業界独り言 VOL199 再利用の落とし穴 米国にて

速度を失ったかに見える国内の多くの通信端末メーカーとは裏腹に、先を急いだ開発を進めている韓国や日本のメーカーがある。経営方針の違いなどが大きく影響した結果であるのかもしれない。そんな先を急ぐ開発を進めているメーカーに技術提供をしていく中でコンサルティングのような面もあるアプリケーションエンジニアという仕事をしていて強く感じる一抹の懸念がある。先を急ぐあまり内容を理解しないままに闇雲に突っ走るさまと、チームコミュニケーションの欠如といったことでもある。

問題を感じるのは、ソフトウェア担当という職責の方達だけではなくて無線担当あるいはハード担当という方達も同じなのである。再利用が進む中で、幾つもの並行機種の開発を兼務して設計内容を着実に物にしていきつつ育っていく技術者と、コピーペーストとメーカーからの資料とで物を作ったかのようにしていく担当という方達に分かれてきているようだ。基本を蔑ろにしたツケは、何処かで支払わなければならないようだ。そしてそうした事件が開発を遅らしている要因ではないのかと思うのである。再利用するということとコピーするということは違うのである。

コピーペーストによる弊害を無くそうと奔走する動きには、標準化という流れでのコピーされる対象の完成度向上というものがあるのかも知れない。完成度の低いものを標準化しても意味の無いことである。部品精度の勘所やパターン・部品配置といった肝になる情報だけにとどまらず、その製品化の流れで発生した対策や機構部品の追加など細大漏らさず共有しようというPDM活動にも繋がっているのだろう。そうした活動が要求している姿は、実際に技術者が開発していくという姿であって情報調整をしつつ開発委託をしている姿ではないはずだ。

理解していない担当が供給する情報の精度やコミュニケーションでの欠落による事件に遭遇するのは総合で組み上げてからの段階で発生する。パラレル開発をして効率を高めている会社もあるようだが、新規な分野への取り組みに際しては細心の注意を払って臨まなければならない。違う方式と同様なつもりで開発していたという背景が見て取れるような担当と呼ばれかねない技術者もいるようだ。新しい方式への取り組みにおいて自分のカテゴリーに軸足を置きつつ最大限の情報を学習して臨まなければならないのは言うまでもないはずなのだが。

最近では、最新技術に対応した測定器が用意されているために、基本が出来ていなくてもなんとかなってしまうという風潮があるようだ。最新型の測定器を駆使することで効率を上げていくことは言うまでも無いことなのだが、原理原則を理解した上で使わないと単位やノイズなどに振り回されてしまうのは致し方ないことだろう。オープンにした端子のオシロの波形を見て入力ポートの波形なのか、出力ポートなのか動作識別も出来ないようでは自分達の過ちに気づくまでに至らないのは致し方ないのかも知れない。ましてや回路図を確認せずにテスト端子の表示のみを信じて測定しているに至っては何をかいわんやである。動作している測定器のバージョンを確認していく様は天晴れだが・・・。

チップとソフトを開発する側で見れば、自分達と同じ理解で居るはずだという思いがあり、御客様の技術者が来れば支援の手を差し伸べるのは当然なのだが。当惑するような事態に突入することがあるのは相手が担当者だったからだろうか。担当者という職制が、横の好奇心を阻害するのかも知れないのだが高効率開発を標榜するメーカーにあってはよそ見している暇などないというのも実情なのだろう。携帯電話というシステムを仕上げるシステムエンジニアがメーカー自身に不在なのだとすれば、御客様に負担を強いる高いハードウェアを買わせてしまう悪徳コンピュータ商法にも似ていると思える。

回路図の読み方やオシロの波形の見方などを高い授業料を払って出張先で学ぶ必要はないと思うのだが、何故か不思議と担当者だけでも新機種の開発生産が出来てしまっているようだ。再利用するという技術の難しさを正しく認識しなければならないのは経営陣のリソースの掛け方にあるのかも知れない。匙加減一つで如何様にでも良くなると思う優秀な技術者なれる素材だったはずなのだが担当者に貶めてしまっているのは何故なのだろうか。指導しているインドの若き技術者は20代のスマートガイなのだが、教わっている側の日本の若き担当者達は既に30代に突入してまだ技術者になりきれないでいるようだ。

大学や高専などで技術の基礎を学び、技術者としてのルーチンワークをこなせる様になのに三年程度掛かったとしても20代で技術者として自立できるのは難しいことではないと思うのだが・・・。仕事を通じて学んでいくという会社と自身の契約ともいえる形態が働くということだと最近はつくづく思うのだが。学ぶということを忘れて繰り返したルーチンワークに陥っているとすれば納得のいく状況なのかも知れない。人生の貴重な時間を払って会社生活を暮らしていることが自発的な物ではなくて受動的なものだと考えているのなら残念なことである。コピー文化とアジアの国々を馬鹿にする傾向があるようだが、日本のこうした業界の実情こそコピー文化の悪い例なのだと思うのだ。

明るい技術者生活を標榜しようとするのであれば、会社や仕事の性にせずに先ずは自分からの考えや暮らし方を改めて考えることで如何様にでも実現できるように思う。しかし、こうした視点に立てない子供のような意識でも暮らしていけるような状況に甘んじているのであれば、世界のバランスからみての破綻の時期が近づいていることを知るべきである。今や日本を評価するに足らないと判断する実情が出始めているのだ。日本という国は、誇り高い民族だったはずなのだが、最近はそうした誇りも埃にまみれて、読めなくなっているのかも知れない。

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