開発支援をしながら、五年目に突入した。来年起こるだろうソフトウェア大恐慌時代を前にして、少なからず前向きに生きていきたいという思いがこれからの一年に私自身に問い直しを迫っている。自己矛盾するような仕事をしているのでは・・・と人から言われるような仕事をしているように見えるらしい。ある意味で私自身も仕事の流れにながされているのかもしれない。ただ、ある意味で日本メーカーが進むべき道を示しているのではないかという自負はある。日本メーカーが諦めてしまった技術追求をしていけるのは、我々自身であり、そうした結果こそがソフトウェア大恐慌時代を越えて生きるソフトハウスや通信機メーカーに光明をもたらすのではないか・・などといまさらながらのドンキホーテぶりに自分で書きながらあきれ返ってもいる。
13年ぶりに日本に帰国したという知己のIさんを囲んで食事をした、集った仲間はみな彼と仕事をしてきた戦友である。今、彼は新しい任地に向けて赤紙で召集されたばかりであった。とはいえ少し前に聞いていた話は、行き場所がなくなってしまい英国に残している家族との生活が維持できなくなり新しい生活を考えようとしていたということだった。おなじ会社の中で新たな酒造りを別の任地で行うために欠かせない人材として彼を考えていたのは偶然の所産なのか計画だったのかは神のみぞ知る。ある意味で、その日に集った仲間は組み込みソフトウェア開発というビジネスモデルを立ち上げつつ成果を残しながらも変容する業界の流れの中で自己矛盾をきたして戦地を去っていった者ばかりであった。集った仲間と話をしていると戦争の話に終始するのは致し方ない。竹槍で戦ってきた時代を通して技術を学び、米国の先進技術を学んだりしてきた仲間だったからだ。