無論そんな日がやってくるとは、現時点では思えない。第三世代の失敗以外は、特に悪い材料はないのだろうか。失敗を隠して、第四世代に向かって行くのだろうか。ドコモを支えているユーザーは残念ながら国内のみである。従って国内ユーザー枠という観点からみた場合には、現状からみて溢れたユーザーの範囲を収容していくには、ドコモは周波数を拡大するしかない。首都圏などでのシティホンバンドと従来の800MHZ共用機でi-MODE需要に応えていく以外に路は無いのです。i-MODEを支えているゲートウェイの処理能力などが限界に到達してきてi-MODEユーザー自身がドコモからのインターネット接続能力に疑問を抱かせる事態に気づき始めてきたのも事実であり、ソリューションビジネスなどの観点からも日の丸電気が商機と見ているのかもしれない。
国策として映るほど、世界最先端として進めてきた第三世代の元々の理由である周波数資源逼迫という事態に直面しているのは残念ながらドコモだけなので他社の動向との比較などをしても意味が無いことは周知の事実でもある。人気の無い狭い首都圏向けサービスとして始まった1.5Gを利用した周波数拡張を更に拡大すると発表したのである。これは国が出来るドコモ支援策の第一弾といえるだろう。ちなみに犠牲になるのは、まずはタクシー無線用の周波数帯である。景気の失速でタクシー業界でも無線利用が減っていることや。やり手のタクシー運転手自身が自衛策として携帯によるお得意先を確保しようとしている事実もある。無線利用の大口顧客がへり、活気のある一部のベンチャーなどの人たちなどが従来の大口契約といった昔のスタイルに馴染まなくなってきたこともあるだろう。
国内でしか存在しないPDC方式からの決別は、auにより漸く為されただけで、1.5Gのみで運用してきたデジタルホンなどとの合併などもしなければドコモブランドの維持が出来なくなってしまうのではないだろうか。全国に設置しつつあるFOMA対応基地局の収支などを経営の見地から見ればドコモ自身がJ-PHONEに売却してしまうというオプションすらも出てくるだろう。FOMAという現時点の限られた数のユーザーのみで評価されるのはドコモの本意ではない決して無い。技術的な優位性の一端である、非同期故の超小型基地局・バッテリーライフの改善などと打ち出してきた第二陣のメーカー群が、実はFOMA最先端なのかも知れない。現在の負のスパイラル状態にあるドコモの第三世代を解決するのは第一陣のメーカーからの離脱なのかしらとさえ外部からは見えてくる。
ユーザーニーズに立脚したi-MODEというビジネス事例をWinWinモデルとして捉えられたのは実は前世紀までなのかも知れない。新世紀に入り、日本からの押し売りに辟易した欧州や、技術力を高めてきた中国韓国といったアジアの同胞達からも狭い国土で勝手なことをしているとさえ映る日本の技術開発の暴走には冷静な判断を下しているようだ。国内モデルの開発が意味を持たないと判断する欧州メーカーの日本からの離反などはそうした事の反映でもある。将来の姿としての第三世代は、欧州でこれから起こるであろうデータ逼迫などへの対応策としてEDGEやGPRSに対応していくことなのか、高い費用で取得した第三世代のライセンスを駆使して更に開発投資を行っていくことなのかという選択をしはじめているのが実情なのである。
実際問題、第三世代方式UMTSで実網でハンドオーバーが出来る商用ネットワークは世界中でも日本にしかない。そうした意味においては、フィールドテスト地域として日本が注目されることはあるのかも知れない。欧州メーカーの意識は、UMTS(WCDMA)は首都圏のサービス補完策のような扱いでありハンドオーバーとはGSMとのハンドオーバーしか想定していなかったのである。そうした背景もあり、3GPPの規格自体の完成度が高まっていかないのは致し方ないことかも知れない。国内でUMTS規格に則った形の基地局展開がJ-PHONEベースで始まったのは、あくまでもメーカーの技術開発という観点からは新たなる取り組みではあるが、サービス提供される内容が果たしてエンドユーザーにマッチしているのかどうかについての言及はキャリアマターでしかない。親会社であるボーダフォンからみたJ-PHONE戦略の変化は、まさか国内でのGSMサービスに切り替わるとは思えないのだが・・・。GSMとUMTSの共用機にしていくという。
ドコモと国が国策として技術大国という看板を引っ提げての方針で更に突き進んでいくというのならば、現在のままという姿も肯定できるのだが現在のメーカーを含めた日本という国の技術力は退廃が進んでいるとしか思えないのである。国際化に失敗した付けがここにきて大きくのしかかり、国際化に成功した中国・韓国をうまく取り込んだ欧米メーカーが伸びている図式に他ならない。日本が提供するライセンスがhttpベースのi-MODEやJavaだけなのであればオタクなユーザーを抱えている国民性のみが興味対象というのが正直なところではないだろうか。ハーリー族といった若手台湾人が憧れる国ではあるらしいが、果たして技術者からみた視点では違うようだ。メディアである日経エレクトロニクスなどもようやく事実に触れ始めたようで、日本が憧れる国になっているのかどうかという点は技術者自身が、「子供には就かせたくない職業」と思っている現状からも否定されているのは明らかだ。
ドコモがUMTS仕様の基地局機能へのアップグレードを表明したのには、国際孤児となってしまったWCDMAの早期仕様からの産物だからでもあるのだが、ドコモがサービスをJ-PHONEに提供するという選択肢すらも出てくる。相互ローミングを果たせる可能性が出てくるのである。実際問題、相互接続性のテストで見えてくるのは互いの異なったスペックでありながらもある程度の互換性で見えてくる妨害波という呼称で呼ばれる互いの存在でもある。振りかざした剣を懐に収めてから、次の一手で抜くのはどのメーカーなのかは実に興味深いのである。しかしエンドユーザーの視点で見れば何が提供されるのかという点に尽きるのであり、そうした観点から見てもサービスを実現するという意味で端末開発のプラットホームを押さえているメーカーがこれからのトップランナーに替わるのである。
特定キャリアから出てくる仕様のみにフォーカスしていては、国際化社会で始まろうとしているアジア大会にすら臨めないのが実情である。バイナリープラットフォームを担ぎ出してアプリケーションを書き直した英断を下したメーカーもある。こうした動きが進展してしまうと、細かい作業で受注していたソフトハウスなどの仕事は食いはぐれてしまう大変な事態である。各社での移植経験などを集約化して新たな生きる路を模索しているソフトハウスは新たな戦略を考えつつ現在の混迷している状況でサバイブしようとしているのだ。言うとおりの仕様で物作りを受諾する時代ではない。複数の異なる通信プロトコルの上に立脚して同一のアプリケーションを国別にカスタマイズしていけるのかどうかということが求められているのである。そうしたことを考えずにプラットホームを導入移植しているからOKなどと能天気なことを語っているのでは草木も生えない。
共通規格で始まった第三世代の相互接続性試験のハードルの高さは、仕様解釈がまちまちであるということや仕様自体がまだこなれていないといったことでもある。そうしたハードルの高さを北欧メーカー自身も最近痛感していてインプリメントの数だけマトリックスが増えてきている。基地局メーカーの数と異なった場所での試験をクリアしていけるのかどうかという点を見ていくと最終的に果たせそうなメーカーとしては世界的に見ても三社程度しかなさそうであるというのが正直な印象である。中々自身から打ち出してきた戦略がままならない状況にあるドコモなどを見ていると不採算事業としてWCDMA部門を将来誰かに買われてしまっても致し方ないかなと思ったりもするのが最近の印象である。
アプリケーションチップの開発もザバイブするのが大変で、SH-Mobileの最大の敵がエプソンの液晶コントローラだったりもするのが時代であり、新興ベンチャーも通信キャリアの隆盛を見据えつつ次の一手を模索しているのが実情で周囲はサバイバルな戦況である。このことを認識して、社内の開発プロセスの課題などに真摯に取り組んでいるのかどうかということを、高らかに叫んでみても中々歪んだ状況の我が儘なモチベーションは変わらないようだ。開発の遅れが死命を決するということの重大さとともに変化に即座に対応していくということも望まれているのが周囲の状況なのである。規定路線として安住した気持ちでただ「自分の仕事はいつも忙しいのだから」とたかを食っていると実はレイオフされてしまうという状況であることを理解するべきである。
開発プロセスの違いによる生産性の差は、メーカー間で10倍以上の開きがあり、こうした不況や戦略なしの状況が続いてる通信キャリアなどにフォーカスしているのだとすれば是正策として半分はレイオフされるかも知れないと認識すべきである。そうしないためにはどのような解決策として取り組んでいくべきなのかどうかを最寄のプロセス改善活動に飛び込むとともに自身のキャリアアップという視点も持ちつつ日々のテーマに意識を替えて臨むべきである。通信キャリアを指導していくのも端末を開発していくメーカーの任務である。トータルなコスト意識も踏まえて最良の方策をエンドユーザーに提供していくための意識をもつべきなのである。天啓のような仕様書を待っていても、降ってくるのは赤紙くらいしかないのだと認識すべきである。
状況を正しく認識して戦略を持ち開発メーカーからの受託という枠から飛び出そうとしている協力会社と、戦略も無いままに削減された予算から協力会社を切り離して自分自身で自立開発に舞い戻ろうとしているメーカーとがあり、必要なアプリケーションの設計をイベントモデルな設計に移行するための設計見積もりすら出来ない実情があるようだ。有用な感性を磨くことを忘れて、仕様書のみに奔走している姿からはソフトウェア担当という人たちのモラルも維持出来ないでいるだろうし将来すら描けないのではないだろうか。無論、新たな組み込みの形態として提示されつつあるWindowsCEやらBREWやらの設計モデルに照らしてみると今までの組み込み売れ筋ソフトの開発元すらも混乱しているようだ。実はこうした感覚や感性を持っているのはシステム物と呼ばれる製品を設計してきた水商売と呼ばれるような人たちが得意な分野であったりする。そして最近ではそうした設計者や協力会社の人たちが切り口を替えて携帯電話の開発に取り組んでいるのにも関わらずお互いの歴史を知らなかったりするためにきっかけがつかめないで彷徨っていたりするのも不思議なものだ。双方を知るものとしては出来る限りの助言や紹介で繋いであげたいとかんじている。