業界独り言 VOL181 携帯電話開発の行方 発行2002/9/28 米国

この間の三連休ではあるが、例によって米国への移動で休日を浪費していた。細君にしてみれば、身勝手な会社だと映っているのかもしれない。亭主元気で留守がいいという向きにあっては良い会社に見えるのかもしれないが。Quad社に転職してから三年たち、四年目に突入した。国内のアプリケーション事情との整合については支援を通じて、片鱗が見えてきた。詰まるところ各社共に行き詰まっているのが実情なのである。といってQuad社が提示したような アプリケーションプロセッサという概念によるものまでは受け入れたくないという我が儘な状況でもある。携帯から一足飛びにPDAといったような物に変わるのは時期尚早という判断でもあったのだろう。

日本の三連休は、ハッピーマンデー法案の成果でもある。秋分の日は丁度月曜に当たっていたわけだが・・・。西海岸の会社との関係でいえば、月曜日が休みというのは実質的にも、時差の関係もあり本社が日曜日の時に休めるので丁度よいわけだ。月曜日に移動して月曜日に到着するので、毎週の定例電話会議には米国からの参加が出来る。端末開発に向けたプラットホーム提供という意味においては、国内各社にも同時に供給して適時に製品が出せることから、ある程度はビジネスモデルとしても成功しているといえる。幾つかの特異例が課題としてはあるのだが・・・。

国内のメーカーは、携帯電話の回収騒動を経て、ソフトウェアの試験による品質確保に重点を置くようになっている。あるメーカーの弁を借りれば、「チップと最終ソフトが提供されてから半年かかります」というのだが、多くのメーカーが同時進行で開発を進めている中では、機種リリースが一巡してからの機種提供になってしまう。それでも独立独歩でだしていく姿は明快で潔い。自分たちのペースであるからと承知の上での開発なのである。こうした現場の状況と、そのメーカーの技術トップあるいは経営トップからの意見は必ずしも一致はしていないらしい。皆、積み上げたソフトウェアシステムが安定に稼働させるための技術については待望しているのであり、現状の中ではテストで品質を確認してからの出荷という形態しかとれないという判断なのだ。

世の中のソフト技術者の傾向なのかどうかは判らない物の、組み込みソフト技術者の意識を下げているのは出荷を急ぐ携帯電話市場への対応というもの自体が元凶ではないかと感じている。納期を急ぐあまり、原理追求がおろそかになり臭い物に蓋式のデバッグ姿勢が見え隠れする。不具合が発生してからのエラーリカバリー処理についての要望が出てくるのもそうした影響である。間違った使い方を是認して、システム側でそうした事を想定した対応策をしろというのも無体な話だ。

コンパイラーのエラーメッセージのように一つのエラーから導かれる多くの余分なエラーメッセージと同じような状況を実行時のAPIにまで気にかけろと言う要求なのである。こうしたメーカーに限って、ソースコードレベルでの単体テストの追求などはなくICEなどを多数駆使して、問題点を見つけようとしている傾向にある。まあ知己であるICEメーカーなどにとっては嬉しい悲鳴か知れないのだが、最近ではデバッグ支援にもなっているような状況もあるらしい。

メーカーでは企画からシステム設計などの上流設計までを行い、下流設計を協力会社というものに委託して開発するのが日本での一般的な姿である。韓国や中国とは異なる。更に踏み込んでシステム設計から工場テストソフトまでを一式受注するまさに強力な協力会社もあるようだ。となるとメーカーが行うのは企画作りまでなのかということにもなる。自社の生産ラインの稼動率を気にするような会社なのであればEMSメーカーとしての生産形態も経営として考えるべき時代なのかも知れない。

実際問題、セル生産になっている多くの携帯電話メーカーの姿では、ヒット商品が開発された場合のオーバーフローした分の生産委託先を模索しているところも在るくらいだ。高位設計に走り企画やプロジェクト管理を中心に行ってきた会社では、下流設計のセンスが失われていつしか企画上の問題などについても自身で考えられなくなってしまった所もあるようだ。企画力も開発力もありラインが弱い会社と、その逆の会社などでバランスが取れているのかもしれない。

開発力が低下してしまったメーカーの仕事を受託している協力会社の場合には、協力会社のメンバーが色々な深みに嵌まっているので仕事がとぎれないというメリットがあるようだ。しかし、このビジネスモデルも、受注元の経営状況に左右されるという問題があり、基本的に先が危ぶまれるような受注元にならぬように啓蒙改善していくことが必要である。第三世代携帯のようにテーマが技術的に難しい上に、現在の携帯電話との延長上で捉えるには価格差が生じすぎるような商品では、目標が見失われて納期完遂が最終地点であるような誤解を生じやすい。

出来上がった先に待ち受けていた物が、自分たちの開発成果が活用できないような事態であったりする。先に繋がっていくようなテーマの流れに身を任せていきたいのは自明である。次のテーマを求めてキャッチアップに走る姿などは、最近の新しい仕事の仕方といえるようだ。受け身から、自己啓発を含めた前向きな仕事の姿になっているようで、在る意味で従来の請負元に見切りをつけた結果かもしれない。

開発力の低下したメーカーから見た場合には、なかなか自身が開発力の低下までを認識していないところが多いようで、協力会社を一方的に予算の都合だけで切り捨てて自社での対応が出来ない状況に遭遇してハングアップしているケースもあるようだ。自己認識を早くに持ち自立した意識で自己技術の蓄積を果たすような仕事の進め方をしていくべきだろう。現場の技術者が意識してアラートを挙げていても無視したり理解できなかったりしている状況にあっては目安箱をおく奉行様のような組織としてのプロセス改善チームなどが有用といえる。

直接、お大名に直訴しても握りつぶされたりすることも在るのが常なのかも知れないのが、日本的な会社の悪いところでもある。技術者の方々が苦しいなりに明るく仕事を進められている会社と、忙しい割りには、たまの休日にも翌週の仕事のことを考えて暗い顔をしているメーカーの方などは、知己にメールで愚痴ったりしているようだ。前向きに会社の中での問題を改善に取り組んでいけない様子には、会社としての余裕が無いことに起因しているのかも知れない。

多くの技術者が集って働いている会社という組織のなかで、事業を通じて社会に貢献しつつ仲間達のスキルアップもしていくというビジネスモデルがいつの頃から破綻してしまったのだろうか。青臭いと言われるのかもしれないが、意識を持たずに働いている技術者を容認して結果のみの追求に走ってしまった結果なのではないだろうか。会社の社員育成要領などに、大きな差は見られないと思うし仕事を進める上で、目標設定をして日々の研鑚と最終段階での反省で対処していくという姿なのだが、目標設定と反省のみが行われているような気がしてならない。

人間として仕事をしていく上で、設定した目標にたいして上司や先輩からの適切な助言を会社の指針に照らして出していけるのかどうかということが元より一番大切なことなのではないだろうか。大先輩が、見えないところで行われていた数々の支援作業というものを通じて自分たちの仕事を上手く回してくれていたといった事情を知らぬままに過ごしてきた自分自身もそうしたことを助長してしまったのかも知れないという自戒の念に襲われる。

後輩の姿は、自分自身の姿見であるのかも知れない。悪いところは教えずともに移り、良いところは、教えてもなかなか伝わらないようだ。出来る限りタイムリーに伝えていくということを徹底していくことは大変なことではあるが、繰り返し努力していくしかないのだろう。過去のバックナンバーを紐解いてみると自分でも驚くように繰り返し話していることも多いようだ。年のせいもあるかも知れないので嫌われる老人の特性を兼ね備えてきたのかもしれない。感じる事を書きつけてきた独り言ではあるが、サポートという切り口の仕事を続けてくる中で相対する悶絶絶句するような事象に遭遇するがゆえに書き続けられてきたように思う。

世の中からは、巧みの技からの変身を求められている組み込み業界と呼ばれる中で結局、巧みの技を継承出来続けている会社が問題なく安価かつコンスタントに魅力的な商品を出し続けておられるようにも見られる。そのように、うまく回っている会社を助長支援していくのが、今の仕事なのである。無論うまく回っていない会社に対しての指導育成をするということも大きなテーマでありさしずめ元の会社も含めた業界に向けての改善の処方箋が作れればという思いでもある。しかし、ハードルは高い・・・。

組み込みソフトウェア技術者として長らく携わってきた業界ではあるが、今では技術者としての追求をし続けることを許容する会社での活動となっている。過去の取り組みなどを振り返っていくことが、後輩たちへのなにか手助けになればと思うのであるが、なかなか日本ではそうしたリアクションを感じることが少ない。日常的な仕事の意識の差なのかもしれないのだが・・・。仕事を通じてキャッチアップしてスキルとして貪欲に吸収していこうという意識は日本では新入社員の頃にしか見られないようだ。いつしか一通りの仕事をこなすようになると、上司の手の内も見えてきて自分として目指すべき範囲を閉ざしてしまうのではないだろうか。

親方として出入り業者としてのソフトハウスに仕様を提示して、自分の理解の範囲の物を作らせようとして、理解を越える物がソフトハウスから提示されないことをいいことに自分自身で納得するようになってしまっているのだろう。ソフトハウスは発注元の能力を推し量って仕事の範囲を制限してしまいがちなものである。余分なことをせずに仕様書に従った物を納期に納品することが大義なのであって、その先にある製品としての有り様までに口を挟むことは出来ない立場なのだと理解しているようだ。

素直な議論を同じテーブルに座って始めるという訓練が、日本では出来ていない会社が多いように思う。一方的な技能伝承あるいは全くの無指導のままに、逆に長く仕事をしてきた協力会社から教えてもらうといった筋違いの形態までもがあるようだ。日常的に考えをぶつけ合うという横のつながりを持つことが必要なのではないかと思うのだがそのような活動を、会社として許容するのかどうかという点が一つのポイントなのかも知れない。実質的な意味のない形としての委員会などはあるのかも知れないが草の根というべきなのか現場同志をつなぐレビューを行うような活動が必要なのだろう。

従来であればnetnewsが、そのような意味を持っていたのかもしれないのだが、最近ではnewsのフィードを絶ったりする会社が出てきて草の根活動を締め出してしまっている。なんと理解のないことなのだろうか。対応する物は公開されたメーリングリストであるのだが、メールの普及と共に単なる伝書箱になってしまっている会社のなんと多いことか。自由に公開されたメーリングリストを許容できれば、リスト管理者に参加理由を説明して説得が得られれば参加できるのである。また、誰が、どんなメーリングリストを購読しているのかといった点も公開するべきであり、これにより、今はやりの職人気質的な「技を盗む」といった目的も達成するのである。

では、そうしたインフラを突然始めれば解決するのかというと決してそんな事はない。日常的に誰もが必要な質問を誰にでも発せられ、それを受け入れられる風土が必要なのである。そうした風土いわゆる横串を通しやすい自由な空気を醸成するのは、並大抵のことではないのだと前職での経験から私は思う。大会社の中で、これはと思う人と出会い意識が共有できると一方的に思いを発信して交流を始めていくというのがインターネット以前に私が、取り組んできたメソッドである。残念ながらメソッドとして採用した情報誌という形態に運営上の問題があり、広告予算として認めてくれるような大規模プロジェクトの終焉と共にこれを続けることが出来なくなってしまったのである。

何万人とも言われる会社にあって出会った技術者の中から同志として選った300人あまりのメンバーに発してきたメッセージは、そうした場を求めてきた同志からの反響を呼び記事が記事を呼ぶようになってきていた事からも残念な形で終わってしまった。最終号となった情報誌は、皮肉にも目指してきた電子媒体によるPDFファイルでの配布でコストのかからないものではあったが編集主幹の退職という形で次世代へのエールとしての終焉であった。今では内部に向けてのエールも含めてこの業界に向けてのメッセージと形を変えて今までと同様な形でメーリングリストを書いている。まだ、外部からの寄稿を受け入れることまでは至っていないが、反応が電子メールで得られると共に秘匿性を確保した掲示板として隠された思いを書き込めるようにしている。色々な会社で同様な取り組みに燃えている仲間を見いだす事も出来て嬉しいのだが、まだ何か足りない物があることを私の友人たちは知っている。

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