「急ぐのは悪魔の仕業」とは、イランの格言であるらしい。壊したりしても、それは神のみ心のままにとかもあるようだ。まあ、忙しいという文字は心を無くすということだから日本でもよくよく考えれば急いで忙しくなるのは勧めているわけではないだろう。週末の映画としてイランと日本の合作映画「旅の途中で」を見る機会があったからなのだが、カンバン方式を推進する自動車メーカーに部品納入を果たす子会社の購買担当サラリーマンが下請け業者との間での葛藤などが描かれていて、日本の下請け業者を支えている外国人労働者達とのあいだで起きた事件を通じて、イランに強制送還されてしまった技術者への未払い給料を支払いに行く旅をするというストーリーなのだった。
主人公のサラリーマン君は、画才のある夢を持っていた青年であったがバブル以降の日本経済という歯車に巻き込まれて自分というものを見失ってしまい企業戦争の渦中で心を失い恋人とも別れてしまったりしている。下請けの鉄工所で働いているイラン人の技術者への給与未払いを不法就労という環境下で、経営者である鉄工所の社長が厳しい資金繰りの中で未払いという形と最終的には通報して強制送還させてしまったという非道な仕打ちなどがあり、イラン人の技術者は人間不信に陥ってしまったようだった(これは映画で出てくる表現ではなく、私の感想であるのだが)。そして鉄工所は親会社からは切られて、倒産しまう。義理も人情も通じない世界としている。
救いの無い設定の中で、鉄工所の社長は急逝してしまい、残された悲しみの家族の依頼(この娘は別れた彼女)を受けた。亡き父が悔いていたイランに送還されてしまった技術者に未払い給与を鉄工所の清算で作ったお金を訪ねだして渡してきてほしいと懇願したのだ。大きな自動車メーカーに入社していたサラリーマン君は、派遣された子会社で、こうした孫請け業者との購買業務を通じて心を無くす所業に悩みつつも、出向先に転属として親会社からも切り捨てられて多忙な会社生活の歯車の中で、この生活を一端捨てる覚悟までを決めてイランに向かうのである。遠い異国であるイランの地で、心豊かに生きる老人と出会い送還されてしまった人物を探すトラック道中が始まった。これはサラリーマン君の自分探しの旅ともなったようだった。
携帯開発の渦中では、まさに「急ぐのは悪魔の仕業」と言われれば決めた日程などに通信キャリアや国家の威信が掛かり急かされた通信機メーカー・協力会社が恒常化してしまった残業などの心を無くしてしまった忙殺の中に身を置いているようだ。映画の回顧シーンの中でイラン人の技術者が、納期を繰り上げ督促をするサラリーマン君に冒頭の言葉を叫び、さらに「一日遅れることで何が変わると言うのか」と詰め寄るのだが・・・。ラバースタンプのように「工場のラインを止めることが問題なんだ」という回答しかできないのだった。同様な風景は、メーカーならば当然の風景のようにもなっているようだ。
開発の遅れをカバーする為には、上層である部長や次長といった肩書きの人までもが、現場に割りいって急場を凌ごうとしている会社もあるようだ。それで解決したとして、次長や部長の方たちが問題点をフィードバックして、会社としての対応力を向上させるための方策に繋がるのならよいのだが、果たしてそうしたことになっていくのかどうか。組込み業界と言われる特殊性の範疇で仕上てきたことの底辺の広がりと、ユーザー要望の拡大などで纏め上げる能力も検査する能力も含めてオーバーフローしているのに、まさにラインを止められない姿は会社の収益を担っている仕事だからなのかもしれない。会社が発展していくために必要な生産力・設計力・企画力といったものを追求していくという姿は、どこかにないものなのだろうか。
3GPPの開発をしていると、使われるお客様が通信キャリアから提示されるスケジュール自体が現状に見合っていないという事実に出会うことは珍しくは無い。技術的にリードしている通信キャリアでの3G開発事例などは、逆に歴史上の失敗の石碑にでもするべき事由となっている。オープンで開発していくというスタンスに立つ限りは、バランスをとりつつじっくりと取り組むしかないのである。期待する納期や期日に向けて問題となるのは、往々にして自身での検証の甘さと相互接続性テストのサイクルでの迅速なフィードバックが出来るのかどうかという点に掛かっている。そうした視点に立ってみると世界最先端の開発をしていくうえではテスト技術者自身、優れた3GPP規格の理解者であり提供されて試験しているコードの評価と改造確認くらいは出来るのが当たり前なのだろう。
そうはいっても、商用リリース時期に入っているべきフィーチャーを含めるとお客様の製品出荷日程から考えると二週間も無かったりするのだろう。といってお客様は、最先端の開発状況を知った上での納期追求ということに最近は納得してきたようだ。互いにマージンは無いのでテスト経過の綿密な報告やインクリメンタルにリリースされてきたコードのテストを続けて最先端の開発状況を自社製品にたちまちに反映させるといった自分達のするべき努力に賭けているのである。互いにプロフェッショナルである最先端な製品開発をしているといった互いの自負が支えているからだろう。ここまで辿りつくまでには色々な誤解や事件などがあったのではあるが、今となってはそうしたことを通じてどのように進めていくべきなのかを体得してきたといえる。
イラン人やパキスタン人といった人たちの感性というものを目にしたりすること、このQuad社に従事しつつ体得もしてきたのであるが彼らの感性を仕事に反映したからといって遅くなると言うことはないのである。少なくともソフトウェアの開発をここまで大規模にしてしまった3GPPというプロジェクトのせいかもしれないのだが・・・。「もう無駄だ、こんな状況じゃ試験をしても意味が無い帰ろう」といって帰国してしまったりとか、「う・・うごくぞ、さあデータをガンガン取るぞ」といって遅くまで仕事をしたりしているのが彼らの感性なのである。悪魔のささやきのような急ぎ方は決してしないのである。自分達の心の声に従ったペースを遵守しているのが彼らのスタイルのように見える。そうした仕事が出来ない理由は端末の開発競争だからなのだろうか。
アプリケーション開発の世界が残されている競争領域だと、言われてきたのはQuad社や北欧メーカーのチップセットを使って無理をしない開発を進めようという世界的な動きになってきたからかもしれない。アプリケーションプラットホームとして互いにアプリケーション自体を流通できるようになれば、大きな世界の変身といえるのだが、そうした事実が生まれようとしているようだ。考えてみればデジタルテレビの開発などでは開発費用の分担などでLSIの分担開発なとをしてきた歴史もあるのだから、携帯電話で必要なアプリケーションというものが部品として流通しだすのは自然な摂理ともいえる。そうした事態に突入しようとしている最先端実情を理解しつつ、現状の仕事の仕方や若手社員の育成を変えていくことが必要だと認識している協力会社は、これから伸びるに違いない。
無論、そうした近未来を認識して親会社という立場あるいは子会社という立場で、何を持って勝負としていくのかという点について、自問自答を繰り返しておかないと天動説から地動説といった事態に際して、会社事情の宗教裁判に出席するということに陥ってしまうだろう。エンジニアだというのならそうしたことを理解して、経営感覚を持ちつつ次の一手をどのように進めていくのかを考えるべきである。3Gはもう駄目だから、4Gの開発に移りたいなどと考えているのならば、お先真っ暗である。通信キャリアを超えてのアプリケーション移植すら視野に置くべきであるのだが、モデム屋は育たず、アプリ屋もいまいちの感性で右往左往している会社も見え隠れする。もう通信機メーカーという屋台骨からは独立したほうが良い時代なのでしょうか。
あらたな感性を持つだろう新規参入のお客様までも登場しそうな状況の変化には、アジアの中での通信機開発という状況においての各メーカートップの腹の座った決断がありそうです。エンドユーザーニーズに応える商品を提供するのがメーカーの役目でありそうした流れの中で必要な開発投資と投資回収の二面性を追及していくことが必要な状況で国内での設計開発に見切りをつけるのか、あるいはモデム開発投資をチップ契約で代替するのか・・・。中国・韓国の積極的な姿勢の中で日本の若者達の消極さが表面化してきた現在としては、じっくりと開発していくというビジネスモデルがコスト的に成立しなくなってきたのかも知れない。マイペースで開発が達成できて品質も納期も満たせると言う製品開発のストーリーを追及していければ日本でもまだやっていけるのではないだろうか。