業界独り言 VOL214 気が付けば新幹線

「まもなく京都です・・・」聞きなれたアナウンスが耳に入ってくる。先ほどまでは新梅田のホテルに居たのだが、急遽テスト切り上げになり予約していた走行テスト用のジャンボタクシーも単なる新大阪行きタクシーとなっていた。電話会議を続けながら傍らには、切り上げになったテストチームが乗っている。電話会議の相手はサンディエゴとお客様であり、車内も含めて複数の会話が進行していた。淀川越えをしつつの携帯電話での参加はCDMAでもタフな状態となっていた。予定の思いを巡らしつつ、コミュニケーションを支えていた。日曜から始まった今週のテスト支援作業は、福岡入りに始まり大阪へと移り、いまは帰途についている。エジプト人と台湾人が今回のメンバーだったのだが限られた二週間の日程で相当数のフィールドテストデータを取得していた。毎日が粗解析・データ送付・電話会議というサイクルを時差越えでまわしているのであった。

第三世代というオープンな規格の中での奔放な各インフラベンダーでのオプション選択の中で、実際の端末開発や通信キャリアのサービスインに向けては不自由極まりない様相を呈しているようだ。欧州での第三世代のスローダウンがあまり明白にはしてはいないものの内実からみると火がついたら大変だという思いが正直なところである。そんな中で国際標準に準拠するという方針を出したキャリアが選択したインフラベンダーは三社購買であり、各インフラベンダーの完成度や規格準拠の仕方もまちまちである。共通していることは3GPP準拠という錦の印篭であろうか。水戸のご老公がかざすそれとは大きく異なるのはどれもが本物であり、それを本物として鑑定している3GPPという規格に照らすと我儘ともうつる振る舞いの差異は許容されるべきものであるのだが・・・。

温度差のある各国の状況の中で始まった3GPPの規格ゆえに、各社の戦略や背景に根ざした技術オプションが多数あるなかで規定するというよりは多くの選択を認めるような規格となっている。一つの規格として国際標準という形に纏めていく上ではIS95のような一社の独創(独走?)で規定されてきた規格のようにはなりえないのかもしれない。国内発の通信技術であってもどこかの強大な通信キャリアとの共同研究で規定されてきたような通信規格となれば、各メーカーが我をはれる範囲は少ないのだが、そういった意味では国内通信メーカーは護送船団スタイルに慣れ親しんでしまったからなのかもしれない。国内通信機メーカーで独自の通信規格を打ち出し世界に打って出ていったメーカーもかつてはあったのだが、いまやそうした歴史については語られることもなく埋没しているようだ。

きっぱりと決めてくれる将軍様で一人で居れば良いのだが、生憎と正義が幾つも存在しているが為に混乱をしているのが現在から見える少し先の状況である。色々な商売があるなと関心するのも、こうした中ではある商売上手なメーカーがあるようだ。第三世代に対応した第二世代という謳い文句の端末が大手を振って売り込みに走っている。USIM規格に合わせることが出来るGSM電話機というのが、そうした物の一つである。元々言われていたのはGSM用のSIMカードをUMTS電話機で対応してほしいというものだったが、逆は真ならずなのか・・・。航空会社と組んだキャンペーンとして、3Gが始まらない中で3Gとの共存を狙ったGSM端末の販売促進策としては正しいものかもしれない。頻繁に米国に行くものとして、また最近ではQuad社に身を寄せながらも実務としてGSM/UMTSをターゲットにしている中ではGSM端末を持つべきという意見もある。

期待した未来の夢は次々と現実の前に変容していくようだ、愛の夢をみた指導者も言葉の応酬で疲れが見えてきたようだ。期待には程遠く、文化の押し込みというスタイルは彼らの期待するものではないのかもしれない。もとより期待せずに始まった愛のテーマが主題となってしまった指導者には、自己矛盾も省みずに翻しながらビジネス追及をしているのが実情なのだから、また状況に則して変身していくのかも知れない。警察用の無線機器の開発技術者などにとっては情報保護が必須ということなのだろうが、現代の個人のそれは電車の中で堂々と化粧をする世代にとっては周囲にプライバシーという会話騒音を撒き散らしているのだから意識などないのも実情なのだろう。守るべきプライバシーなど無いように見えるのだがいかがなものか。まあ言葉の壁もあるので英語以上に理解できないのも実情なので小父さんたちに対しては情報保護しているのかも知れない。

最近導師が賜るお言葉には、日本を通り過ぎる人が増えたという実感があるということだった。確かに日本は以前の台湾のように単なる給油中継基地のような位置付けになっているのかも知れない。ビジネスの主体は、中国と欧米の間で執り行われているというのが実情なのだろう。日本は、そのおこぼれを頂戴しようというくらいにしか見えていないのかも知れない。まあ、そんな中で嬉しい誤算はPHSの隆盛だろうし、悲しい誤算は離陸がおぼつかないUMTSということなのかも知れない。慣性モーメントに振り回されること無くビジネスをしっかりとしていくことが必要だから、動静を見極めてPHS対応のシステム応用などをしていくことが重要なのだろう。結局のところ端末を持って何をするのかということで選ばれているのが実情なのでカメラやゲームが大切なのかもしれない。

端末開発の流れをオープンにしようとしていたはずのJavaの流れなども果たして、通信キャリア同士の競争のなかで、うまく落着するのかどうかは疑問だ。自由気侭にとまでは、いかないまでもIPベースで自由に接続を果たせるようなインフラ提供が果たせる中でアプリケーション開発に制限がかからない姿が、ようやく始まった。中々の好評だ、ハードにお金をかけるのではなくてソフトウェアにお金を掛けた成果はエコロジー的にも良いかも知れない。しかし、そうはいっても機種の寿命を短期的に捉える風潮が続いてきたこの通信バブルの時代の中核をなしているインセンティブモデルが破綻しようとしているなかで、顧客が五万円あるいはもっと投入するような金額を出してまで使う必要のあるものだといえるのだろうか。使いきり携帯も登場してきたなかで、ますます私達技術者も使いきりの時代になろうとしているのかも知れない。長く使えるような技術をじっくりと開発していくという、職人の世界を目指すのが一つの答えかも知れない。

めまぐるしく情勢が変化していく中で、今見える状況から見えてくるのは、もしかしたらPHSの上にアプリケーション流通可能なバイナリー環境を構築してIP接続可能にしていくことなのかもしれない。現在の状況やしがらみから考えることを忘れているのだとすれば、残念なことである。飛ばない周波数であることを重々承知の上で始めた第三世代ではあるのだが、投資してきた背景から撤退は出来ないと短絡的に考えているメーカーもあるのかもしれない。身軽な通信機メーカーはとっくに軽やかに撤退しているものの、良い環境が提示されれば翻ってまた参戦するかもしれないのだ。大切なことは研究検討をつづけていくことであり、こうしたことを実現できるベンチャーが登場していくのを支えることも資金投下先に困っているのであれば是非考えていくべきものだろう。資金投下先になるような健全な野心を持つ、まっとうな技術者集団がいないものだろうか。

Quad社のようなビジネスモデルとして考えると、雛型になりうるようなソフトウェアやハードを一式そろえることでハードのみで成立するベンチャーや、企画だけでいきたい会社やら、アプリケーションだけで暮らして生きたいという会社を支えられるような時代に向けて、自身の開発支援力を更に邁進していこうと考え始めているのである。このまま日本に足を踏み入れることなく成田が単なる中継補給のトランジット空港になってしまうのであれば、Quad社とて日本でのビジネスに魅力を感じないであろう。テストチームも擁して、アプリケーションも含めて一つの会社として一式用意できるようにしたいというのは、数百名を擁して開発に当たっているメーカーの方々に対しては単なるサンプルコードにしか映らないかも知れないのだが・・・。二桁の開発体制にはしたいものだが、やはり英語と技術が壁になってしまうようだ。せめて日本人ベースで揃えたいのだが・・・。

国内を往復する中で、富士山の裾野に目をやることを忘れてしまった日本人技術者が多すぎるような気がしてならない。日本は、文化と技術と観光のみでしかやっていけないはずなのだが、最近では観光も失い、技術も失い、そうした中で文化としての精神構造などについてもっと意識を高くもって生きていこうと考えたいと思う。新幹線に仲間達と乗り込みつつ仕事をしつつも、風景や天候に意識をもちバランスよく生きていくという姿が普通だと思うのだが、いかがなものだろうか。ひたすらに端末のみに血走った目をやることもなく、はたまたアルコールを飲み干してだらしなく寝ているだけの風体を晒しているのでは、この国の未来について夢を見出せないのである。森を守り、文化を守り暮らしていくという姿を思いつつも、神社を切り崩して造成した分譲地で心中が起こったり、都心の空きビルなどが増加している様は悲しい。

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