業界独り言 VOL234 勝負に出る技術者たちPart3

新橋に新しいオフィスを構えたT君を訪ねた。技術ベンチャーのアンテナサイトといった雰囲気である、ジェネラルマネージャーという職責だが、部下はまだ居ない。Java創業過程で培った経験や人脈からは、彼の信望は業界では厚く退社に関しても前職の社長との確執などが揶揄されているようだ。携帯向けビジネスを通じて立ち上がった国内のJavaビジネスの中心として、大きな事業に育て上げた彼の功績を社長は、誇らしく思うだろうし退職については、次のステップを目指す技術者の姿として歓迎してくれたに違いない。まあ、現社長にしてみればビジネス渦中のものとして移れない歯がゆさから羨むことはあるだろうけれど。この業界の人脈フローは2HOP世界観とでもいうような事態となっているので、彼のいた会社にはQ社でも名をはせたメンバーが今は居たりする。知り合い同士が仕事を通じて、どんどん移りつつ仕事を深めていっているのが実情といえる。

通信キャリアなどとの共同開発的な側面が色濃い携帯電話向けの技術開発を経験してきたTさんにとって、新たに選んだテクノロジーベンチャーは勝手の違う会社といえるかもしれない。銀行からの一億円の出資要請なども「使い道があれへん」といって断る姿には、テクノロジーベンチャーの経営者として経営を小さくまとめつつ長く伸ばしていくという効率経営を実現されてきた自負が映っている。ほぼ創業期の18年ほど前から、この社長の山本氏や専務の塚越氏とは付き合ってきた。現場をしる技術者として課題も将来も把握した上で期待される技術を鋭く嗅ぎ分けて、悠々と進めてきたのである。カリスマソフト技術者のこのコンビネーションが生み出した成果は、日本の組み込み技術の最先端といって間違いないと思えるのである。専務の塚越氏が生み出すハードウェアとそれを支えるソフトウェアの絶妙なコンビネーションはベストオブ組み込みマイスターといえるものである。

そうした塚越氏が暖めてきたアイデアは毎日地道に開発を続けて「これが、あたれば宝くじ」といいながら実現化を進めてきて結果としていくつもの宝くじ以上の成果をあげて組み込みエンジニア開発環境としてはベストと思える環境を落ち着いたたたずまいの関西に作り出していまも続いている。組み込み開発で、分業を深く進めてきた日本のメーカーが失ったと思える技術や風土は、ちからづよくこの会社では脈動しているようだ。分業を果たしつつも、文化風土を醸成していきたいという真摯な気持ちと、それを容認する会社としてのスタンスがあれば日本のメーカーも組み込み大国日本というような国の打ち出したキャッチフレーズを支えていくことが出来ようものなのだが。いまを支える事業のなかの薄っぺらい技術ベースを認識することなく再生産あるいは導入技術の再編集ということに明け暮れているとすれば自身の向かう針路すら決められないだろう。

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業界独り言 VOL233 ルールに縛られてPart2

会社を使いこなしてこそというのが、会社に勤めることの意義ではないだろうか。一人では出来ない仕事に携わっていけるということの価値を問い直してみることで会社に属するという意識から抜け出せるのではないだろうか。会社から与えられた仕事に取り組む上でも自分自身の技術者としての取り組みたいカウンタープロポーザルを提示しつつ工夫を凝らしてやっていくということだ。同じ仕事の仕方を続けているのならロボットと同じである。そうした流れに則って考えてみた上で障害になるルールがあるのならば、論陣を張って対抗してみてより良い結果が示せるのならば上長の許可を得てルールの一時的解除などを画策すればよいのである。良い結果を示せればルール事態が変わっていくはずである。新たな実績のない技術などでのチャレンジなどは失敗も考えられるが故に、別の対応を上長は考えた上で取り組ませるに違いないからだ。

組み込みソフト開発としてC言語を初めて使いこなそうとしたのは、実は4ビットマイコンでのことだった。8ビットマイコンでアセンブラを駆使してやってきた仕事を高級言語を使って4ビットにするという取り組みにはおそらく別の意味もあったようだ。マイコンチップの開発を始めてから当初より家電向けに特化してきたメーカーとして自社チップの最新型4ビットマイコンの強化を果たして来ていた。コスト力も含めて社内製品の活用は一つのあるべき姿といえたかも知れない。前哨戦として4ビットマイコンで作った小規模な無線端末装置のプロジェクトを経てメインラインの端末に乗せコストダウンを図るというストーリーを持った開発戦略をしいていた。8ビットマイコンで構築してきた業務用無線機器を4ビットで置換するという目的には完成度の高さが求められていたし、当時事業部として取り組もうとしていたC言語シフトに照らしてみても4ビットマイコン向けのCサブセット言語の評価適用などの条件を出しつつ、会社側のハードコストダウンというテーマと技術者としてソフトウェア開発をC言語で実現するというテーマのこれら二つの挑戦をすることになった。

8ビットで開発してきた製品ボリュームを4ビットマイコン一つに押し込めることではなくて、二つの異なった周辺回路の特性をもつ4ビットマイコン二つによる分散処理での実現ということでのチャレンジでもあった。このほうがより難しくなることは自明ではあるのだが・・・。開発環境は、導入されたばかりのVAX11−780であり他のユーザーは殆どいないという状況での取り組みだった。ビジネス戦略上の重要な位置づけの商品開発にこうした賭けに出たのには用意周到なトップの抜かりなさもあってのことだった。4ビットマイコンの評価を兼ねてハードシミュレータと呼ばれる評価ボードを使い、開発環境としてのVAXでコンパイルした結果のコードをダウンロードする仕組みまでは作りこむ必要があったが、シリアルポート同士を繋ぎこみつつホスト側のツールコマンドをさらっと開発してモトローラSなどのフォーマットをパースしてダウンロードというよりもメモリー書き込みのコマンド操作に置き換えてシリアルに出力することでダウンローダは完成してツールチェーンが出来上がった。

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業界独り言 VOL232 ルールに縛られてPart1

最近の携帯業界のメーカーの多くが出荷端末のルールとして、ソースコードの検査ツールを通して合格することを必要条件としているらしい。端末ノコードレビュアーとしてツールが活躍していることになるのかもしれないのだが、果たしてツールが指摘した内容が、実はコード設計者の意図どおりの結果であるとしたら、彼らの追求は行き詰まってしまうのである。購入して利用するこうしたツールを使いこなしていく上では指摘した内容についての理解が求められるわけである。まあ、これを接点にしてソースコードを理解しようといった趣には良い教材提供ということになるかもしれない。大規模にわたるソースコードによるシステム動作にあっては数多いフィーチャー同士のコンフリクトなども考えられるのでツールが手助けになることもあるのは事実なのだが。

仕事をしていく上で前例がないという事態にも遭遇することもあるだろう、対処すべきルールが無いのである。ルールが無い場合には、最も近いルールを意訳あるいは拡大解釈として前向きに処するのが一つの処方箋といえる。事なかれ主義というような気風では、技術屋としての看板を下ろしてしまったようなものであるからだ。私が遭遇した時代においては、幾つかの事例があげられるので参考になるかも知れないのだ。デバッガーというものが製品として8ビットマイコンの登場にあわせて国産品で出てきたのは、79年のころだっただろうか、マイコンというものを使いこなしていく上でデバッガを自作していくのは当時としては普通だった。製品化されるということで自作の労が軽くなるというのが当時の位置付けでもあった。アセンブラベースで8kbほどのソフトウェアを開発していくというスタイルには開発ツールからのデータチェーンが準備される市販ツールの意義は大いにあったといえる。何しろモニタROMを製品に組み込まなくてもよいことになるからだ。

ルールが無い事態として突入したのは、自分達の意図する開発環境とツールの開発環境とが合わないことに端を発していた、今で言うところの貸し出しメモリが機能としてなかったからだ。私が最初に取り組んだ仕事は、ソフトウェアの開発環境としてこのデバッガの外部端子の仕様から、フラットケーブルで接続するという仕様で動作させるというプライベートメモリーサブシステムを製品デバッガに合わせて設計製作することであった。クロックジェネレータ、小容量の内蔵RAM代替部(128バイト)、さらにはEPROM代替部となる貸し出しメモリ(8キロバイト)といったところであった、マイコンのシステムクロックが1M程の時代であり、のんびりとしたものではあったがとりあえず新入社員の仕事として回路設計とP板の設計依頼そして検図、部品手配、製作といったことをこなしていた。適当なケースを探してきて2台ほど組み立てたような気がする。試作ラインも無い時代なので自分で半田付けで作ろうとしたところ、庶務の社員にさせるように上司から指導をうけた。半田付けをしたこともない庶務の社員にさせた結果は高くつき結局半田付けの指導教官とあいなってしまったようだ。

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業界独り言 VOL231 勝負に出る技術者たちPart2

オブジェクト指向を極めたいと、FA宣言を行い自ら社内に新天地を見出して積極的な自己開発ステップの勝負への路に踏み出した知人がいる。前向きな技術者の仕事の成果は、管理者の視点からも有用な成果であり手放しには喜べないのかも知れないが、優秀な技術者の成果が発揮できずにモチベーションの下がった仕事しか出来ないのであれば会社にとっては、それこそデメリットであろう。人それぞれ重荷を背負って暮らしているので、生活を支える当主として安易なFA宣言ではなかったのだろうと思う。家庭があり、土地物価の高い国で身を粉にして働いているお父さんが閉塞した状況に細君からも見える状況での転身を図るにはそれ相応の責任が果たされる見込みが出来るということが必要なのである。

以前の会社で、モチベーションが維持できずに転身する状況に陥った知己がいた。無論会社組織としての仕事の進め方に問題があったのかも知れないし、先輩としてそうした知己と話す機会があれば、逆にもっと活用する方策は幾らでもあったのではないかと思い返すのである。有用な経験を積んだ優秀な技術者を、飼い殺し状態にしているのが、その頃の実情であったのなら血流を良くする意味で社内人事交流という形を使って活性化を図ることが出来るはずである。転身という契機に、いろいろと取り組みたい気持ちと新たな組織に入っていく不安などが錯綜しているのだろうと思っていた。その後、自身でも勝負に出るという事態に直面するときに知己と出会い少し話しを交わした折には幾らか彼の気持ちが判ったりしたものだった。

臨死体験ではないけれども、経験しない人に説明するのは難しいものだと思う。逆に、そうした臨死体験をして転身してきた技術者同士の意識交流は結びやすいのかもしれない。無論仕事を通じて、アグレッシブに色々な事業に手をつけて事業家としての経験を積んできた技術者などにしてみれば、臨死体験をした人の感覚などは当の昔に達観しているということもいえるのである。企業家としての経験を何らかの形で一度出来たのかどうかといのが一つの踏み絵になるのかも知れない。そうしたマインドあるいはポリシーを持つ会社風土に出逢えた技術者は幸せだろう。しかし、環境が素晴らしいとしても、その中に転身してきた人が自身を次のステージに押し上げられるかどうかは、その人の意識次第といえる。

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業界独り言 VOL230 勝負に出る技術者たち

前回の学籍番号合致タイトルに続く、今回のタイトル通番は能天気に再発行申請中のアマチュア無線従事者免許証の番号に合致している。現在でもアマチュア無線を楽しまれているN8さんや、流通端末開発のTさんらは、ちゃんとコールサインの維持を果たされて税金としての電波使用料までも支払われ続けていらっしゃるそうだ。銀行が破綻するようなご時世の中ではあるが、自宅の売却に関しての売買契約を結ぶことが出来たので自宅移転計画についての将来の資金繰りについては一段落しそうな感じとなった。この状況で進めば夏には、無線が新宅で再開できそうな見通しとなってきた。アマチュア無線の短波帯については、最近のデジタル設計された無線機キットの組み立てが暫しのチャレンジテーマになりそうだ。仮設のアンテナでとりあえずの再開をしていく上では、旧無線機の火入れ確認が必要のようすだ。初代のトランジスター設計の無線機も四半世紀昔のモデルとなっていそうだ。動くかどうかは保証の限りではない。

はるか昔の記事を思い返してみると、竹ざおで逆Lのアンテナを立ててマッチングしたりしていた事例だったのだが、その後のダイポールにバラン接続で同軸給電あるいは、屋根馬立ててトラップバーチカルを設置してカウンターポイズを張るといった形式からマンションなどのアパマンハムが隆盛を極める中で、最近では自動アンテナチューナーが当たり前となっているようだ。この辺りはよくよく考えてみるとかなり昔に逆行しているようにも思えるのだ。ようは基本は何時でも同じで実現するあるいは、実装するための技術が進歩してきたというべきだろう。掲示板にN8さんが書かれていたようなアナログ無線機にハイブリッド構成で制御の活を入れるといったチャレンジなども実にアマチュアらしくてよいと感じる。技術者の中には、納期を満たすための開発方法論に終始しがちな見識で仕事をする方もいるだろうけれども、なにかアマチュアほどでは無いにしてもチャレンジする意識はもっていて欲しいものだ。

世の中の報道に見えてくる携帯電話業界の動きは、会社や通信キャリアとしての計画や実績などに裏打ちされたものであり、前世紀の最後に計画されていた期待値に比べると大きくトーンダウンしているようにも映る。確かに99年にジョイントした頃にはCDMAの期待値が最大化していて、それをしめすQ社の株価などは四分割するほどの勢いとなっていた。第三世代のバブルとともに時代は、99年にバックトゥザフューチャーしているようで、入社当時に頂いたストックオプションの価格より割り込んでしまっている。そんな中に状況とは決別して自分の思いに走り、自己革新を目指して勝負に出ているエンジニア達がいる。ハードウェア技術屋としての仕事の流れがチップ化していく中で将来性としてソフトウェアに移りつつることを認識して社内でのポジションチェンジを目指そうしていたM君などもそうした取り組みをしていた。残念ながら、会社の人事育成方針と擦り合わなかったようで転職して実現を果たそうとしてきたようだ。確かに一つの方法論である、転職を華々しくコマーシャルしている会社の募集ポストとマッチすれば良いのだがミスマッチしている事例なども聞き及ぶのが実情だ。

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業界独り言 VOL229 記憶の中から

アマチュア無線の世界の再開を、自宅移転とともに再開しようかと考えていたのだが、なにせ30年近い昔の免許証に写っているのは中学生の自分であり、もう一枚あったはずの高専生の自分が写っている免許は紛失していた。現在の住所に越した折には存していた記憶があるのだが必要なときにはなくなっている。再開するためにも免許証の再発行が必要となる。世の中はブロードバンド時代になり、免許証の申請の仕方やら勉強の仕方など溢れる情報が繋がっている。呼び出し符号の再割り当てが起こるほど世の中に普及繁栄してきたアマチュア無線であるが、偏向したコマーシャリズムによるバブルだったのかモシモシハイハイの世界のみで遊んでいた人たちは携帯電話でお金を払うことに厭わなくなり、アマチュア無線から離れていったのは正しい限りだ。

無線通信という特権は、アマチュア無線が享受していたものではあるが、技術の進歩により一時的な優位にあったそれは現在は携帯電話により実現されて平和時には特権ではなくなっている。知らない人との通信という意味でいえば、最近ならばメーリングリストやニュースグループへの投稿購読などがそれに相当しているかもしれない。通信するという権利を駆使してアマチュア無線という範疇で興味好奇心を拡大していくという活動や行為がキングオブホビーという謂れだったのだと思うのだが・・・。誰もが気にせず無線機を購入して許可範囲を超えた出力を出したりする姿が日常化していた時代などを過ぎて気が付くと免許範囲や試験方法までも変わりを遂げているようだった。私が友人に貸与してあげていた無線機などは、貸与期間がはるかに20年近くを越えていて所有権などが及ばない世界で朽ち果てているようだ。

学校時代の後輩には、プロ用無線機メーカーで無線機開発などに取り組み昔の垂涎の的でも在ったコリンズのSラインを揃えたりしている人もいる。無線機やアンテナを総動員して短波の世界の不安定な通信環境をノイズとともに楽しんでいるという趣味の世界を長続きするのには強い好奇心が必要といえる。アマチュア無線技士という資格は、通信士という資格ではないのだから通信にのみ主眼を置いていては楽しみが薄いというものだ。さまざまなチャレンジが許容されているのがアマチュア無線の世界なのであり、真空管の無線機に愛着を持ちレトロな世界に没頭するような好奇心の持ち主の方などは現在の状況でいかに保守し稼動しつづけさせるかということで好奇心を満たしておられるに違いない。こうした好奇心旺盛な方たちが組み込み開発の創世記を担ってきた方たちと重複するのは必然といえるかもしれない。

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業界独り言 VOL228 新しきことの継続には

ゴールデンウィークが明けて、季節も動き始めたようだ。昨年に続き、新しいエンターテイメントを切り開いてくれたTBS主催の筋肉ミュージカルを見に行った。スポーツ界の勇士達が見せてくれる美技や体を張った演技には、見も心も軽くしてくれる効果があるようだ。色々なエンターテイメントがあるだろうけれど、この新たな分野を切り開いたのは日本のオリジナリティだと私は感じている。実際に、今年から参加している中国雑技団からの凄腕の方も昨年の演目をみて感動して今回は実際に演技者として参加しているようだ。私の拙い文章からでは、かれらの素晴らしい演目や雰囲気を伝えることは出来ないのであるが、実際に会場に訪れた方々たちが昨年からのリピータであるように思えるので感性が我が家の夫婦の特殊性に依存しているというわけではないように思うのである。また、そうした新しいことへの感動や演技者たちの新たな挑戦を他の人にも見せたいというメッセージが伝わって広がってきているのだと思う。公演終了後は、余勢をかって赤坂から新橋まで歩きとおして地下の居酒屋で細君と感動の余韻を暖めつつの食事に舌鼓を打った。朗報としては今年は夏休みにも特別公演が計画されているらしく、我が家でもチケットの手配には情報収集に余念がないのである。

継続することにより、つづく人たちが現れてくるというのは、この筋肉ミュージカルの今年のパンフレットなどを読んでいても感じ取ることが出来る。実は、昨年の筋肉ミュージカルの後に、公演の母体となっているテレビ番組での事故が発端となり、スポーツバラエティといった新たな芽を摘みそうな状況に陥っていたのである。我が家でもこの事件を契機に今年、こうして筋肉ミュージカルの再演が出来ないだろうと悲観していたくらいだ。新しいことにより、引き起こされるいろいろな事態にどのように対応していくのかという点を考えると、引き起こされた失敗や事故を起こさないための対策としては、そうした事に取り組まないといった対応をしてしまうことはありそうな話である。新しきことの挑戦の過程で生まれた失敗を鶏のように攻撃して仲間内から見殺しにしてしまうというような扱いにすることでは、なんの挑戦する風土も生まれるはずはない。無論、生身の演技者達が奏でる身体を張った演目の中には、失敗もあるのは事実であるがプロの技を更に見せようとするメッセージが伝わってくるのである。この心地よい波動が、この新たなエンターテイメントの観客の一人一人に届いているように思われる。

実は、この独り言も続けてきて双方向に切り替えるべく自宅サーバー化を契機に掲示板を作成したりしてきたのだが、これも設置から一年が経過していた。何かお祝いをしなければならないのかもしれない。続けてきたメッセージがアーカイブとしてアクセスできるようになってきた中でページ構成についても見直しが必要になってきている。途中から参加した人が過去のメッセージを読もうとしていも、その時代に起こっていたこととの相関などについては知る由もない。新しきことを継続していく上では、工夫を続けていくことが必要なのであり、多様な人たちと共生しつつ意識を共有した上で、なにか共同のテーマに向けた活動に辿りつければいのではないか・・・というのが最近の私の認識でもある。組込み開発の現場で直面してきた、色々な事態については、もうこれ以上繰り返しても意味が無いのではないかとも思えてきたのである。問題提起あるいは意識共有という点についての活動として掘り下げていくには掲示板でも不足だろう。私自身が、この活動に意味があるのだろうかと自身に問い掛ける際に心の支えになるのは、後半部分のアクセスを希望された方々に個別に付与したアクセスアカウントなのである。Webのシステムとして構成されているがゆえに、メーリングリストのワンウェイではなくてレスポンスとして読み取られたということが判るのである。

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業界独り言 VOL227 柱の疵は、一昨年の・・・

夢を追いかける人たちが創り上げた、世界初の第三世代携帯システムは、今年になって続く規格への切替対応を表明した。溢れる国内ニーズに支えられて順風満帆の旅立ちとなるはずだったのだが・・・、自身が提案するアプリケーションが携帯という枠を利用したビジネスモデルとして好調であることから、コンテンツ商売に切り替わってしまったような観すらある。もとより溢れるニーズを救ったのは、低速化パケットアプリケーション達だった。また、これにより通信システム自身の延命が続いたのでもある。地域的な塗り分け対応なども含めて見事なまでに現状の周波数枠に多くのニーズを収容したさまはたいしたものでもある。ニーズが技術を先導していくというのは確かなことで1.5Gと800MHzの双方に対応する国内特有の高周波部品なども速やかに開発されてきた。柱に記された一昨年の世界初のサービス開始という技術栄誉を讃えつつ実需に対応してきたビジネスモデルはたいしたものである。

続く規格への対応を表明したからといって、続く規格が標榜する2Gシステムとの異種間格闘技ともいえるコンプレスモードでのハンドオーバーを駆使してPDCシステムとハンドオーバーするということはなさそうである。議論好きの欧州人種が提案検討開発してきたコンプレスモードによるハンドオーバーをするよりも2Gのチップセットと3Gのチップセットを併設するほうが簡易な実装ですむからでもあろう。あるいは、GSMとUMTSとPDCの三つをカバーさせる端末を開発するやもしれない。3Gへの周波数移行をユーザーニーズへの新アプリケーションによる啓蒙を通じて必然のごとくビデオカメラやデジカメといった機能までも携帯電話の価格範囲で実現させてしまうという猛烈な姿は、携帯電話による五徳ナイフで他の業界を切り裂いているということかも知れない。五徳ナイフというよりは肥後の守に近いのでそれほど怪我人が出るとは思えないのも事実ではあるが・・・。

しかしこうした五徳ナイフのような端末を競って開発している現在のビジネスを斜に構えてみてみると、通信キャリアしか企画を暖められなくなってしまっているのではないかという気がしてならない。日本メーカーの懐深さといった研究開発といった落ち着いたスタンスで開発をしていくというスタイルは、現在では出来なくなってしまったらしい。器用に短期間に纏め上げる技術というか手際よさのみが評価されるような時代になってしまったらしい。手近にある様々な技術を料理できるという姿はたいしたものであるかも知れないが個々の味付けを一流品として使いこなしていくには経験が必要なはずであり、コンシューマ市場での味付けは使いやすさだろうし完成度としての安定性もそうだろう。研究所の人たちの基礎研究に価値を見出さず短期的な製品群のプロトタイプまでを仕上げることのみに注力している様は、やはり不自然である。研究する人たち同士が議論する土壌を確保しながらお互いの技術があいまって、結果として新たな技術の種が芽生えてくるものだろう。

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業界独り言 VOL226 メーデー メーデー

SARSが原因で戒厳令前夜とでもいうような事態が、隣国である中国や台湾で発生しているらしい。わが導師のKさんが花粉症を逃れてこの季節は台湾で仕事をされていたのだが、SARSの展開で急遽日本に緊急避難してきたのである。緊急事態での事の対処の仕方ということについて正しく認識されていないらしいのは、ソフト開発業界に限らない共通の話のようだ。マスクをしないアテンダントは日本の航空会社だけのようだった。中国・台湾では十日以上の様子を機長・アテンダントともに拘束されたりというのが、実情だと思うのだが正しい情報アナウンスが徹底しなかったりというのたが・・・。世界のそうした渦中でありながらも、成田から帰国するひとへの対応が遅れてしまう様が実情だ。

エレクトロニクスの事実上の供給基地である台湾や農作物供給基地である中国がこうした状況にあることは、日本ではもっと危機感をもって対処する必要があるはずだ。さて、風邪を治そうとラーメン屋にいっても中国ねぎが手に入らないのでねぎラーメンが手に入らないというような事態になるかも知れないが、それはそれでSARS対応としてはよいかも知れない・・・。台湾のセミコンダクター事業なども打撃を受けているはずなので、チップセット業界にも影響は必至かも知れない。ほかのメーカーと同様にQuad社の中国支社の仲間も自宅作業に切り替えられている。サポートという目的だけでいえば、大半はそれで済んでしまうのであるから、ここには問題はないが危機管理としていち早く米国からの指示が徹底しているのである。

「この人について知らない?」と問い合わせがくる。聞けば、第三世代の開発中心の技術者らしい人だ通信キャリアとの共著のパブリシティもあるような人材のレジメが人材情報会社から送付されてきたらしい。危機管理が出来ているかという視点に立つと、開発中心と思われるエンジニアが転職データベースに登録しているということなども注目すべき点であるといえる。危機管理の出来ていると思われる、こうした人材と、その人材が流出しようとした段階で会社がとるべき舵取りとしての危機管理体制もそうした事と同じようなことかも知れない。自分の会社の状況と自分自身のやりたい仕事の可能性を信じている人は動き出そうとしているのかも知れない。あるいは、それを担保に次の一手を会社に要求するという策なのかも知れない。

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