の時代からの離脱を示唆しているのかもしれない。UIMを差し替えてどのキャリアの端末でも動作するような時代になるのかどうかは不明なのだが、自由なサービス提供が始まるのは期待したいことでもある。新たな情報によれば、LinuxやSymbianベースの豊富なアプリケーションが出回る時代を目指した新たな開発投資の再開が始まったとも聞くし、各メーカーが仕上げられるような状況ではなくなった事態を収拾していくことが日本の3Gの方向性なのだろう。
通信キャリアの端末登録状況は明確な数字として発表されているものなのだが、メディアで発表される端末発売台数ランキングなどはデータ操作されているように映るのは仕方の無いことだろう。まあデータ操作してみたところでユーザーがその結果でなびくものではないのも事実なのだと思うのだがいかがなものだろう。端末を開発している立場でみれば、コンシューマー製品としての企画開発を、通信キャリアの方針や端末プランに合わせて提供していけるのかどうかが問われているので妙味のある仕事なのかどうかというと昔とは違ってしまっているように思える。無線通信技術を追求してきた時代からみると、あきらかにアプリケーションにシフトしてしまった観のあるPDCの状況と同一レベル以上の完成度を3Gの上に求められているようだ。第三世代携帯ゲーム端末を生み出すための苦しみは、今各メーカーのソフトウェア開発陣に大きく圧し掛かっているのが実情らしい。
モシモシハイハイという電話の機能範囲といっても最近では、プリペイドの子供用携帯電話位にしかならないらしい。デジタルデバイドされた人たちへの端末ソリューションとして大きなキーなどが特徴の端末などでもカメラが付いていたりする。日本という枠を超えて端末で勝負を挑んでいくのであれば最先端の技術追求よりも、5%にも満たない普及度しかない国々の人たちにとって有益な端末機能を価格も含めて競争力のある端末として提供できるのかどうかという競争が必要なのだと思う。アマチュア無線でいえば、QRPといった世界での性能追求にも似ている。カスタマイズが出来て、開発コストも部品コストもダウンが出来るようなことの追求だと思うのである。今は、通信キャリアが提示する高みの上にあるような印象すらあるスペックを諦観あるいは達観して開発費用を支援してもらいつつ作り続けていくという路を邁進するしかないようだ。
そんな日常にへき易してしまった知人もいるようで、時期をみて業界を移ろうと、いまは自分自身が出来ることの再確認をする充電期間として捉えているようだ。無論、携帯開発の最先端での機会を得て前向きな仕事をしていけることを確信した知己もいるようで同じ会社とは思えないような切磋琢磨しての仕事の仕方にやる気を出しているようだ。若い技術者が、うまく会社としての仕事と自己伸張の機会とがギアマッチしたことは喜ばしいことである。業界としての仕事の将来については、不確定要素がまだまだ多いのが現実なのではあるが、仕事を通じて自己研鑽を出来る機会が得られるのであればきっと次の転機においても、彼自身うまくギアチェンジしつつ乗り越えていけるのだと信じている。第三世代の携帯ゲーム電話の楽しさを、まだ携帯普及率が5%しかない国々の人たちに伝えられるのかどうかを、デジタルデバイドされたのは国内での老人と若者だけではないということを振り返って考えてもらいたいものである。