発行2002/4/14
気がつけば、転職顛末から数えて10回目のサンディエゴ行きとなった。現在のパスポートは、転職の面接からの使用なので転職前の会社での公務としてのサンディエゴもいれれば11度目ということになる。まさか、こんな生活になるなんて考えてもいなかったのだが・・・。日本の陽気とは異なってサンディエゴは昼間の日差しは強く、夜は涼しいか寒くなるという気候なのである。もう桜も散ってしまった日本とは大分異なる気温である。
土日を挟む出張となったのだが、幸い日曜に帰国する仲間達と昨日の土曜にメキシコまで行くことになった。こちらの在住の長い女性の先輩の方がガイドをしてくださるという心強い環境で隣接のホテルに集合になった。相変わらず自転車生活をしているので(無免許生活ともいう)、遠出にはバスか知人の車に便乗ということになる。最近は、朝食付きのホテルを利用しているのだが、今回の仲間は従来のホテル(隣接)に宿泊していた。
朝の十時の集合だったのでこちらのホテルで朝食をとり、暇つぶしの原稿書きPCを抱えて隣のホテルまで歩いていく。車で必要と思われたミネラルウォーターと菓子をも入れて、当然必要となるはずのパスポートを携帯しての行動となる。隣接といっても見えているという程度の距離であり、間にはワンブロック挟まっている。歩道をずっと歩いていくと交差点では渡れない場所もあり中の公園を抜けたアプローチが必要となる。この辺りは足掛け四年の生活で勝手しったる状況だ。慣れ親しんだホテルに到着すると見慣れたおばちゃんが珈琲キヨスクを開けているのでコナ珈琲を買ってロビーでタイピングして仲間を待った。
こちらのホテルは少し古いのだが、長く逗留したことから愛着があり、座っていて落ち着く私の空間となっている。朝食は近くのベーグル屋で毎日スパニッシュオムレツを挟んだベーグルとバナナとオレンジジュースというのが日常の私の朝食パターンであった。今回は、昨日一度だけ朝飯ミーティングをベーグル仲間でやることになったのでホテルの朝食をパスして食べていた。相変わらず、そこのアインシュタインベーグルは美味しいと感じる。大門のB&Bのベーグルも中々なのだが、やはり美味しさと歯ごたえの双方からこちらに軍配が上がるのは致し方ない。
使い込んできたカシオのFIVAノートも打ち込みには超漢字というOSを使って利用している。会社の仲間に見せるとXwindowみたいだなという感想が返って来る。まっていると今日の招待ホストの女性が現れた。彼女は、今回が始めてのサンディエゴ出張だった。まだ半年たったばかりという彼女だが、どうして最近の仕事ぶりはバリバリとやってみせてくれている。彼女の上司も今日招待してくれたホストであり、彼は二年余りの仕事になっている。そうじてまだまだ日本オフィスは若い会社である。
きょう案内してくれる女性というのは彼らのサンディエゴでのカウンターパートナーである日本人女性で、急遽予定が入ったので昼にオールドタウンで待ち合わせることになった。オールドタウンは空港のそばにありカリフォルニア最初の地という歴史の場所でもあり古い家屋などが保存されている町並みとなっている観光地だ。メキシコ系の方が多いサンディエゴでもそうした色彩がより濃い地区となっている。土産物屋なども軒を連ねている。ハイウェイの五号線を使って南下していくと右手にミッションベイが見えてきてほどなく空港が見えてからオールドタウンとなる。
オールドタウンでの土産物や美術品のカラフルな色彩は、日差しの強い風土に影響されてのものだと感じた。土産物を見歩き、馬車の歴史を学んだりしつつ民族音楽の打楽器を楽しんだりしていた。ハラペーニョも沢山入っていると思しき「食べたら最後北極までいくしかない」とか「地獄がまっているぜ」と書かれた変なホットソースなどもあった。香辛料となりそうなものとあわせて買い求めた。やしの木と柳の木が並んでいるのも妙な風景かもしれない。時折アムトラックの汽笛が聞こえて走り抜けていった。二階建てのこのあたりの列車にも機会があれば乗り込もうと思う。
教会のまえのカフェで水分を補給しつつまっていると、ゲストの彼女からの電話連絡が入りオールドタウンの駅で待つことにした。オールドタウンにはトロリーと呼ばれる鉄道へのバス路線との接続駅になっている。一つの路線は、クアルコムスタジアムの方とメキシコ国境のティファナの手前を結んでいる。ダウンタウンのあたりでもう一つの路線が交錯してもっと内陸の方と繋がってくるのである。前回バスできた折には、ここでトロリーに乗り換えてダウンタウンまで向かったのだった。日差しが強いのでダウンタウンの散歩には閉口したように覚えている。まっかなトロリーが入ってくると運転士の人が女性だったりするのが判ったりする。トロリーの乗降口が開いて自転車毎降りてくる客もいる。「トロリーに乗り込んでの旅行も楽しそうだね。」という意見も出ていた。ゲストでありガイドをしてくりる婦人が着てから方針を決めることにした。
婦人が到着し、挨拶を交わすと彼女は早速各自にミネラルウォータを一つずつ持たせてくれた。さすがの手際である。水は充てにならないからである。1台の車だけでティファナに向かう。五号線を更に南下していくのである。軍港であるサンディエゴ港が良く見えて幾つもの戦艦や空母などが停泊しているのが見える。パロマー山への道などが交差していた。最後は、五号線自体はメキシコに入ってしまうので皆、「最後のUS出口」などと書かれた個所で降りて駐車場に入れる。駐車場は厳重な国境の横に広がっている。沢山の車が止まっていてメキシコへの買い物客の多さを物語っている。メキシコは薬が安いらしく、米国の老人達は米国での処方箋をもってティファナに渡り一ヶ月分以上の薬を買い込んでくるらしい。また、歯科医も安いと聞いていた。
車を降りて、国境を越えていくのだが途中に検問もなく、ただ国境の両側に一方通行の回転ドアが遊園地のようについているだけだった。国境の間の所でティファナの観光案内の地図を貰った。最後の回転ドアからでるとそこは急に気温が高くなったような感覚におそわれる風景となった。屋台のようなレストランが軒をならべて土産物の露天商や、物売りの子ども達あるいは、地面に座り込む物乞いの人や子どもなどで溢れているのだった。正確には、ティファナの街中までに川があり、この橋を越えると本当のティファナに繋がっている。
橋を渡りながら双方の丘を見比べると、メキシコ側には小さな家がびっしりと雑然と立ち並び、米国側にはひと気の無いハダカ山状態となっている。ティファナの中心部に向けて歩いてゆくと物売りが次々と声を掛けていく。連れ合いの風体から日本語で声を掛けてきたりするようだ。「はいナカムラさん、スズキさん。やすいよぉ99%割り引くから」「よお社長、部長、課長、係長」と声を掛けてくるのは順序が違いはしないかと可笑しいのだが・・・。ポンチョが気になるらしい同僚は会社で冷房が効きすぎるので買いたいのだがと悩んでいる。
町並みにはロバと写真をとりましょうというメキシコ風の観光写真家が何台も馬車を止めている。また、ファーマシーや歯医者の看板も多いようだ。噂にたがわない様子である。怪しげなクラブの前では、客引きが声を掛けてくるが、「女性連れに声を掛けるんじゃねぇ」と言ってたしなめていたりする様だった。きっとそういう店なのだろう。暫く行ったところで昼食にした。タコスやシシカバブの出てくるようなレストランである。所謂ティファナの中心街になったために価格は却って高くなったようだ。タコス三つで一ドルという店もあったのだが、ここは一つで一ドルだった。ジュースやコロナビールで乾杯してそれぞれタコスをつまんだ。テーブルに置いてあった付け合せのニンジンはとっても辛くてハラペーニョに漬け込んであるということだった。
置物やら瀬戸物、人形、ガラス工芸品、オパールなどの宝石など色々である。革製品は安いようでベルトは一ドルで売っていた。NIKEのロゴの入った皮製のリュックサックは日本には到底持ち込めそうも無いものだった。幾つか見歩く中で高地の民族が思い浮かぶ子どもの衣装があったので小さな姪っ子に買うことにした。多分サイズは賄えると思うのだが・・・。皆は値切っているようだったが・・・結果は!?。ティファナで注意すべきは公衆トイレだと思われる。数が極めて少ないのだ。レストランや土産物屋で見つかれば必ず使うように心がけないといけない。捜そうと思ったときには無いものだ。
散策見物を終えて川を渡って戻ってこようとすると物売りの老婆や子ども達が小さな菓子やパンを見せてくる。路上で楽器を弾いている女の子や、二人で歌っている姉妹などさまざまである。ガイドをしてくれた婦人がパンを買おうとするとパン売りたちの少年達が客の争奪戦となってしまったらしい。メキシコのジャムパンを一つ食べたのだが美味しかった。時間がたつとぱさぱさになってしまいそうではあったが・・・。お米粒に名前を書いて樹脂のペンダントに封入するという露天もいた。
広場では民族舞踏を踊っている家族がいて、周囲にはそれを皆が見ている。時折団員の長女がふくろを持って回りチップを要求する。熱演しているお父さんと末娘、うしろで太鼓を叩いている長男などは集まった人数と長女の徴収具合を確認しつつ演目を続けているようだった。私には観光客でないと見たらしく、近寄ろうとしなかったのだが、チップを払おうとするとふくろを向けてくれた。
で帰りの出国の列を見ると気が遠くなりそうな列となっていた。人の列が数百メートル以上続いていて動いていないのである。グランドゼロ以降ということもあるのだろうが、このままでは数時間は出国の列に並ぶことになりそうだった。車も大渋滞である。しかし人々は不平をいうでもなくいつもの事だからという感覚で静かに立ち並んでいる。日本人のツアーガイドだったら、大変なことになるだろう。しかし機敏な行動でガイドをしてくれた婦人が提案してタクシーを呼び止めて内陸にあるOtayという出国検査所まで行くことにした。
停まってくれたタクシーも親切そうなおじさんでメキシコの町並みを車窓から楽しむことができた。Otayには国際空港があるようで、この出入国検査はビジネス貨物などが主なターゲットらしかった。見えてきた国際空港には心もとない747だったと思しき機体が止めてあったりしたのだが飛びそうな気がしない雰囲気だった。やがて国境検問が見えてきてタクシーを降り立った。着いた検問は立派な建物で行列もなくスムーズに通ることができた。買い込んだお土産やカメラなどをX線に掛けるのだが、おみやげの服が出てこないのである。荷物が軽すぎて、検査装置のゴムすだれに掛かって中に入っていかなかったようだった。後ろから婦人が彼女の荷物で支えてくれたので通すことができた。
パスポートを見せて入国して出てきたところは米国である。こちらには当然トイレがあるので皆で急行した。出てくると同時にバスが入ってくるのが見えた。見るとティファナ行きのバスである。なんと強運なのであろうか。一応タクシーも沢山まっていたのでそうした観光客も多いらしい。日本人なら必ず選んだほうが良いルートかも知れない。バスで20分以上走ってティファナに到着するとトロリーの駅と駐車場の二つに停車するようだったが最後の駐車場まで乗ってきた。ようやく辿り着いた駐車場へ降りてゆく道から、国境の向こうに広がるティファナの町が見えた。まだまだ駐車場には車が沢山停車していて先ほどの長い長い行列が進んでいない様を思い知らされた。
車で五号線を北上して進み、サンディエゴ湾を構成している人工半島のコロナド地区に向かった。サンディエゴ湾に突き出たコロナド地区とは埋め立てで作った南からの道路と、サンディエゴ湾を横断する橋と、観光フェリーという三つのアクセス方法があるようだった。地区の大半は軍用施設らしいのだが開発されてきたルートは観光用や住居などが出来ていて高級な住宅地区になっている。サンディエゴ湾をあるいみで半島にして便利にする反面ふさいで狭くしてしまっていることから、有事でサンディエゴ湾の入り口がつかえなくなった場合には結んでいる人口半島の部分に埋められた爆弾を使ってリモートでサンディエゴ湾の昔のルートが使えるようになっているそうだ。
コロナド地区からの夕景色は素晴らしい風景で、この四年余りの生活ではまり込んでしまった自分の暮らしを再確認するような複雑な気持ちになっていた。港の見えるイタリアンレストランのデッキで頭の上にある逆向きのストーブフードで暖をとりつつ一杯だけの久々のワインを楽しみパスタの夕食を皆で囲んだのである。レストランの屋根には鴫が飛んできて止まっていた。もう宵闇で飛べないのかもしれない。婦人にサンディエゴでカラスを見かけないのですがと聞くと、いないことは無いんですが・・・という返事だった。天敵である蛇がいるからだろう。確かにまだ自然が残っていて蛇が住んでいるサンディエゴで自然のバランスが崩れていないのかもしれない。都内で蛇を飼うわけにはいかないだろうし、新しいバランスとして受け入れるしかないのだろうか。そうした受容力というものはどうも日本人には欠けているような気がしてならないのだが。
夜景の広がる橋を渡って五号線に入り、婦人とはオールドタウンでわかれた。来週時間をとって彼女のWindows2000の日本語化の対応をしてあげることにした。五号線を北上していく慣れ親しんだラホーヤビレッジが近づいてくるのは、夜には一段と美しくライトアップされるモルモン教会が見えてくることだった。ホテルまで送ってもらい明日の帰国の無事を祈って分かれた。
翌日の日曜に近くのUTCのモールで朝の珈琲を飲んでいると、すずめが子ども達の投げるマフィンの粉を拾って食べている。こんな風景は子どもの頃には良く見かけた気がするのだ。また、ガチョウたちが飛んできて仲間を追いまわして遊んだりしている。アメリカ人の食べ散らかしぶりと日本の都内のカラスとのコンビネーションというのはここでは遭遇しないようだ。カラスの羽が黒いので暑いところには住めないのだとという説の信憑性は蛇による生存バランス説で最近は負けているようだった。さてさて・・・。