いびきが最近ひどいということから、睡眠時無呼吸症候群ではないかとの疑いが発動されて、先日当該分野のクリニックを訪問した。最近の事件報道のせいで一躍名前を知られたのかクリニックでの診断は来年の新春まで予約で満杯だった。簡易診断は直ちに行われて解剖学的見地に立った見方から言えば、咽喉の高さが低く扁桃の切除などを行う手術が考えられるが、オルタナティブとしてはマウスピースをあつらえるということがあるそうだ。いずれにしても状況診断が必要なので宿泊診断もしくは貸し出し測定器による自宅自己測定の実施選択ということになるようだ。どちらのコースを選択してもしばらく、医学的なコメントも対策も講ずることが出来ないと言うのが実情だった。手術ということではなくマウスピースを作るか、あるいは誘因となっている可能性のたかい体重削減に努めるということになるようだ。
運動不足という言い方であれば、段々勤務先や住居が至便な場所に移ってきたことなども要因として考えられるかもしれない。現在の勤務先は、地下鉄駅から連結したビルであり雨の日にも傘をさしなおす必要などはない。高層階行きのエレベータにのれば空いていれば数十秒でフロアに到着してしまう。雨の日に足元を気にしつつ10分あまりも駅から歩くといった風景などから比べればよいともいえるのだが、仕事自体も電話やメールでの対応に終始してしまいがちな状況では日常生活の運動を考えなければならないようだ。以前の会社では、体質改善のために少し運動がてら駅までの道を30分あまり自宅から歩くという生活を続けたこともあった。これはかなりの効果があり体質が目に見えて改善した事例として会社の健康管理室でも紹介されたりもした。そんな時代も自宅の移転やら、会社の転職やらをへて自分自身の健康管理といった面ではちょっと偏りが続いてしまったようだ。
運動目的で少し手前の駅から会社まで歩いてみたりといったことや、あるいは街中の商店街を抜けて始発駅まで歩いたりといったこともしてみたのだが中々続かなかった。何かのきっかけで続けられない事由がおこると、それを理由にするのではないが弱い自分がさらけ出されてしまうようだ。続けられない理由を見つけられない状況を最近は、ようやく見つけ出した。至便な道具を使わないという第三号選択ともいえるエレベータを使わずに階段を利用するというシンプルなものである。この方式を選択すると最近の大江戸線のような地下深い駅などを利用すると良い運動をすることになる。天候に左右されることもない。しかし、最近の社会情勢の不安が首をもたげていて東京を狙うだろうテロリズムなどを考えると深い地下というオプションはオウム事件などから容易に心配されるので細君が禁止要請を発動している。幸いにして銀座線は浅いのでOKということだ。
しかし考えてみるとオフィスのフロアは18階であり、地下から考えると途方も無いような気もしてきた。低層階行きと高層階行きの二つのエレベータのあるビルでもありやると決めたので、登り始めると引き返せなくなってしまった。18階という階差が割りやすい数なので、いまは1/4だとか1/3だとか励みにはなるのだが、ともかく登り始めると諦めたとしても最低でも高層階行きのエレベータまではたどり着きたいというのが初日の思いだった。高層階の始まりは13階なのである。案の定初日は、そこで挫折してしまった。翌日はもう少し頑張ろうと15階までたどり着いた。このフロアにはエールフランスの事務所があり汗かき息も乱れた中年叔父さんがエレベータ乗り場から乗り込むのにはちょっと憚られた。そんなときに限って仲間の女性も乗り合わせていて「どうしたの小窓さん、こんなところから乗ってきて、なあにもしかして階段できたの、いやぁだ・・・」などと囃し立てられる始末となった。
三日目にしてようやく15階のバリアを越えて16階に到達すると頭をよぎったのは、「もうこの上の階はべつの仲間の居るフロアでもある」となんだか到達してしまったような気になってしまったということだった。確かに汗はかき息も大変な状況ではあったが、あとの二階を攻略して高みに到達することが出来た。時計を見やると五分あまりしか経っていないという事実だった、人間の感性なんてずいぶん非線形なものだなと改めて思い起こさせてくれた。とはいえ高みに到着してしばらくは汗をかきかき息を整えるで精一杯だった。一週間ほど続けたところ、体がびっくりしたのかある朝腿の付け根あたりが痛みを覚えたので様子見に一日自宅で仕事をすることにした。いままで自宅に置いてあったステッパ−は細君がいくら「あなたも運動をしないの」と誘っていたにも関わらず意固地に拒んでいたのがスーット踏むことにためらい無くは踏むことになれたのは不思議な感覚だった。
確かに朝の五分間のハードな運動ではあるが、山歩きで言う最後の直登といった感触を味わうことが毎日できるのはある意味楽しいことである。最近は、こうした感覚を持つことができるようになった。とはいえ、まだまだ一朝一夕に体重が減ったりするものではないのだが、ハードな運動を経た後の軽くなった足元の感覚をほぼ働いているあいだ維持できるのが快感でもある。もう少し進めば昼休みにも、もう一本やろうかということに繋がるかもしれない。今考えると意固地なままに運動を拒んできたような気がするし、何かのきっかけでそうした壁が取り払われたように感じている。やはり何か違うことに挑戦するということを日々実践していくことは大切なことだろう。続けていくことの障壁になるのが器材の障害だったりもするものであり、以前少し踏んだことのあったステッパ−などは細君と二人で利用したことがいけなかったのか摩擦熱で金属疲労をおこして壊れてしまったのだった。
現在利用しているステッパ−はそうした恐れもなさそうな、米国製の鋳鉄で出来たフレームにオイルダンパーで出来たプロボクサーが使うようなヘビーなものである。まあ、このステッパ−を踏んでいる運動の強さ自体は30分ほど踏んでも朝の五分のようにずっしりと残るものではないのだが、汗ばみ運動している感触として入浴まえの運動としては適度なものといえる。健康的な生活を続けているのが、まあある意味で余裕のある季節なので、問題は日本のお客様の支援活動の中でいかに米国流な緩やかなマイペースでスイートスポットを押さえていくような仕事スタイルに持っていけるのかどうかが次のシーズンの課題ともいえる。まずは来週の渡米作業の間にホテルでのジムなどの活用が如何に出来るかが課題ともいえるのだろう。毎朝、何は無くともこのページをアクセスされている読者のかたも居るようなので私以上に余裕ある技術者生活を実践体現されているらしい。まあ個人の意識さえあれば、そうした生活を実現しやすい環境であることは事実といえよう。あとは個人の問題なのである。個人の問題が少しずつ集約した結果として組織になっていくので、流されやすくなってしまうのかもしれない。そうした組織の慣習やらを改善していくためにも、まずは自己確立を追求していくことが必要なのだろう。