「まもなく京都です・・・」聞きなれたアナウンスが耳に入ってくる。先ほどまでは新梅田のホテルに居たのだが、急遽テスト切り上げになり予約していた走行テスト用のジャンボタクシーも単なる新大阪行きタクシーとなっていた。電話会議を続けながら傍らには、切り上げになったテストチームが乗っている。電話会議の相手はサンディエゴとお客様であり、車内も含めて複数の会話が進行していた。淀川越えをしつつの携帯電話での参加はCDMAでもタフな状態となっていた。予定の思いを巡らしつつ、コミュニケーションを支えていた。日曜から始まった今週のテスト支援作業は、福岡入りに始まり大阪へと移り、いまは帰途についている。エジプト人と台湾人が今回のメンバーだったのだが限られた二週間の日程で相当数のフィールドテストデータを取得していた。毎日が粗解析・データ送付・電話会議というサイクルを時差越えでまわしているのであった。
第三世代というオープンな規格の中での奔放な各インフラベンダーでのオプション選択の中で、実際の端末開発や通信キャリアのサービスインに向けては不自由極まりない様相を呈しているようだ。欧州での第三世代のスローダウンがあまり明白にはしてはいないものの内実からみると火がついたら大変だという思いが正直なところである。そんな中で国際標準に準拠するという方針を出したキャリアが選択したインフラベンダーは三社購買であり、各インフラベンダーの完成度や規格準拠の仕方もまちまちである。共通していることは3GPP準拠という錦の印篭であろうか。水戸のご老公がかざすそれとは大きく異なるのはどれもが本物であり、それを本物として鑑定している3GPPという規格に照らすと我儘ともうつる振る舞いの差異は許容されるべきものであるのだが・・・。
温度差のある各国の状況の中で始まった3GPPの規格ゆえに、各社の戦略や背景に根ざした技術オプションが多数あるなかで規定するというよりは多くの選択を認めるような規格となっている。一つの規格として国際標準という形に纏めていく上ではIS95のような一社の独創(独走?)で規定されてきた規格のようにはなりえないのかもしれない。国内発の通信技術であってもどこかの強大な通信キャリアとの共同研究で規定されてきたような通信規格となれば、各メーカーが我をはれる範囲は少ないのだが、そういった意味では国内通信メーカーは護送船団スタイルに慣れ親しんでしまったからなのかもしれない。国内通信機メーカーで独自の通信規格を打ち出し世界に打って出ていったメーカーもかつてはあったのだが、いまやそうした歴史については語られることもなく埋没しているようだ。