業界独り言 VOL198 年の瀬に半袖で風邪をひく 米国にて

年末に米国出張というのは、毎回アクシデントに巻き込まれてしまうような気がしている。過去の独り言などを読み返してみて納得したりもしているのだが。経験が詰まれるままに密度の濃い生活になるのは致し方ないことなのかもしれない。御客様のホスティングなども、一人でケアしなければならないのだが、生憎と例に寄って運転免許を持たないことが、こうした状況に更に大きな足かせになる。降って沸いた支援出張は、いつもの如く新幹線の手配と同義語となっている。想定外なのは米国から日本に試験にきているメンバー支援もあり技術者が売り切れ状態なのである。

年末に出張してくるのはお客様の案件が無ければ定常的にはありえないのである。なぜなら皆クリスマス休暇を目前にソフトウェアリリースに奔走しているからに他ならない。そんな中を押してやってくるお客様の緊急度合いも知れるというものだが生憎とサポート技術者という職業が業界から理解されないからなのか貧乏暇なしということになっている。じっくりと取組みたい我々の体質とキャリアとスケジュールでの実現に奔走される御客様の間の調停をしていくのもある意味、部長としての職務でもあるのだが・・・。

健康でコミュニケーション能力に問題がなく、ごく当たり前のソフトウェア技術を解する人材というのが、そんなに稀なのかについての原因追求をしてみても始まらないのだが、毎回愚痴ばかりでは進まない。健康であるということが重要なのは、国内・国外ともに頻繁に移動しつつ様々な状況の中で仕事をしていける体力が必要なのである。健康管理を万全にしていただくためにも結婚されている方が望ましいのでないかと考えている。馬鹿は風邪をひかないと言われるのだが、さすがに雪の中での移動実験をしつつの運転席横でのユーザーサポートと米国テストチームの並行処理をしていた状況から、飛行機で時差を越えた半袖の生活には大きなギャップがある。

コート知らずの強い日差しでの時差ボケの生活と、日本語ばかりの御客様と米国メンバーとの解決を前提にした前進を目的にした支援生活にはハードな面があるのは致し方ないのだが。神風を前提にしたともいえる強行日程には無理があったのだが、初日の発覚したお客様のインプリメントミスで一躍神風が吹くのかと思われるほどの進展を見せたものの残りの二日を進めるなかで準備不足や検討不足が目立ってきてお客様の次の日程も危ぶまれる状況になり、結果として御客様の滞在日程が延びることになった。米国メンバーは納得できるまでやるべきだということで延びてでも進めるべきだとエールを送ったのだが。

この時期に日程が延びることの意味するものは反面、帰国飛行機の座席確保の難しさに他ならない。御客様が急いでいるのには理由があるので伸ばせる限界もあり厳しいことには変わりは無い。3日ほどが限度ということのなかで自身の帰国便を先ず確保しつつ御客様の日程変更についての社内調整を行なったのだが、進展が見込めない場合の延長に関する日本との連絡をとりつつ迎えた金曜日には、御客様からの最終決断と日本チームからの支援方針などが相次いでメールで届いたようだ。良くない日とされる13日の金曜日ではあったのだが、予約変更の日本語デスクの電話番号の連絡などが入っていた。日本のマーケット担当からは御客様へのサポート手配についての説明が送付されてCCで私にも入っていた。

そんな13日の金曜日は生憎と日本の土曜なのである。自分の飛行機を調べて昼休みには電話で手配が完了したもののクリスマス休暇の始まりと重なりとれた回答は22日まで帰れないということになった。予定からしてみれば一週間以上の延長である。夕刻になり御客様との電話会議を交えた打ち合わせをしていると電話会議システムの予約がうまく動作していないことが判り慌てて御客様と日本事務所の二箇所に向けて三者通話の設定をさせていただいた。航空券手配についてのくだりになると弊社で御客様の切符の予約変更手続きをすることになっていた。ということはと自身のCCのメール内容をよく確認するとその下りが書かれていた。をいをい・・・。慌てて三人の御客様の切符を貸していただきセクレタリに依頼をしたのだが・・・。

御客様の構成からは何種類かの航空券で来られていることが判明して、お一人の方だけが予約変更が出来ないことが判りお断りをいれたのだが、この担当の人がいないと延長しての滞在に問題が生じることがわかりさまざまな手立てを講じようと画策をしてはみたもののこちらでの別の航空券手配などかなう理由も見当たらずさらにお断りをいれたのだ。不思議とエコノミーの航空券の御客様の発券が叶い、ビジネスの御客様の発券が叶わない理由について思いがいき、ネットで検索してみると席の空きはあるようで問題は格安航空券自体の問題らしかった。格安な分だけ席数が限られているのでこのランクでの席は無いというのが実態だった。そんなやり取りをしているうちにセクレタリは責任を果たして帰ってしまった。

日本の発券業者との間との電話連絡などで疲れてしまっていたのもあるだろう。結果として、御客様が追加航空券として国内での移動分だけを新規に買うことで米国から日本までのビジネスクラスについては元の航空券を利用することで解決を見ることが判り、あとは手配という段になったのだが、予約変更と新規の券購入についての電話連絡の任が降って沸いたもののなんとか米国のユナイテッドのカウンターデスクとの電話をしのぐことが出来た。こちらは英語だったのだが、なんとかこなすことが出来るのは普段の生活の成果ともいえるかもしれない。電話で英語で話すのはいつも仲間としていることなので互いに説明するための呼吸を意識しているからなのかも知れない。

疲れきった金曜日ではあったが、翌週の準備についてはなんとか目処がたったこともあり御客様を連れ立ってホテルまで戻りつつ明日から次の目的地に旅立つかたの慰労も兼ねてホテル横のアメリカ人の好む中華ビストロでの深夜食となった。さすがに色々なことが起きた一日となったので御客様達自身もおなかもすいていたようで山ほどの様に思われた皿も平らげてしまったのには驚いた。ホテルの部屋に戻り一段落と思っていると、WINDOWS2000マシンがうまく立ち上がらないのだ。使っていると途中で落ちるようになり最終的にはいやな音をたてるハードディスクの故障を標榜していた。出先で予備マシンとしてもってきたマシンはあるものの現在の仕事を支えている一切合切のメールやドキュメントを失ってしまった。

予備マシンで悲嘆に暮れてメールアクセスを試み様としているさいにDNSがうまく引けなくなった状況などがあり、DNS設定を自動取得に変えたときには自分自身を見失っていたのかも知れない。社内システムに遠隔ログインするシステムとしてUUNETの環境を利用しているのだが、DNSは固定設定で与えるものだったのだ。少なくとも二個のDNSのうち一つは正しかったらしく一つは誤っていたのだろう。予備マシンでの最近のモデムでの利用は殆どしたことが無かった。ますます疲れが疲れを呼びろくなことにはならなかった。まったくアクセスできなくなってしまったわけなのである。このITの時代に情報難民となってしまったのだった。

情報難民となってみると、まずはネットアクセスの個人環境だけでも復旧させておこうと思うのだがNIFTYの環境ではCompuserveのネットではIPサービスが動作せず別のソフトウェアを導入して設定して初めてローミングという機能が使えるようになるらしかった。笑い話なのかもしれないが、これらの設定をするにはネット接続がIPで達成されていることが前提になっているのだった。電話代の問題なども含めてケアしようと思うのに、何故か国際電話で日本のアクセスポイントを呼び出して何メガものツールをタウンロードしていた。ようやく一通りのIP環境が構築できたときに思い返したのは「もしかしたら仲間に電話してDNS設定を直接聞けばもっとも安かったのでないか」ということだった。

御客様の今回の焦りにも似た状況での行動と自分自身が事故により陥った行動には大差なく、普段からの準備や落ち着きなどの平常心などまだまだ米国の仲間から学ぶものが多いものだと感じる次第でもある。緊急時にこそ試される普段の生活ということになるのだろうか。30GBのデータからいえることはチームでのサポート体制を徹底しないと個人ではカバーできないということでもあるし、個人としても自分自身の保護のためにもっとやるべき課題はたくさんあったといえる。仲間達への警鐘も含めて懺悔とともにやはり起きた年末出張のアクシデントは13日の金曜日と合わせて極めて重要な反省すべきことであった。

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