業界独り言 VOL257 サンクスギビングのひととき

収穫祭として米国メンバーの殆どは、この休みに入ってしまっている。もう水曜から次の日曜までがサンクスギビングに始まる年末休暇シリーズの第一ステージの始まりだ。こんな時期に没頭できることは、リリースされた情報の事前調査やらといった仕事や求人に申し込んできたレジメの確認やらといったことになる。お客様自身も慣れたところでは、急ぐ内容については予め手を打たれていたり、あるいはこちらから解決を急ぐように連絡をしたりといった事前策も打ってはいる。日本のお客様の仕事のピークと中々マッチしないといった実情などもあるのだが、致し方ないところである。事前の根回しや対応をとるといった異文化の認識が大切である。

米国にあわせて休暇をとる仲間も多い、忙殺されてきた時間との調和をとる意味でもそうしたことは大切である。最近は運動不足も祟っているので、こうした機会を機に階段昇降を選択したり、一駅ウォークなどを心がけている。五分間ほどの階段の登りは、なかなかきつい運動でもある、オフィスに着く頃には汗ばみ息も切れてしまう。始めた当初は、自分の階まで行き着かず途中の階からエレベータにのり仲間にあって「どうしたの、こんなところから・・」と赤面する事態になったりもした。少なくとも階段を選択してしまうとある程度の階まで行き着かないと連絡するエレベータすらないのが実情なのでよい訓練ともいえる。

のんびりと着実に進めていくことをテーマに取り組んできた組込み作業であるところの個人としての無線機作成プロジェクトもようやく、無線機として所定の性能を出すことが確認できる段階にいたった。よく出来た設計は再現性も高く、調和の取れた端末といえるようだ。といっても私自身は、そうした面での経験はアマチュアなので後輩や先輩に教えを乞うのである。もう退職はされた先輩は、無線機作りの趣味とソフトウェア技術者の後輩育成といった使命とを併せ持つ方で、いろいろと意見を頂戴したりしている。道具も不十分な中で製作を進めたりする有り様の中で測定器や工具の準備も色々と教えていただきながら進めてきた。開発仕事と一緒で準備万端でスムーズにいくと言うことは実感だった。

まずは、プロフェッショナル用の工具として、周囲からは笑われたのだが温度コンローラ附きのハッコーの半田ごてが良かったと思う。価格は2万円弱だったと思うのだが設定した温度に対してクイックに反応してヒーターのコントロールが行われて綺麗な半田付けが達成できたとと感謝している。慣れぬ者こそこうした道具は利用していくことが大切である。これにより半田付けに伴うトラブルは皆無だったといえる。大規模なキット故に、部品の過不足や改版情報に伴う組み立てマニュアルなどの不備を確認していくことなども起こるのでサポート会社とのスムーズなやり取りもユーザーとして感じることができた。普段とは逆の立場であった。自分の体調も含めて無理な作業は誤りを生んでしまうのも事実であり、入念に部品を整理してマニュアルをよく読み疲れた場合にはそこで終えるといったことが大切である。

既に老眼の域に突入している目の状況からは、必要な道具として大きなスタンド付きのルーペが、有用であった。シルク印刷されている基板の上に指示された部品を探すのはあたかも「ウォーリーを探せ」といった状況なのである。幸いにして1005や0603といったチップ部品はないのが救いだったがそれでもカラーコードを確認したりトランジスタの型番を読み取るのにもルーペは必須であった。とくにカラーコードの読み取りで茶色と紫の区別が難しいと思った。老齢からくるものともいえるだろうし色相から近い色になっているからなのかもしれない。作成のために購入した道具にはDMMもあり抵抗レンジでの測定なども頻繁に利用して確認実装していった。トロイダルコアにエナメル線でコイルを作成していくのも初めての体験でお客様のアナログ屋さんの少し昔の体験を共有するような気になれた。

無線機を作成していく上で必要な道具には、周波数カウンターもある。秋葉原の著名なパーツ扱い屋の秋月などが扱っている周波数カウンターキットなどもあるのだが、最近は中国や韓国の測定器も取り扱っているようで周波数カウンターは、たまたま会社にも無かったので韓国製のものにした。無線機の組み立てに入ったのが今年の七月なので既に五ヶ月あまりを費やしている長期プロジェクトでもある。本来の試験電波発生までの期間を超しているような気もするのだが、幸いにして電波管理局からのお達しまでは届いていない。周波数カウンターにより、無線機に内蔵されている幾つかの発信機の校正をする必要があったのだが、少しハメを外してCDMA用の周波数標準ユニットなるものに手を出してしまった。

本業である仕事に関連しているかと思われた質問メールが学校の先輩から寄せられていたのが、きっかけである。何せ先輩自身がウロ覚えの情報だったようでジャンク品としての当該ユニットが秋葉原に出回ったらしいが最近は入手できないがなんとかならないかといった話だったかと思う。CDMAやGPSといったキーワードから、「これは小窓君に聞けばなんとかなる・・」と思われたのかどうかは知らないが。私が同様な情報を目にしていたのはCQ出版の雑誌広告の隙間に載っていた米国扱いの広告で249ドルでジャンク品が手に入るというものだった。何せ周波数校正に使う以外には、なにかの時刻標準にするといった目的以外にアマチュア向けではない代物なので恐らく大きそうな筐体を自宅に置くのはね思っていたのである。

先輩からの問い合わせメールと自身の無線機の周波数校正などの話から、このジャンク品を購入して利用の上で先輩にプレゼントしてしまうことで必要に応じて借りにもいけると言う一石三鳥といった展開になった。科学する好奇心をもつ若い技術者にとっては良い教材になるだろうし校正もままならない学校において正確な周波数標準が手に入ることには意味もあるはずだからだ。特に自身の税金対策としての寄付をねらったわけではない。ああ早くそんな身分になってみたいものだが・・・。米国から購入したこのユニットは本業であるCDMA基地局のリニューアルで米国のキャリアから放出されたもののようです。PC接続のソフトも付属してきたので所謂DB25コネクタ経由でRS422接続で繋がるというものでしたがNet散策で見つけた解決策は基板自体に設定ジャンパーが搭載されているようでした。いろいろな情報から設定が必要らしいです。まずは開けたりするためにトルクスドライバーセットが必要になりました。

のんびりとした中で工具や部品を求めて秋葉原にいったりするのは、まああるべき姿といえるでしょう。幸いにして昼休みくらいの時間や帰宅時間を早めれば神田までは最低運賃でいけるのが便利なところでもあります。トルクスドライバーやジャンパーポストを手に入れて422から232に変更するために表面実装の抵抗チップを半田付けで取り去りました。PC接続用に必要なコネクタ結線にするための冶具を作成したりといったことで、ようやく周波数標準を動作させるPCソフトウェアとユニットを接続して必要な経緯度情報をユニットに教えることで衛星同期に成功することが出来ました。この周波数標準ユニット自体は、もう通信装置の更新と一緒に廃棄処分されたものですが内蔵されていたマイコンなどは私には懐かしいモトローラの32ビットマイコンでした。

まあこんな脱線をしつつようやく購入した韓国製の周波数カウンターの精度確認をしたところ10MHz測定で4Hz高めということなので、まあ十分な精度の測定器だなという安心を得ることが出来ました。忙しいなかでの時間を割いてする仕事はゆるやかな時間を楽しむと言うのがアマチュアの良いところなので納得のいく仕事をしていくというスタイルを追求しているわけです。ある意味でQuad社の開発風景と似ているところも在るかもしれませんね。ユニットは早速先輩の先生に着払いで送付してしまいました。寄付なのか、押し付けなのかは人によって違うかもしれませんが、今回のものは先輩にとっては願ったり適ったりということのようなのでうまく情報をまわすことによって得られた成果ともいえます。好奇心と積極的な行動は大切なものです。

組み立てと調整をしつつ、受信機の調整にはやはりSSGも必要であるということが判明しました。とはいえ義弟に貸していた無線機をまずは戻してもらいダミーロードに接続することでアマチュアバンドの旧型の範囲については調整することが出来ました。無線機自体が20年近く前の機種なので後年拡大追加したバンドには対応できてないのです。無線機と一緒に手配したアンテナは垂直のダイポールだったのですが、近隣の住宅への影響も考えて少し価格は張るものの同調形の磁界ループアンテナというものにした。アンテナの同調をとるといった目的もありアンテナアナライザが有用であるということから、これを利用するとSSGの代わりにもなりそうだということに結論付けて受信系統の調整を完了させるまでに至った。無論、前の会社の先輩から大掛かりな測定器の貸し出しの申し出も受けてはいたのだがちょっと置く先を勘案してまだ、そこまでは至っていない。

アンテナの設置には、仮設置として物干し台に行っているのだが、最終的には屋根馬を設置して屋根の上に置く必要がありそうだ。組み立てるユニットにはアンテナチューナーもあり、これを利用してローバンドに出るためのワイヤー設置なども思案中である。電信ベースでの携帯型無線機なども出ているようなのでこうしたキットにも触手が動いている。なにせ米国との往復出張なども頻繁なので、海の向こうから小電力での電信運用などの楽しみも増えてきそうな状況である。メールやインターネットのご時世と逆行する趣味と映るのかもしれないのだが、好奇心追求していくという仲間とのコミュニケーションを図るといった目的にはとても適っている趣味なのだと思う。もしもしハイハイといった手合いはケータイに移行しているので本来のアマチュア無線の世界に是正されたのではないかと思っている。

私自身はアマチュア無線という切り口で、学生時代から好奇心を満たしてもらいつつ、エンジニアの道を志してきた。アマチュア無線機の設計こそはしないものの無線機器やシステムの設計をソフトウェアの観点から続けてきた。そして実現してきた自動車電話やケータイといったもののお蔭で最近の人たちには無線で通じると言う感動はなくなってしまったのかもしれない。しかし、ブラックボックス化せずに内容に向かって好奇心を抱きつづけることで新たな発見や創造が生まれてくるのだと思う。いま若い世代のエンジニアの人たちが好奇心を失いつつあるのではないかと感じているのだが、いかがなものだろうか。DSPの限界やアナログとしての限界、あるいは素子としての限界などに好奇心を持ちつつバランスの良い設計を目指していくというのも肩から少し力を抜いて自身の在り様を見直してみてはいかがだろうか。何か共通のテーマを見出して活動をしていくというのがインターネットの時代のエンジニアの姿のような気がしている。

作り上げようとしている無線機にもDSPユニットが搭載される予定であり、このユニットはオープンソースでリリースされるとのことである。時代は変わってきたなと思っている。キットでクリスタルフィルタ自体をラダー型と呼ばれる同一共振周波数の素子を沢山半田付けしてバリキャップで制御したりしている。ある意味でとってもオープンである。ブラックボックスがまったく無いわけではなく沢山搭載されている制御マイコン自体は公開はしていないようである。性能を確保しつつ自由にさせるといった考え方はQuad社のチップの考え方にも通じているようだ。Quad社も時代の要請に応えるべくアプリケーション用のDSPチップについてはオープンにするという考え方があるようだ。半田付けからDSPソフト、そして総合の無線機性能を身をもって体感できるという奥深い趣味なのだが、こんな気の長い趣味が嫌われるのは基本ソフトを重要視している余裕がない世の中の流れと同じなのかもしれない。

業界独り言 VOL256 自由な風土のもたらすもの

メーリングリストを始めて四年が経過してようやく通算で9ビットの領域に突入することになる。知己たちの中には、メーリングリストの本文までは不要な人も多いのだろう、ある意味で私からのライブ信号あるいはハートビート信号のようなものであると思っているらしい。気にかかるテーマにメールを呉れる人もいれば、掲示板への書き込みで新たなテーマを呉れる人もいる。毎日の日課のようにメーリングリストとは関係なくバックナンバーのページをアクセスしている人もいるようだ。ちなみに私は自分のサイトのアクセスログを確認するのが日課になっている。メーリングリストへの反応を知るのによい方法だと考えているからでもある。長すぎるといわれたメール解消策として先頭のさわりというか起承転結でいうところの起の部分で引っかかってくれれば後半にというのが現在の独り言のシステムでもある。

めでたく来月から一人、わたしの知己が支援技術者としてチームに参画することになった。同様な時期を過ごしてきた彼には感性を同じくするものとして、このジョイントに歓迎のエールを送りたい。アナログ屋あるいはデジタル屋と分類するだけでは不十分なシステム屋の屋号を最近は掲げている知人のK君がいる。もとよりデジタル無線というものを標榜してきた彼にとっては両輪が回らなければ解決できないというのが実情なのだろう。そんなK君も最近ではチップを同時に複数任されていて自分の仕事は、IC開発屋だと称しているらしい。地道に開発してきたチップセットをまとめると一大事業になるのではないかと私は高く評価しているのだが、彼の壮大なプランを理解して支援している彼のチームにもエールを送りたいのである。こうした彼の思いを正しくトップが把握していれば良いのだが、互いに誤解していた上で、たまたま動いているケースでなければ良いと願うものでもある。

メーリングリスト開設までの過程からいえば、昔のミニコミ誌の創刊からの流れと同じような感覚であり開発現場の底流に流れる横たわっている共通的な問題点に対しての問題提起であり、自分としての考えを訴える場所でもあった。そんな小冊子が続いたのは、あるビッグプロジェクトの予算の影で共通要素開発といった切り口の自身の仕事の広告や情報収集といった面が強かったかもしれない。当然、プロジェクト解散後の状況でいえばわざわざ印刷してまでも配布するといったミニコミ誌が果たせる理由について自身としても確保することが出来ずに中断をしてしまうにいたった。転機を迎えることになった要因を外部に求めてしまえば神戸の大震災を挙げてしまうかもしれないのだが、もとより自分の率いていた当時のプロジェクトの凍結といった事態が自身としての余裕がなくなってしまったからかも知れない。こうした事態を迎えてさらに強く生きられずに殻にこもってしまったというべきだろう。

ベンチャーのようにシャカリキになって大企業の中を横断的に積極的に駈け回った発端は、自由な雰囲気の当時のプロジェクト運営だったろう。新たなビジネスを創生するための基礎技術であり実際の仕事への結びつけも含めて大企業にあるまじき雰囲気で開発が積極的に進められていたのは求心力のあるリーダーの元での仕事だったからだろう。そうしたリーダーの影響を受けて構成員は発奮して自分の持分を存分に仕事しようというやる気を引き起こさせてくれたのだと思う。そうしたキャラクタを買ってくれてか別のリーダーのもとで進めようとしたプロジェクトにリーダーとして引き抜かれた仕事には、夢を描きすぎた結果の凍結といった事態になってしまったのは、つづく世代を発奮育成させることが出来なかったことも要因のひとつだろう。デジタル化を進めていく上でプラットホーム論議がRTOSのみで終わりがちな時代にあってスクリプトの話を持ち出すには風呂敷が当時の会社には大きすぎたのかもしれない。

おおかれ少なかれエンジニアの中には、成功や失敗を繰り返して成長していくものだと思うのだが、とかく国内の製造業のソフトウェア技術者という職能にあっては長く技術専攻で仕事をしていくという場所がないのも事実である。挑戦できる機会が限られてしまい、いつものになるとも判らないあまた多数の開発テーマなどを研究させることには最近の国内メーカーは関心が乏しいのが現実である。技術者が考えを暖めつつチャレンジできるのは与えられた製品開発の中に徐々に埋め込んで実装実現していくことぐらいが関の山であるらしい。上司との間でそうした問題意識が共有できていれば継続的な形で仕事も進められようものなので、さきに紹介したシステム屋の彼などは恵まれた環境にいるといえるだろう。まあ彼自身はソフトウェア技術者という分野ではないのだが課長という職責を与えられてもプレイングマネージャーを貫こうとしているのは清々しく映る。

今のベンチャーに転職したという自己認識は、自由な風土にあると感じているし、前の会社でもある意味でベンチャー部門に所属していたのではと思っていたぐらい自由な雰囲気だった時期がある。無論大企業病が蔓延するなかで、いかにリーダーが腐心して部下達にベンチャー風土を実現しようと努力していたのだろうかと気がつくのはそうしたリーダーから離れてからなのである。また逆に自分自身がベンチャーの風土を実現しようと腐心して活動を起こしつつあるなかで、型にはめようとする会社の人事方針などがすりあわなくなったのも事実かも知れない。21世紀を迎える中で日本の製造業も年功序列を廃し変身したようなので、これからの若者達にとって良い環境になることを期待したいものである。会社に残り達観あるいは諦観して暮らしていくという道が閉ざされてしまったらしい現在とは異なり、当時の自分としては何か出来ないかと模索していくなかで結果として転職する羽目に陥ってしまったのである。

有数の企業が崩壊していくのを目の当たりにしていると、それまでの歴史も積み上げもあっというまになくなってしまうもののようだ。かつて、その会社のようになりたいと目指していた二つの目指す目標となる会社が前の会社にはあった。どちらの会社も現在では状態がおかしくなってしまい、そのどちらも陥った理由は同様なソフトウェア開発の破綻が契機だということなのだが、自由とは程遠いらしい、その会社の雰囲気が現在の会社で仕事をする中で判ってきた。自由な雰囲気を支えるために必要なリソースをアロケーションすること、またそうしたテーマとビジネスを舵取りしつつ続けていくことなどがベンチャー気風を支えていくために必要なことだろう。多くのベンチャーが起業して実践する過程でビジネスモデルを達成できずに当初確保した資金切れで破綻してしまうのは無理からぬことである。ベンチャーの雰囲気を継続していけることの凄さには、成功するためのビジネス戦略としての優位なパテントなどがベースにあるのがQuad社が続く理由でもあろう。

知己を通じて、Q社の社史が知りたいと申し出てきたひとが現れた。「半導体メーカーとしてのQ社の強さの秘密」といったイメージで弊社を見ているのだとすれば何か場違いな印象は拭えないだった。しかし、考えてみれば自身としての理解整理の意味でもこの申し入れを受けて対応することで得るものがあるとも思われた。流動的でフラットな組織あるいはメールをベースにしたITによるワーキングスタイルが時差のあるアジア地区のお客様にミートしているともいえるし、自身で経験してきたことも含めて話をすればよいように思えたので受けることにした。しかし、実は整理した社史がないらしいという興味深い事実もあるようで、ローカル社長の講演資料などをベースにした上で進めることになりそうだ。そういった意味においても大会社とはいいがたい会社である。社長室などが編纂していくだろう社史がないのはベンチャーの証明かも知れない。

最近ある興味深いデータが出てきたのは、仕事がうまく回る要因が、この自由な風土に根ざしているという事実である。社史の整理がてら見直してきた資料は、作成してきたカタログやお客様向けのニュースレターなどであるが、ロードマップの変遷や組織変革などがダイナミックに動いてきた経過がわかる。保守的な人は、はずれていき前向きな人は登用されて伸びていくのも明確である。失敗の歴史もそうした中には見え隠れするのだが、失敗するくらいの投資がなくては成功はおぼつかないのも事実であり、失敗となった開発成果の回収についての腐心のほどは後年実用化する技術の中で再会したりもしている。自由な風土で働く人々の前向きな積極性が、結果としてお客様を通じたビジネスを捕えて、それを支援していくことで開発が成功していくという図式ともいえる。パテントが柱ともいわれがちなQ社ではあるが、開発支援を積極果敢にこなしていくという姿は、なぜか脚光を浴びないのは組み込みの性なのだろうか。

高いかも知れないロイヤリティーを要求していくビジネススタイルは、無償サポートのなかでお客様も巻き込んだフィードフォワードあるいはフィードバックを実際の市場での確認試験を通じて実証されたソリューションを提供していくということが、実は最も大きなアドバンテージなのではないかと感じるようになってきた。最近は、世の中のご両親たちも小言をいわないお坊ちゃま、お嬢様を育てる風潮になってきていて高ビーなお客様が増えているようにも映る。そんな中でお客様に対しても、対等にアセスメントとして回答をするという風土が無償サポートを通じて、限りあるリソースの中で最良の結果を導いていくためにお客様自身を納得させて導いていくといった仕事になっているように思える。高いライセンスだといわれるライセンス費用を払わずに自社開発した場合を考えていただくのが論理ではあるのだが、ノーチョイスのCDMAではなかなかご理解いただけないのかもしれない。私自身がサポートをしているUMTSサイドの実情からいえば、まさにチップベンダーとしての競争の場であり、お客様自身がようやく重い首を縦に振り始めるようだ。

自由な風土が、CDMA陣営の先鋒である会社の中で起こった、反対側のUMTSの開発というプロジェクトを許容して、ビジネスモデルでぶつかり合う競合キャリアなどとの関係なども含めて、ここまでニュートラルに進めてくることが出来るまでの歴史は書ききれる範囲を超してしまう。まあ、想像していただくしかないだろう。UMTSの開発にアロケートされてきた人材が拡大してきた背景には、開発実績やビジネスに裏打ちされてきたからであり闇雲にここまで走ってきたからではないのである。地道に開発を続けて、全世界に試験場所を求めて端末を自ら持ち込み実証試験を果たしてくるなかで、自由な風土でない会社で進められてきたある意味で傲慢な標準規格というオプションだらけの世界を繋いで来くることが出来たのは必然だったのかも知れない。気がつけばトップランナーとして各通信キャリアからレファレンス端末として利用されるまでにいたっているのは、1999年春のNHKの番組を回想しつつ興味深いものである。

業界独り言 VOL255 懊悩するエンジニア

忙しさが、一段落して次の段階を模索している。新規開発のお客様の登場への対応や、新機能の実現への戦略など肉体活動とは裏腹に頭脳活動が忙しくなっている。商品化最終段階を迎えるお客様との開発作業には、精神修養の場とも思えるような精神活動も必要であり肉体活動も厳しい状況を迎えてきた。そんな状況をクリアしてからの現在では、次の段階として過ちを繰り返さないためのソフィスティケートされた取り組みへの切り替えなどの戦略が求められる時期でもある。自身の解析能力の蓄積以外にも、人間分析などの素養が求められる求人採用活動などもスケジュールを埋めている昨今である。平日の出張はないものの、会社帰りの夕食がビジネスミールとなってしまう傾向にある。

そんな中で米国在の知己が国内に来ているので夕食を一緒にどうかというVPからのメールが、今まさに自宅に帰るコールをしたときに入った。内容を確認の上、自宅にキャンセルコールを入れて待ち合わせ場所に向けて、帰宅ルートを変更した。地下鉄の方向は逆になるもののどちらに乗っても自宅への帰宅方向に影響はなかった。渋谷駅の上に作られた新しいホテルのロビーでVPや知己と合流して高層階のレストランに向かった。プリフィクスディナーを取りつつ、再会を祝いつつ近況のアップデートをしていった。知己のやってきた仕事はある意味で私の乗らなかった前の会社の仕事でもあり、ある意味で別の歴史の流れを見ているような気持ちも入り混じっていた。私の予測が正しかったかどうかは不明だが、出来た成果に満足している知己の姿は、すがすがしく思えた。

新たな米国でのビジネスに向けて取り組もうとしている、知己は自己の確立した米国の仲間達とのビジネス確保という責任とともに、日本の会社を通じての貢献という目的に則った落とし所を考えているらしい。部長クラスの彼に寄せられる期待は、そのまま会社活動の戦略そのものでもあり、彼が元気に仕事が出来ないような会社では、続く部下達が未来が描けるはずもない。彼を支えている現場のエンジニア達と、彼が考えるお客様への将来の貢献とのマッチングを図っていくためにも彼の感性に会社が期待しているのだろう。彼との会食が、お互いの感性の爪とぎといった目的として意見交換をしているのが、会社のビジネスミールにしている理由でもある。相互に悩むテーマがあり、何か新しいきっかけやアイデア探しをGive&Takeで考えているのである。

会社としての仕事の範囲や方向を思い込みで狭めていたりはしないだろうか。特定の通信キャリア向けの仕事に打ち込むという一途さをもって会社としての誠実さだと思っているのかもしれない。しかし閉塞された政治的な状況の中でブルーな気分で企画を悩んでいても仕方がないのだとおもう。ビジネスチャンスとして捉える範囲を自らの会社の技術蓄積に基づいて方向是正していくのならば、なにも悩むことは無いのだろうと思うのだ。端末の開発などの効率を如何に改善していくのかという命題を実際のビジネス展開の中で最近は考えていくようにしている。難しい条件のお客様であればあるほど考えることは楽しいものである。色々なアイデアを提案していくうちにお客様自身も悩んでいたことから開放されて頑なな考えから一歩踏み出したりもしてくれたりするのである。

複雑化してきたデジタル化ネットワークの中で、どの通信キャリアのシステムもブロードバンドを目指して変わろうとしているのだが相互接続の壁は中々埋まっていないようである。お互いにネットワークとして存している限りにおいては、このネットワーク相互接続という命題を考えていくには積極的な理由が無い限りは進まないものである。ユーザーの視点から解決を図っていこうとした場合には、むしろネットワークよりは端末からの視点のほうが自由な発想に立てるものであるとおもう。最近マルチモードに対応したチップセットを開発提供しはじめてからは相互連携するような機能をユーザーに高次元から使わことが出来るような設計に変化してきている。なにせ相容れない競争しているキャリア同士の方式の双方に対応したり、あるいは電話とLANの世界の接続のような話が日常となりつつあるのだ。

WCDMAの第三世代目のチップとソフトのトレーニングを行うことになったのは、なんだか意義深いような気がしている。予期したように、もうプロトコルの解説などの項目はなくなっている。開発の中心はアプリケーションの実装に軸足が完全に移行しているのである。アプリケーション開発の仕事がお客様の開発費用の七割くらいになっているのではないだろうか、残った三割でハードや接続試験やプロトコル確認といった範疇になっているのである。無論、自社開発している方の具体的な数値は無いのであくまでも現在知りうるお客様の概観としてだが・・・。三年前頃にやっていたアプリケーションのためのプロセッサ開発自体は、お客様のアンタッチャブルなドメインを侵犯してしまったらしく折角の技術開発成果も利用されることはなかったが、しかし暖めてきた、こうした技術が花開く状況まで続けていたのである。

デュアルチップで提供しようとした段階でお客様から否定された理由づけの項目に悉く現在ではお客様自身が陥っているのである。やはりモデムプロセッサの上でアプリケーションとモデム機能の両立を果すべきというのがお客様から学んだ我々のテーマだった。このテーマに取り組んでこれたことはチップメーカーとしての次を考えて必要なことであった。チップセットの設計ルールの細密化により高機能化とともに果すべき内容をお客様の一般化した形での機能を出来るだけ安価にカバーしようというのがポリシーなので、必ずしも日本のお客様のハイエンドなニーズにマッチしないこともある。モデムチップセットビジネスの大変さは、3Gの混沌とした規格のなかで旅立ってしまった通信キャリア達のある意味で標準化の中からのローカライズ妥協の産物でもあるオプション選択の豊富さと様々な解釈を許してしまう仕組みにともなう相互試験コストでもある。

日本のメーカーがチップセット開発を続けていけない理由は、ビジネスとして離陸しない中でのこうした開発費用を端末利益から補填できないからでもあった。加えて通信キャリアが要求する無体なアプリケーション開発の要請が、ますます日本での突出した開発規模の増大につながり破綻が連鎖反応しはじめたようである。なぜか開発を続けてきたCDMA陣営のリーダーという会社のなかでのWCDMA開発という色物扱いだったテーマが脚光を浴びるようになったのは不思議なものである。同根の技術を完成させていくうえで我々自身が学んだものは標準という中での複数のオプションや実装の違いという現実の真摯に向き合ってきた集大成からだともいえる。なぜか私が第一世代のWCDMAチップから支援を続けてきたことは、知己の言葉によればマンガのようだとも言われてきた。自己否定の中からの仕事を通じて現実に辛口に向き合えているのかもしれない。

WCDMAやGPRSの開発といったテーマから今回のトレーニングではカメラ附きケータイの作り方やテレビ電話といった話題にすっかり移行してしまった。しかし、まだ私が昔の小冊子で思い描いていたようなアバタ−を使ったUIを作ろうといった夢のあるテーマにまではお客様は向いてはいないようである。折角のGameマシン相当の三次元描画やサウンド機能があるのに画一的な押しボタン型のUIをグラフィックスで実装してもつまらないと思うのだが、そうしたUIにも1000人月を越すような開発費用のつけが残っているかららしい。考えてみるとバブルの時の残債を抱えている人たちがマンションを処分できないのに似ている。不良債権と認識されて国から処理費用が補填されたりもしているようだが次に繋がる開発なのかどうかを企画を立てる人がナビゲートすべきテーマであるはずだ。ちなみに我が家の新築には中古マンションや中古一戸建てを住み替えてきた歴史が結果オーライとなってきたのは単なる幸運なのだろうか。

引っ越して四ヶ月が経過した、住み慣れる暇もなく出張ばかりが続き最近になりようやく自宅からの通勤が続くようになってきた。見ていると町の風景も変わっているようで、商店街にあったパチンコ屋が四半世紀の営業をやめたという看板が出ていた。寂れつつある駅前商店街なのであるが時代の波に乗れない経過なのかも知れない。かつてははやっていたという商店街だったらしいのだが、さらなる発展を目指して昼間込み合う交通量規制を警察に申請して三時から六時までの時間を車通行を規制することにしたのだが、これがきっかけとなって「不便な商店街」の烙印がおされてしまい廃れていってしまったのだという。廃れたことの証明は、通り沿いの商店の活気のなさからも頷ける。内科医ではないものの症状分析が不十分なまま外科手術あるいは強い薬を打ってしまうことの怖さがそこにはある。

業界独り言 VOL254 YAMAUCHIの謎

組み込みソフトではないが、暇を見つけてはアマチュア無線機の組み込みユニットの作成を手がけている。最近では、見かけなくなった大規模なキットであり、中身は半端ではない内容となっていて、もう中年真っ最中の私としては視力補正機構を付けなければ仕事にならないのも事実である。まあ携帯電話の開発現場とは異なり米粒ほどの表面実装部品0603などの部品を採用している部分までは、ないのがせめてもの救いでもある。そんなキットがあったとすれば、まともに組み上げられる人は数少ないし、ビジネスとして成立するとは思えない・・・。まあ、古きよき時代を懐かしむ世代が暇を潰していくのには最適なおもちゃである。半田ごてを握り、組み立てていくといった風景は、最近ではロボコン参加を目指す子供たちぐらいなのだろうか。

組み上げている無線機には、既に数多くのマイコンが搭載されているようだ。マイコンが搭載されているからといってもPICマイコンなのでI/Oラインと簡単な発振子と電源位しか接続されないのでシンプルな限りである。構造から言えば、各構成ユニット毎のコントローラとしての機能をうまく通信しつつ動作するようになっているものだと感心したりもしている。かつて四半世紀前に遭遇した自動車電話の商用機種にマイコンが複数搭載されていた史実(?)などを思い出したりしてアマチュアが自由に使いこなせる時代に到達したのだなと感慨もひとしおである。ビット同期をソフトウェアで行ったりトーン検出を行ったりといったのが当時のサブシステムの4ビットマイコンの役割でもあった。信号処理と系統制御を行っていたのは16ビットマイコンでもあった。

アナログ無線機で構成されていた時代では、分散マイコン同士が通信して協調動作するといったものではなかった。機能ブロックのハードからの置換といった目的で自由に組み替えられるいってみればCPLDのような位置づけでの使い方だった。周期を計測してトーン周波数を検定したり、低速信号の同期捕捉処理を行ったりといった使い方である。当時の8ビットパソコンなどでもデュアルマイコンなるものも登場してきたのは、グラフィックスなどの機能拡大とメモリ領域の確保といった背景があった。無論各社の対応は巧みに隠し機能を使いアドレス拡張を施したシングルチップ構成もあったし、グラフィックスプロセッサを開発したりといった会社もあった。素直に二個のマイコンを搭載した国内メーカーではメインCPUとのコマンド通信処理で実現していたのだが、通信オーバーヘッドが仇になりゲームなどが作りにくいといった風評もあったのだが、ハッキングして流出した情報は「YAMAUCHIの謎」というものだった。

リバースエンジニアリングなど当たり前の時代でもあり、解析をした結果分散マイコン側にソフトウェアをダウンロードするためのパスワードが”YAMAUCHI”という文字列だったのである。開発担当者の名前だったのかも知れない、キーボードなどのイベントのみを通信経由で実装することでいわゆるインベーダやらギャラキシアンといったゲームの実現が果たせたというのである。シングルであれば簡単なテーマが分散処理することによりアーキテクチャにあわせた実装検討を強いられることになるのは繰り返す事由なのだろうか。低速な8ビットマイコンからアドレスも速度も解決することになった16ビットマイコンへの移行などで、こうした分散処理が集約されたりといったことの繰り返しをしてきたように思い返す。機能部品としてのマイコンのソフト開発はハード屋の仕事だったりするのも常だったりして組み込みソフトの中でも光の当たらない世界だったりもしていた。

アセンブラからCに移行して開発速度の加速と共にメモリ容量も拡大の一途となり、FlashやRAMの容量なども機種ごとに次々と大きくなっていった。PDAに無線機を接続したような機種が登場したりしてモデムとして高い携帯電話を活用しようという動きや、実用的な速度を低コストで実現することもあわせて実現したPHSなどの登場なども携帯ソフトの複雑化を加速したのである。そして4年ほど前のiMODE事件などを契機に本格的に油を注いだ形になったといえる。携帯だけでWebブラウジングが出来たりMailが出来たりといったことをHTMLベースで実現したりJavaを登場させるなど様々な技術が投入されて開発に繋がった。機能競争としてPDCとCDMAとが違った切り口で登場したことなども加速した要因の一つだったのだろう。低速度に特化した言語を開発したベンチャーなども今では標準化の流れの中に埋没しようとしているようだ。

この長い長い舞台の中で大道具は次々と変遷を遂げていったので、使用してきた台本があわなくなってしまった。時代に合わない平屋作りの実写のサザエさんから二階建てのアニメに変えなければならなくなってきた。登場するキャラクタは変わらないのだが・・・。電話帳を開いて電話をかけて、メールをして書き込みや写真を控えたりといったことがオブジェクト連携で実装されるというのが現代のソフトウェアである。500人を超す電話帳に可変長のデータが格納された現在では、まともなデータベースなしではタブで飛んだ瞬間に画面展開できないような実装では受け入れられないのである。そうした基本機能の追及をしている中でインプットメソッドなどへの逆連携も要求されている。メールアドレスフィールドに入れる全角データを半角に変換したり、電話番号の長さや名前の長さといった制限を越えた入力に対して警鐘を鳴らすといった機能も要求される。ダブルバイトでの日本語処理と画面描画などにも細かく要求されることは多いのである。

実はマルチメディアなアプリケーション開発をしていくことよりも、必要なオブジェクトのクラスライブラリを開発してきたことの成果のほうがコスト高くかかって来たのが実情のようだ。「携帯電話用に開発された欧州生まれのOSをベースに1000人月を越すアプリケーション開発費用を投入して出来た成果を次に生かせるのか?」という問いかけは、私達に掛けられた物なのか自問自答なのかもちょっと曖昧のようだ。彼ら自身、成果なのか足かせなのかという自問自答を、開発のベースにしたプラットホームOSを考え直すのかどうなのかということにも繋がっているようだ。Windowsと同様なコンセプトで開発してきたバイナリなAPIが彼らの期待する機能性能を果たすクラスライブラリなのであれば、彼らのアプリケーション開発に投入されてきたリソース自体が無為なことになりかねないという危惧を最初に露にしていた。

モデムチップ以外にアプリケーションプロセッサを搭載して実現してきた人たちが、アプリケーション開発費用として投入してきた開発費用という成果を資産とみているのか、負債とみているのかは微妙なところでもある。いずれにしてもドラスティックなスマートな判断が下せるような日本企業は存在しないのも事実で、破綻した決裁機構の判断なきままに現在の方策を負債と認識した上で現場は動いていくのだろう。ポータブルゲームセットを凌ぐグラフィックス性能をシングルチップで叩き出してきた技術の積み重ね自体に誤りはなく、視点を変えたAPIの拡充が尤も重要なテーマとなっていることを認識していくことが我々の課題でもあるようだ。YAMAUCHIの謎ではないにしてもアプリケーションプロセッサとの処理分担をどのようにするのかについては、意外な答えが待っているのかもしれない。逆に言えば、アプリケーションプロセッサを使ってきたお客様が考えている付加価値は自身のクラスライブラリの移植するために必要な期間との算段なのである。

YAMAUCHIの謎を知っているのかどうか、このお客様に問いかけることはしない。お客様自身が考えるというあるべき姿についての叩き台についてのコンサルティングに向けて私自身もアーキテクトの端くれとしてオプションを揃えたいと考えている。技術的な最良解が見つかったからといって決裁機構の破綻したお客様が選択できるとは限らないからでもある。いずれにしても日本の通信機メーカーをここまで貶めるにいたったのは通信キャリアのビジネスモデルの誤りなのか、ソフトウェア開発管理の失敗なのかはまだわからない。こうした実情を知らずに国のトップがOSのことを論じていたりする姿をみるとサポートしている見識者の方々にも見せないこうした組み込みソフトの背景は、本当に闇の中にエンベデッドされているようだ。デジタル家電を持っているメーカーは少しは潤ったボーナスが出るという景気上向きの状況のようだが、埋め込みソフト技術者がビジネスモデル自身に埋め込まれてしまっている状況からの離脱を考えなければ自身のビジネスの将来を考えられないのだろうと思う。