QUAD社の本社には、T君のようにスタンフォード大学の大学院からストレートに就職してくるケースもあるのだが、QUADジャパンのオフィスでは中途採用しかないのが現実だ。直ちに実践で使えるひとに入っていただく必要があるという建前と、教育の仕組みが全て米国サイド中心になっている現実とがある。ソフトウェア開発支援というお仕事に従事している仲間は、みなメーカーでの通信機器開発関連の経験者ばかりである。無論QUAD社のお客様だった人も4割はいる。そして、ソフトウェア技術者として支援の仕事をしている仲間達は、みななぜかヘッドハンターを通して入ってきた人ではないというのも現実であり興味深いことだ。
ソフトウェアという仕事が見えない性格の仕事であることも手伝うのかもしれないが、エージェントに求人探索を依頼して送られてくるレジメを見ていてもピンとくるようなケースは殆ど無い。したがって読み捨てになってしまう。無論Quad社にはホームページで直に求人広告も打っているので、かかれている内容は同じなのだが・・・何故か申し込んでくる候補者(ただしい訳なのかどうかは不明だがCandidateの事)の質というか意識は異なるようだ。見知ったお客様の中でモチベーションの維持に苦しんでいる先端技術者がいれば、仲間達や営業サイドからも声がかりがあったりする。また何故かお客様が転職してしまったさきで、また同じ仕事を続けてお客様であったりするケースもよくあり、この業界は狭いものである。
同一業界に居ながらお客様の間を互いに技術者が青い芝生を求めて異動していくのは不思議な気がする。移っていった技術者が移った先を「青い芝生で満足しました」というのなら、問題はその人が所属していた組織の瞬時値の問題だけだったのかも知れない。悩むひまも無く、仕事に忙殺されていて気が付けばその忙しさの根底となっていた仕事が無くなったりしている事態もあるかもしれない。せめて、自己の携わっている仕事の世界観を確実なものにしたうえで仕事をしていくのが技術者としての務めだと思う。工場や事務所の屋上が立ち入り禁止になったりする現状を見ていると、そうした世界観を持たずに一方的に会社に身を預けてしまっている公務員のような感覚の仕事のしかたをしているのかしらと首をひねるのだが・・・。
さて、エージェントが探してくるレジメになぜ迫力が無いのかと考えるとQuad社の仕事についての接点が無い人が考え及ばない仕事をしているのが理由かしらと考えるようになってきた。Quad社のページに直接申し込んでくる人たちは、まさにQuad社の仕事をしり、そのなかでジョブを求めてきているという点が違っているように感じる。昨年入ってもう一年が経過した上海からの仲間などはWCDMAの開発渦中を国内メーカーでDSP開発に勤しんできた背景だった。国内メーカーでの仕事スタイルが権限委譲を与えずに開発環境の評価程度の位置付けでしか彼に仕事を与えなかったことなどが転職のきっかけだったようだ。しかし彼はWCDMAのプロトコルに関する理解をDSPのコード開発を通じて深め、ソフトウェアの開発に関するコモンセンスを評価されてジョイントすることになった。必ずしもDSP技術者あるいはWCDMAの経験者としての仕事に従事している訳ではない。
一通りの仕事を仕様から読み解いて仕上げてきたという経験が、彼の評価を高めているのでありブルーテュースの開発や1xなどの開発作業での支援をお客様の次の必要となるものといった視点から支えている。日本メーカーから秋にジョイントしてきた仲間も同じである。彼の場合には、お客様時代とあまり変わらぬ仕事をしているということもあるのだが、関連ソフトハウスから出向勤務していた時代に比べて彼の仕事ぶりを直接評価される環境に異動したことで伸び伸びと仕事をしているようにみえる。大変さに違いは無いのかもしれないが心が伸び伸びしていることが大きな違いだといえるだろう。彼のもとの会社自体は、親会社から売りに出されてしまい、いまではNTTの系列のソフト会社となったらしく、ジョイントしてから聞くことの出来た彼の話も興味深い。みな悩みながら仕事をしているものである。
若手技術者を育成しようという目論見で雇った苦い経験も二年前にはあった。半年ほどの仕事を通して、モチベーションの低さをカバーできずに外資という枠でキャッチアップするにはギャップが有り過ぎたようだ。しかし、そんな彼が便利に使いまわされて日本では仕事が出来ていたらしいという現実も含めて、世の中の開発現場でシステムを理解しないままに開発が進められているのかも知れないということを知ることもできた。今、彼は外資経験を評価されたのかマイクロソフトで仕事をしているとも風の便りにきく。切った張ったでとにかくソフトを仕上げるといった仕事をしてきた彼には、合うのだろうか。ソフトウェア開発という仕事をそうした仕様書間のインタフェースにしか見ていない彼のようなプログラマーでは、通信機器に向けた組み込みソフトというものには向かなかったようである。
キャッチアップしたいと思う向きには、如何様にでもトレーニングなどがあるQuad社ではあるし、「ドアを閉ざさない」文化については四年目に入った自分自身も納得のいく確立した文化であるように思える。ただし、コミュニケーションを支えるのは異民族同士の言葉としての英語である。互いが英語を母国語とはしていない者たち同士の会話であり、無論肌の色も文化も違う技術者同士がソースコードやスタンダード、試験結果などをメールや電話会議を通じて話し合い開発していくという姿は、毎日が勉強の日々でもある。英語を苦にしない感性を持つということは、必ずしも話せるということではなく立ち向かうという心意気であろう。中国人の彼のように英語も日本語もマンダリンもフルーエントに話す姿は素晴らしいがソースコードをベースに朴訥と話を進めていく姿も一つの姿である。
Cソースと組み込みと英語を苦にしない感性を持つ人で、自己の確立した技術者を探しているのだが、ことのほか見つからないものである。とはいえ、広げていくべきニーズからエージェントに依頼するしかないのも事実であり、どうやってQuad社の仕事を知らない技術者に仕事や環境そして文化を説明していくのかが私に課せられた課題でもある。プレイングマネージャーという言葉に当てはまる実務派の技術者が私達の考える技術者なのだが、居そうなのは仕事そっちのけで遊んでしまうような人だけらしい。こうした人は早晩リストラされてしまうだろうし、必要なイメージする人は会社の環境に適合してうまく仕事に邁進しているだろうから出てこないという状況なのかも知れない。
先日ようやく見つかった候補者の彼は、邁進していた仕事が座礁してWCDMAの開発そのものが頓挫してしまい自身のモチベーション維持が出来るような仕事ではなくなってしまったという、私達にとっては極めて幸運で彼にとっては不遇の状況だったといえる。3GPPという難しい仕事を更に困難に陥れているのは3GPPとして歩んでいる状況を正しく認識せずにリーダーシップを発揮しないままに世界標準として個々のメーカー同士の調整も無いままに複数のオプションを許容するような状況をつくりだしてしまっているからでIS95の状況とは全く異なっていることに気が付いていないのである。そうした問題点を熟知してかどうかは不明だが早期規格のままでリーダーシップを発揮したDoCoMoの功績は例によって日本バッシングのためか相手にされていないようだ。
困っているのは日本だけだという状況やGSMベースの欧州やアジアの補完手段として捉えている節のあるメーカーとの意識の差は明らかである。世界標準のはずのWCDMAが目指していた最初の姿は2Gから3Gのハンドオーバーであり3G同士のハンドオーバーが想定されていなかったという事実があるからだ。この取り組みは、あたかもDoCoMoが都市圏のみでシティホンとの共用を目指したのと本質的には変わらないものであった。それだけ3Gというものへの取り組みの温度差があったのであり、IS95を一社で狂信的に進めてきたQuad社の背景とは大きく異なり結果として世界中で繋がるという謳い文句は、世界中で繋がらないというおかしな状況を呈してしまったのである。この事実は、いまだ正しく認識されてはいない。
世界標準なら可というような方針で進めたりしていくわけではないものの世界標準でマルチベンダーを試みた野心的な取り組みもある。露呈した現実は、3GPPの解釈が各社で異なるという現実である。おそらく世界ではじめて取り組まれたこうした状況で、ようやく基地局ベンダー各社は自社開発の端末との接続テストだけでは進まないという認識に立たされたようだった。こうした背景や状況を超えて何とかサービスに漕ぎ着けようとしているのだから、この競争は大変なものである。サブセットから始めていこうとしていたベンダー各社は、日本においてフルセットオプションでないと使えないという現実を突きつけられたのである。こうなると端末メーカーが独自に開発していけるような状況でなくなったのも事実といえるのかもしれない。
幸か不幸か、独自規格でサービスインしてしまったDoCoMoがUMTS対応として自社との親和性を保ちつつ、カオスな状況のUMTSとの相互乗り入れをアナウンスしたのは流石というべきか、ご愁傷様としかいえないのであなる。開発費用の半分を分担するということで予算面からのメーカートップのモチベーション維持を図りはしたものの開発中心を成している中核のエンジニア達の仕事上のモチベーション維持に何か策があるのかどうかは、更なる疑問が残る。第三世代携帯の失敗は、まさにIS95の特許対策で始めただけのことであり、各自がバラバラに進めてしまってきたことがバベルの塔を招いてしまったといえるのだ。予定時間で始められないさまは、どこかの国でのオリンピックにも似ている。
花火を打ち上げて、ロードマップを書いてみたところで出来なかった事実をどのように捉えているのかは特許対策のみで入れたエコロジーを外れた仕様などが何時までも残されていて、それにより自己矛盾を生み出している事実などに目を向けずに失敗事例からは足を洗って、第四世代だといって技術開発のみに逃げ込もうとしているような会社もあるようだ。エンドユーザーにタイムリーに通信技術を提供するということが社是の会社としてQuad社が技術開発テーマとしてWCDMAにも取り組んでいるわけなのだが、カオスなこの状況のなかでニーズの少ない日本に向けてスーパーセットな技術を提供していくという仕事の意義付けには難しいといえる。リーダーシップを誰も発揮しなくなってしまった3GPPの上でQuad社がしゃしゃりでるのは可笑しなことだからだ。他では誰も使わないスーパーセットとは一体なんなのだろう。
ある意味でWCDMAとの対極の技術としてHDRを開発してきたQuad社において、WCDMAという周波数リソースの使い方の上で行うHDRともいうべきHSDPAについて無責任な議論がWCDMAという玩具を使って遊んでいるメーカーの間での互いの技術的位置付けを論証するだけとしか思えない話が進んでいるのには取り合わないというスタンスがQuad社にはあるようだ。そうした歴史背景に根ざしたスタンスを明確にしつつWCDMAという仕事をしていくのがビジネス的に正しいのかどうかはあるのだろうが、WCDMAの技術追求という事自体が「知らないことはいやなの」といったスタンスで追求してきたQuad社でありHDRで追及してきたことを帯域を広げての検討をするまえにもう少しHDRという規格の範囲で技術追求していくべきテーマがあるということなのだろう。技術的に無駄なことに注力したがらないというスタンスはビジネス的にみるとマイナスなのかも知れない。
しかし、そんな中でWCDMA技術のビジネス提供という目的で求人を打っているのはまさに可笑しなものである。現にWCDMAに疑問符を掲げて、転職した御仁がWCDMAのサポートをしていたり、1x VS WCDMAを取り仕切っていた技術リーダーすらWCDMAのチップ開発に借り出されているのは、ビジネスを考えるQuad社ならではの決断といえるのかも知れない。「いかにWCDMAが非効率的なのか」というWhitePaperを書き起こしたリーダーが日本人技術者として活躍するQuad社の技術者であったのも不思議なめぐり合わせである。しかし3GPPの運営や狙っている方向性そのものが非効率なものではなかったのかと思うのはわたしだけなのだろうか。1999年のQuad社のオプション3選択以来、世界が注目してきたWCDMAではあるのだが果たして真のWCDMAを誰が望んでいたのかは未だにわからないように思えるのだ。そんな中で今日も、道場破りのような求人応募を待っているのは事実なのだが・・・。