業界独り言 VOL234 勝負に出る技術者たちPart3

新橋に新しいオフィスを構えたT君を訪ねた。技術ベンチャーのアンテナサイトといった雰囲気である、ジェネラルマネージャーという職責だが、部下はまだ居ない。Java創業過程で培った経験や人脈からは、彼の信望は業界では厚く退社に関しても前職の社長との確執などが揶揄されているようだ。携帯向けビジネスを通じて立ち上がった国内のJavaビジネスの中心として、大きな事業に育て上げた彼の功績を社長は、誇らしく思うだろうし退職については、次のステップを目指す技術者の姿として歓迎してくれたに違いない。まあ、現社長にしてみればビジネス渦中のものとして移れない歯がゆさから羨むことはあるだろうけれど。この業界の人脈フローは2HOP世界観とでもいうような事態となっているので、彼のいた会社にはQ社でも名をはせたメンバーが今は居たりする。知り合い同士が仕事を通じて、どんどん移りつつ仕事を深めていっているのが実情といえる。

通信キャリアなどとの共同開発的な側面が色濃い携帯電話向けの技術開発を経験してきたTさんにとって、新たに選んだテクノロジーベンチャーは勝手の違う会社といえるかもしれない。銀行からの一億円の出資要請なども「使い道があれへん」といって断る姿には、テクノロジーベンチャーの経営者として経営を小さくまとめつつ長く伸ばしていくという効率経営を実現されてきた自負が映っている。ほぼ創業期の18年ほど前から、この社長の山本氏や専務の塚越氏とは付き合ってきた。現場をしる技術者として課題も将来も把握した上で期待される技術を鋭く嗅ぎ分けて、悠々と進めてきたのである。カリスマソフト技術者のこのコンビネーションが生み出した成果は、日本の組み込み技術の最先端といって間違いないと思えるのである。専務の塚越氏が生み出すハードウェアとそれを支えるソフトウェアの絶妙なコンビネーションはベストオブ組み込みマイスターといえるものである。

そうした塚越氏が暖めてきたアイデアは毎日地道に開発を続けて「これが、あたれば宝くじ」といいながら実現化を進めてきて結果としていくつもの宝くじ以上の成果をあげて組み込みエンジニア開発環境としてはベストと思える環境を落ち着いたたたずまいの関西に作り出していまも続いている。組み込み開発で、分業を深く進めてきた日本のメーカーが失ったと思える技術や風土は、ちからづよくこの会社では脈動しているようだ。分業を果たしつつも、文化風土を醸成していきたいという真摯な気持ちと、それを容認する会社としてのスタンスがあれば日本のメーカーも組み込み大国日本というような国の打ち出したキャッチフレーズを支えていくことが出来ようものなのだが。いまを支える事業のなかの薄っぺらい技術ベースを認識することなく再生産あるいは導入技術の再編集ということに明け暮れているとすれば自身の向かう針路すら決められないだろう。

SARSがアジアを襲いものものしい状況の隣国の姿をテレビなどでしりえる筈の若者たちが、満員電車のなかで口も押さえずに咳き込んでいるのが日本のお寒い実情でもある。想定された問題のやりとりの技術のみに終始したすがたを勉強と位置づけて大学入学を人生の最大ハードルと考えてきた戦後復興日本に続いた、自国礼賛に伴う誤解は経済発展の渦中で次代の若者たちへ伝える文化や精神を失いここまで来てしまったのだろうか。平和ボケした人たちが目指した姿が、いまの国情ならばねらい通りのお寒い国が出来上がってしまった。世界の状況から隔絶した文化難民状態の現在では、だれも戦争をしかけようとも思わないだろうし、またそれに抗しようとするような国民などは居ないと思えるからだ。戦争放棄と叫び、子供たちの躾も放棄して、他人との接点も放棄したような国情があるのだとすれば、そのことを理解せずに取り組むことは意味の無いことだろう。

私の知己のADSLベンチャーのCTOは、よくネット上で槍玉に挙げられる。彼の素直な発言は、ネット社会で期待している心地よい響きのメッセージ交換だけを期待している輩からは糾弾されてしまうようだ。普段の発言とネットの発言の区別もないのが彼の彼らしいところでもあるので差別用語として扱われる言葉をMLやネットニュースで発言することについてスレッドを正しくトレースせずに糾弾する人などがいるので致し方ないということなのかもしれないが。ある意味で、この国に残された貴重な遺伝子の持ち主でもある。京都という土地柄には、なにか貴重なDNAを大切にする結界が張られているのだろうか。NTT主体と思われていた国の仕組みもADSLなどを通じて今までの癒着も含めた有り様をこうしたDNAの人物たちが糾弾してくれた結果偏った技術一辺倒の時代から開放してくれたのは事実でありネット文化やそうしたことを受け入れ始めた国の仕組みも良化されてきたのかもしれない。

技術立志を果たそうと志している知己は、三世代統治を目指した戦略を考えているようだ。彼のいう第一世代とは、自分たちの開発経験をベースにする管理層の世代、第二世代は、彼が自嘲気味にいう開発経験のまったくないソフトウェア担当者と呼ばれる世代、第三世代は若いエンジニアの卵ということになる。彼は、この10年あまりで組み込み開発といった分野のソフトウェアエンジニアリングを絶滅状態に追い込んだとする、この10年あまりの状況を解消するには第三世代が台頭して主力部隊なるまで待たないとだめなのかもしれないと溢している。しかし、その道も険しいらしく第二世代が主力部隊となっていて、強力な第一世代との結束でソフトウェア開発という中でのプログラミング技術を貶めてしまっているので、第三世代が自らキャッチアップしてそうしたことに取り組もうとしても「ソフトの設計なんかしても誰も認めてくれないし、評価してくれませんから・・・」と吐露するようである。

プログラムを書けないSEが書いた仕様が、いつまで通用するのか、ソフトウェアが何を出来るのか、ハードウェアとの接点の課題は何かを認識して、接点を切磋琢磨して追及するという風土は、メーカーから無くなってしまったのだろうか。世界の流れから隔絶した日本の組み込み開発の姿は、異常である。正確に言うと日本が目指しているのは組み込み製品企画という姿なのだろう、10年あまりでおかしくなってしまった開発現場とは正反対に10年あまりで大きく進展したのはユーザーとしての日本というマーケットである。世界中から孤立した携帯電話の政策の結果は、結局日本メーカーの海外進出を大きく阻み、現在の想定された状況を甘受せざるを得ないのである。そんな日本の中での救いともいえるのは、UMTS規格で始まった第三世代の最終走者の姿であり、日本は世界標準という仕様書で今までの開発と政治の歴史を往復ビンタされているようなものである。

メーカーが自己を見失い、開発費用も含めてトップキャリアから貰い受けるというような状況を公正取引委員会が糾弾しないのは何故なのだろうか。通信機メーカーは、通信キャリアからの資本注入を受けないと成立しないような事態だというのだろうか。国として技術立国を目指すというのならば、悪の温床となっている源流を断つ意味で一時的な税収減となるだろうけれども携帯電話端末番号の開放と共に通信キャリアとネットサービスの分離ならびに端末自身は、サービス規格に合致したものとしてメーカーが直接販売する形態にすれば日本という枠でのシステムが健全化すると思われる。I-MODEサービスがAUでも受けられればよいだろうし、BREWがドコデモ使えれば皆ハッピーである。こんなことは、開発者の誰もが思っていることなのにメーカーの歪な思惑や、公的資金注入までされたような状況では民営化路線とは逆行するような国営化保護といった動きに通信機メーカーは向かっているように見えるのだがいかがなものか。

意識ある技術者が、まだメーカーには居るはずだという信念でエバンジェリストを続けているのは知己のケイであり、彼も高く評価するT君がテクニカルベンチャーに移籍したことなどの背景などを親交を暖めつつ話し合い、彼自身が考える来るべき未来に向けた動きの一環として捉えた様子だった。この動き始めた新しい歴史をどのように駆動していくのかが私やケイに求められているのだということは重々承知であり、意思を同じくする同士としてT君が動いたことは、きっとこの業界にとっても大きな地すべりと言えるだろう。地滑りというよりもギアが正しく入ったというのが適切な表現かも知れない。サポートしていくという姿を通じての意識の高揚はあるのだが、果たしてケイが信ずるメーカーに潜んでいる信念の技術者たちが自ら胎動してほしいという思いがある。これにむけて私たちが出来ることとしての秘策を繰り出そうと画策しているのである。日本メーカーの現状を阻んでいる障害を一つずつ取り除いていく仕事を、外資のケイがしているのは何だかおかしな気がするのだが、彼に逢った人は得心するに違いない。

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