日曜の朝、朝刊を取り込むと昨日取り忘れていた日経エレが入っていた。最近の話題は、携帯電話の低迷は既成事実となっていて記事にもならないようだ。そこへ今の旬の話題はJPEGの圧縮技術の特許の話である。国内の技術屋の意識向上を狙ってかプロジェクトXのような取り組みがうまくいった事例の回想話となっている。今苦しいという状況の中で奮起するような材料になるのかどうかという点については私には疑問に思える。歴史を紐解くという観点で当時の状況や背景を一面的に捉えてしまう危険性について編集では気にしてほしいものだと思う。景気のよいガツンとした記事を期待する向きが、編集指針にあるのかも知れないのだが。
携帯電話の開発状況がどのようなものなのかは、求人広告を見れば一目瞭然となっている。ここまで急速に冷え込んだのは何故なのだろうか。チップビジネスを展開している立場からみると国内の異様とも思える冷え込みぶりと自分達のチップの状況との間に相関性が取れないので、おそらく米国本社ではこうした雰囲気を感じ取ってはいないのだろうと思う。もとより日本市場の小ささは、CDMA本家から見た場合には蚊帳の外でもあった。PDCという特殊状況の封建制に守られた国民性もあったかと思う。まあGSMなどにしても、自国有利に導くための方策であったとみれば同じような状況にあるだろう。
今一番元気なのは、セットメーカーではなくて部品メーカーなのかも知れない。携帯電話の開発に従事していた知己は、無線システム開発能力を買われて高周波半導体開発の中心に移籍したようだ。ユーザーは今までの自分達の同僚であったり、また他社の携帯電話メーカーであったりするようだ。部品メーカーにとってはセットメーカーの経験が薄いために、ユーザーが感じ取る悩みなどに対する技術的な助言などが出来にくいという事情がある。そうした中で彼のように中心となって携帯電話を纏め上げてきた高周波技術者というスキルマップは有効活用されているようだ。大きな会社グループとして、部品事業や携帯電話までをカバーしている場合には殆ど転職というような状況にも関わらず「異動ですか」の一言で片付けられてしまう。
先日遭った高周波技術者の彼は、今では何社かのセットメーカーにも訪ねて新たな高周波半導体の飯の種を探しつつ今までの経験をフル活用しているようだった。軽薄短小といったことが部品メーカーに求められてきたわけだがセットメーカーの経験をもつ彼が次にどのようなセールスポイントをおいて開発を進めていくのか非常に興味がある。とりわけ感じられるのは、直ぐに使える部品を目指して自身で戦略を立てて特定のセットメーカーと組まずに自らのリスクで新部品を開発しようとしているらしいことだった。リスク最小できた今までの路線からは一歩踏み出してきた戦略は楽しみなものである。
青色LED開発をしてきた中村さんの特許の扱いが自由発明にあたるのかどうかという裁判には終止符が打たれたようだった。会社の方針と真っ向から対立して結果として得られたものまでも会社に取られてしまったという見方に立てば残念だとも思うし、やはりそうした研究に没頭したいということであればその会社にいること事態がミスマッチだったのではという見方にもなる。会社の中で自由にやらせてもらえるという境遇をうらやむという青い鳥症候群の人から見れば研究所に行きたいという、青臭い要求にも見られがちだが、事業に密着した将来のストーリーにたった研究開発(技術管理)ということがしっかりしていないと短期的に研究成果を浪費してしまうことになる。
ユニークな発想をするアイデアマンといった人間を許容するのが伸びる会社の余裕であると思うのだが、そうした人材がいるのであれば広く広告して社内の技術情報流通ネットワークを活かしたものにしていけばよいと思うのだが・・・。常識を問い直すような、アイデアが出てきたときに受け容れられるような会社組織であるのかどうかが、その職場に技術者としていつづけるのかどうかという尺度ではないだろうか。かれてきた技術をベースに製造力だけで一気呵成に最後の仕事を巻き取ってしまうというようなモデルでは、技術者の満足は得られないだろう。今、そうした見方をすると開発期間を短縮にするための画期的な技術とはソフトウェアをおいて他ならないだろう。
基礎技術としての在り様として、ソフトウェア技術の発掘に意識が高かった会社だと私は前職のある時期までは理解してきた。しかし、その風土は会社のモノではなくて、その当時のある技術トップの方の働きかけであったということが最近わかったのである。技術トップの移り変わりで状況がころころ変わってしまうのはCMMでいうところの混沌としたレベル1であるわけだ。そうした先輩技術者が退職されて悠々とコンサルティングをされていて先日お会いして話すことができた。いつもは私からの独り言を一方的に送るだけであり時折、ご意見をいただけるありがたい先輩でもあったのだが。実際に二時間あまりお話する中で技術トップとして自分の理解を超えるものが出てきたときに理解しようとすること。自分で引責しつつ現場に任せること。これを追求していくことが原点だったようだ。
原点を揺るがすようなアイデアを受け容れて、トライさせてくれる限りはベンチャー精神のある会社なのだと思う。そうした中で出来る限り自分の手を汚して開発研究するということが私自身のやり方だったのだが、最近では古臭くて取り合えないことなのかも知れない。最新のツールを駆使して上位層のレベルで設計していくことが技術者としてのトレンドであるというならば、私の仕事の仕方はクラシックなものであるといえるだろう。Cソースコードに没頭して、コンパイラーの中の深みにはまり自身で思いつく様々なアセンブラ上のトリックをどのようにしたら自動化出来るのかと腐心した時代は、遊びの時間でもあった。開発環境が不備であれば道具作りをして効率を上げるのも楽しみであった。今の時代はすべてが揃いすぎていて若者達にとってそうしたことを考える余地が無いのかも知れない。80年代に組込み環境でCコンパイラとRTOSを使い切ったということが常識として備わってしまった。
仮想マシンであるベーシックをハードウエア化するアイデアを駆使して作った中間コードインタプリタシステムは、研究成果ではあったが、ターゲットであったBASICから時代がCに移行しつつある時代背景の中でそれ以上の進展を見せなかった。昨今のJavaVMのハードウェア化アクセラレータと同じアイデアであると転職後に気が付いたのではあるが、パテント申請したはずの内容は途中で手続き放棄が為されていて無効だった。まあ、そうした状況では前職の会社の在り様というものが問われていると思うのだが、技術を管理することなく件数申請だけを重ねていることの実情がそこにはあるのだと思う。サブマリン特許を自社でもてるのかとどうかという視点にたつとありえないということが判ってしまう。
さて、これから何が楽しいのだろうかというと「協力会社の足きりまで始まっていてそんなことがあるはずがない」とお叱りを受けそうだ。しかし、第三世代携帯の破綻の理由を考え直してほしいのは、開発リソースのバランスが崩れて過剰投入したことのゆり戻しが来ただけなのである。市場規模と開発期間こうしたことのバランスが成立する前に破産してしまったWorldcom事件と何の違いも見当たらないのである。市場に見合った仕事の進め方をせずに手に身につかない仕事をしてしまった結果、余剰の人材が転職していくかもしれないし、協力会社の仕事の受注方法も変わるのかもしれない。気にすることは無い。貴女が貴方が出来る仕事をしていけばよいからだ。もし貴方の仕事の仕方が時代の要請にマッチしないのなら勉強をすればいいだけだ。残念だが、何か売り物がなければ転職もままならないのは事実でもあるが・・・。
事実、CDMA陣営は元気に端末を出そうとしている。米国向けのカメラモデルには、JPEG特許問題が出てくるのかも知れない。そんなことよりも、IPベースでプロトコルフリーで接続出来る環境を用意して自由でオープンな開発環境を提示することのほうが、これからは大切である。Javaで走るのも良いのだが、ハードウェアアクセラレータの特許で困っている会社も多そうだ。ネイティブで小気味よくコンパクトなコードに仕上がったPALMにも似た時代に近づけるのかどうかが鍵なのかもしれない。技術屋としての課題を正しく認識することが一番肝心である。自身で転職できるほどの技術を身に付けてほしい・・・とは、前の会社で最初に諭されることであった。そうすることが会社自身の実力強化に繋がるからだ、会社は人であり、人を生かすように動けない状態では動脈硬化を起こしているということになるのだろう。
短期日にソフトウェアをシステムとして完成させて構築できる技術が携帯電話には求められているのは、誰の目にも明らかだ。そうしたことのために、モデムのマイコンとアプリのマイコンを分けることだという意見も日経エレも含めて業界のトレンドらしい。しかし、本当にそうなのか、貴方がソフトウェア技術者というのならば問題点の解決にそれが繋がるのかどうか良く考えてほしい。そして、そうした端末を必要とするユーザーに幾らで届けられるのかどうかということも含めてメーカー技術者としての感性で総括した上のこととして、何か取り組むべきテーマがあるはずだ。ほら忙しい日常なのかも知れないが、「こんなことは私しか考えつかない」といったとてつもないアイデアが出てくるのではないか。そうした事こそが技術者の楽しみであり、忙しさに打ちひしがれてストレスで身体の調子を崩して家族に心配を与えることでは、本当に転職でもしたほうが良い。