毎週のように新幹線に乗り込んでの宿泊出張が続いていた。ブロードバンド時代を実感するのはホテルなどからのアクセスがどこもADSLなどで高速化されてことだろう。それでも高級なホテルの割りには割高な通信料を要求するところや、各部屋から一日料金でブロードバンドアクセスを提供しているホテルなど色々である。出張の疲れを癒すにはゆったりとした風呂があれば最高なので奈良駅に隣接してあるような銭湯なみの大浴場を併せ持つホテルなどもおすすめである。
桜木町のランドマークタワーにあるホテルニッコーなどはビルの上にホテルが建っているという形式だし、名古屋のマリオットホテルはデパートの上にホテルが建っている。アクセスは至便であり夕食などは、階下のホテルのデパ地下で夕刻からの食材セールを狙っていけば温かい美味しい食事を安価に揃えて窓から見える夜景を更に肴にしてゆったりと部屋で食事が出来る。街頭にはワールドカップで来日した旅行者も多く見られるのだが、それは近くに競技場を誘致できたかどうかにも大きく起因している。名古屋では競技場は作った物の韓国との同時開催になり溢れてしまった口である。
名古屋の町は、道路が整備されているのが有名である。無論、道路以外にもインフラ整備という文化が愛知には強いように見受けられる。税収を補うためのインフラ整備であるギャンブル施設などは数多く見られるが、町としてはアジアに押されていて元気がないというのが印象である。最高収益を上げているトヨタの城下町とはいっても倹約つましいトヨタ文化のせいなのか町全体として景気がよいという印象は見られなかった。そんな中で二週続けて、日曜を名古屋で過ごすはめになった。関西発祥のジャンボタクシーを借り上げて、名古屋市の郊外にあるテスト地区でのテストに臨んでいた。いつもCDMAは関西から始まるらしい。
世の中の期待の星であるはずの第三世代携帯の相互接続性確認である。最終試合である国内キャリアが整備された国際規格のシステムと端末を持ち込んでの華々しい舞台であるはずだ。北欧地区で開発されてきたシステムとの接続試験はQuad社でもテスト部隊が多数乗り込んで臨み集大成としての成果を商品チップのハードとソフトとして提供している。残念ながら、Quad社としての事業から端末生産という分野は無くなってしまっている。あるのは評価用電話機だけである。CDMAであってもHDRであっても必ず日本で浮上してくる話は、なぜ国際化されたバンド構成でないのかという点になる。この事は試験用電話機が国内用には出来ていないことを物語っている。
Quad社が推進しているCDMA2000とは異なる物の先進の機能や世界規格であることを謳い文句にしているWCDMAは端末ビジネスという観点からみればチップビジネスの可能性がある分野なのである。基地局や端末の開発の難しさは非同期であるがゆえという事などがあり多くのメーカーが取り組み漸く物にしたメーカーが出来かかっているという状況である。国内メーカーの多くはWCDMAの早期規格である国内仕様に根差してしまったために国際規格への移行を難しい物にしている。こうした状況はCDMA技術を生業にしているQuad社としてはビジネスとして取り組む価値があるとして数年を経て実用化にこぎ着けたというのが正直なところである。
関西地区の郊外に展開された、試験会場などで始まったフィールドトライアルには北欧メーカーや国内メーカーが参加して携帯ワールドカップとして始まるはずであり月末に宣言された試行運用に合わせてメーカーでの生産や端末の最終テストなどが綿密に組まれているのが日本での国内キャリアなどの事例からみても明らかなのだが、残念ながら最終走者として開発に取り組んできたQuad社のスケジュールはそうした流れの中でもマイペースな物であり相互接続性試験を北欧メーカーと昨年末くらいから次々と熟しつつも難しい仕様の消化と自身のソフトウェアの検証と性能向上などに取り組んできている途上なのである。
端末性能がハードウェアだけで実現できないことは、既に業界では周知の事実ではあるのだが、非同期型のWCDMAシステムでは特に消費電力を落とすための技術にしのぎを削っているのも事実である。その内容とは、不要な電源を切るという明確なものである。クロックを下げるということも当然のごとく行われるべきであり、デジタル化システムで必要なタイミング精度を保ちつつクロックを下げていくという技術が必要不可欠なのである。しかし、これらは基本機能としての通信機能が実現されてから次の段階として性能を高めていくという目的で取り組まれる必要がある。クロックの精度に起因する問題で通信機能に問題が起こりうることが明白だからである。
いずれにしても燃料電池の開発を必要とするような話になることは果たして本当に必要なのだろうか。チキンかエッグかというような話になりやすいのは、そうした性能が出来たとしての「だろう話」でシステム検証が進められていく中で、ともすれば端末メーカーとしての視点が従来のCDMAで出来ていた当たり前の機能や性能を当然のごとく要求するのも一面致し方ないところである。色々な開発が進んだり新たな発見がありギアが突然はいって進み出したりするのも、この業界の不思議なところである。ユーザーの視点が残されているのは最後に買うかどうかという判断のステージになってしまう。差別化を果たそうとしてきた歴史の中で電池寿命などに拘ってきた歴史なども拙い記憶に懐かしい。
CDMA端末の世界では、シングルチップに拘ってきた端末メーカーもW-CDMAの処理量の多さの中では多彩なアプリケーションプロセッサを駆って載せてきているようだ。無論実装の際には手際のよさなどがあるのかもしれない。二大巨頭の連合軍などではデュアルであることをアーキテクチャとして謳い文句にしている。確かにたかが端末の中にとは言えない様相の開発量がそこにはあるからだろう。以前に越えたARMの4MBの壁などは、最近では価格面でもNANDフラッシュ+SDRAMで更なる世界に飛び出そうとしているくらいだ。真剣にキャリアのトップがリセットボタンを携帯につけなければいけないと言い出したりしている位だ。CTRL+ALT+DELといったキーコンビネーションなどが携帯にも当たり前のようになってしまうのだろうか。
ピースを埋めつつ出来ていく巨大なジグソーパズルのようなW-CDMAによるコマーシャルサービスは、世界共通規格といった様相が余計に事態を困難にしているようだ。日本のサッカーワールドカップは決勝戦の前夜祭だという時期なのだが始まっているはずの携帯ワールドカップの行方は誰もが知らないように見える。今年の三月の仕様に合わせる為というまことしやかな業界への説明と実情には、まだまだ溝があるように映る。国際規格として世界中で使えるという触れ込みの3GPPの減速には、先陣をきって開発リソースの投入をしてきた端末メーカーにとっても苦行以外の何者でもない。
ブルーテュースが迷い込んだラビリンスに3GPPも同様に迷い込んだのだろうか。問題は相互接続性という壁にあたりレファレンスモデルが不在というのが現在の混迷を深めてもいる。こうした状況の中で初期仕様の3GPPのまま売りぬこうという通信キャリア軍団の登場も想像に難くない。何よりも動作しているのは事実だからだ。ペーパーマシンで議論好きな欧州人の気質の中に振り回されてしまっているように映る現状からの脱出への解として悪くは無いかもしれないのだが・・・自分達の開発状況の不出来を先陣をきっているメーカー達が言うはずも無く軍部の暴走で戦況はますます悪化の度合いを深めているようだ。
現場のビジネスを進めていくという仕事のスタンスでユーザー流出を防ぎさらに魅力ある端末で拡大確保を図りつつ、周波数不足に呼応していく必須条件としての3GPP推進を進めている実情には、着実な成果を確実に出していこうという堅実さが伺える通信キャリアがある。世の中のニーズを掴んだのは動画端末なのかGPS搭載のカメラ端末なのかという下馬評から、ますますヒートアップする通信キャリアの競争の渦中に置かれている各端末機器メーカーの開発スタンスは二つの方向性を示している。市場ニーズを掴んで売れたらそれは不透明な現在の競争では正しい成果なのだ。市場価格を達成する意味においても必要な機能と製品コストへのバランスが崩れた商品は受け入れられないのだろうか。
先日、とあるところで某企画の経営者の方とお会いする機会があった。知人によく似たその経営者の方は、各通信端末メーカーを良く回られていて既にQuad社のチップセットで軽快に動作しているということだった。「それでは私達の出る幕ではありませんね、何か私達がお手伝いしなければならないことがありましたらお教えください」とまずは丁重にお断りした。彼らが提供している技術が顧客と私達の製品にマッチしている限りはサポートの手は要らないからである。シングルチップで性能追求をする仕組みはいくつかあるのだが高速スクラッチ領域を開放しこうした動画エンジンを移植稼動させている積極策を取られている頼もしいメーカーもいくつかある。
逆に世の中はソフト開発の機能仕上げに疲弊していく状況で自分達のシステム検証能力を超えた現状をできる限り楽にする目的でデュアルチップなどに動いているようだ。何よりも開発費用を抑えることが全てに優先すると捉えている彼らは端末が過去に飛躍的に売れてきた超量産商品からシステム化した少量化短命商品への転換を意識しているのだろうか。圧倒的に端末が普及してコストが更に下がりなどという夢物語を信じている人はいないと思うのだが、共通化ソフトウェア構造の追及に走る以前にハードウェアのプラットホーム整備に走ってしまっているのは日本だけのような気がしている。三極鉱石の歴史からも日本が先陣を切れない実情は厳然としてあり、欧米と伍して開発を推進している韓国・中国の時代に突入してしまったようだ。
そんな思いに駆られていると、知己の訃報が飛び込んできた。中国でソフトウェアビジネスを立ち上げようと総経理として奔走していた矢先のことである。戦場は日本からすでに移りつつあり、消費者も開発者も中国や韓国で行う時代に入ろうとしている。大変な心労があったのは先進状況を知るものとしてよくわかる。また、業界としてそうした事態に麻痺している面も否めないのでより摩擦などがあり大変な状況であったと推察される。あるときは同僚としてあるときは部下として一緒に仕事をしてきた者として、彼の訃報には業界が引き起こした過労死ではないかとさえ感じている。3GPPの麻薬に酔わされている業界の中で醒めた仕事をしている人の精神環境は危ういのかもしれない。