新橋に新しいオフィスを構えたT君を訪ねた。技術ベンチャーのアンテナサイトといった雰囲気である、ジェネラルマネージャーという職責だが、部下はまだ居ない。Java創業過程で培った経験や人脈からは、彼の信望は業界では厚く退社に関しても前職の社長との確執などが揶揄されているようだ。携帯向けビジネスを通じて立ち上がった国内のJavaビジネスの中心として、大きな事業に育て上げた彼の功績を社長は、誇らしく思うだろうし退職については、次のステップを目指す技術者の姿として歓迎してくれたに違いない。まあ、現社長にしてみればビジネス渦中のものとして移れない歯がゆさから羨むことはあるだろうけれど。この業界の人脈フローは2HOP世界観とでもいうような事態となっているので、彼のいた会社にはQ社でも名をはせたメンバーが今は居たりする。知り合い同士が仕事を通じて、どんどん移りつつ仕事を深めていっているのが実情といえる。
通信キャリアなどとの共同開発的な側面が色濃い携帯電話向けの技術開発を経験してきたTさんにとって、新たに選んだテクノロジーベンチャーは勝手の違う会社といえるかもしれない。銀行からの一億円の出資要請なども「使い道があれへん」といって断る姿には、テクノロジーベンチャーの経営者として経営を小さくまとめつつ長く伸ばしていくという効率経営を実現されてきた自負が映っている。ほぼ創業期の18年ほど前から、この社長の山本氏や専務の塚越氏とは付き合ってきた。現場をしる技術者として課題も将来も把握した上で期待される技術を鋭く嗅ぎ分けて、悠々と進めてきたのである。カリスマソフト技術者のこのコンビネーションが生み出した成果は、日本の組み込み技術の最先端といって間違いないと思えるのである。専務の塚越氏が生み出すハードウェアとそれを支えるソフトウェアの絶妙なコンビネーションはベストオブ組み込みマイスターといえるものである。
そうした塚越氏が暖めてきたアイデアは毎日地道に開発を続けて「これが、あたれば宝くじ」といいながら実現化を進めてきて結果としていくつもの宝くじ以上の成果をあげて組み込みエンジニア開発環境としてはベストと思える環境を落ち着いたたたずまいの関西に作り出していまも続いている。組み込み開発で、分業を深く進めてきた日本のメーカーが失ったと思える技術や風土は、ちからづよくこの会社では脈動しているようだ。分業を果たしつつも、文化風土を醸成していきたいという真摯な気持ちと、それを容認する会社としてのスタンスがあれば日本のメーカーも組み込み大国日本というような国の打ち出したキャッチフレーズを支えていくことが出来ようものなのだが。いまを支える事業のなかの薄っぺらい技術ベースを認識することなく再生産あるいは導入技術の再編集ということに明け暮れているとすれば自身の向かう針路すら決められないだろう。