業界独り言 VOL149 シンプルな携帯へ

缶コーヒーを飲むと、TV携帯電話がもらえるという大盤振る舞いのメーカーもある。キャリアとして特殊なエンコーダを用いて現在のネットワークで使える簡単な動画クリップメールを実装している端末も出てきた。MPEG4のデコーダLSIのみをおごって搭載して動画クリップサービスを始めたキャリアもある。こうして次世代と現在とが戦いあっている。ユーザーからみると何がしたいのかによって自由に端末を選択できるという時代になったのかもしれない。怪しげなバーで彼女を口説くためには暗いところで使えるCCDカメラの搭載などへの競争も始まろうとしている。

戦いの場は、どこに軸足を置いているのかと言えばアプリケーションであることに疑いはない。自分として欲しくなるような携帯とは、自分の分身としてアシスタントをしてくれるようなものである。電話の相手に応じて取り次いでくれたりスケジュール調整などに応じてくれる物であった。過去形で書いたのは、そうした端末を開発しようと掲げたことがあったからだ。かりにコードネームをエスパーと呼ぼう。Enhanced Special PErsonal Radioの略である。このエスパーでは、端末相互のピアツーピアのリンクを提供しベースとなるのは中間コードとなるスクリプト言語であった。

一種のスタックマシンとしての振る舞いを持つこのスクリプト言語はポストスクリプトなどの言語の延長に位置づけられスタックオリエントな形でデータ処理が出来るのが特徴であった。サービスが受けられる範囲は認証で許認可された範囲でのみ動作が出来、データの操作・参照などが、その認証されたクラスに従って許可される。スクリプト自体は、インターネットからダウンロードしても良いし誰かが開発した範囲でグループで共有するのも構わないのである。携帯がインターネットのインターフェースであるという限りにおいては、サービスの実現方法の中心としての位置づけは今ではより大きくなっている。

さて、スクリプトベースでの活用という点では、グループで合コンするも良いし、ビジネススケジュールの認証でも構わないのだが親しい仲間であれば許認可クラスに応じて自身の手帳データを公開して参照あるいは予約を書き込んでいくという操作が可能である。複数メンバーのスケジュールを渡り歩いて全員の参加可能な日程を調べてくれるということが可能になる。このシステムの特徴はインフラを選ばずに端末同志で通信やデータ交換が実現できる事である。対等な対個人という点ではクライアントサーバーという概念で実装していた時代からは大きく変遷している。大掛かりなサーバー上の仕組みとして捉えられた仕組みでは、i-MODEなどの事例をみても難しい課題であり、厖大な端末台数を捌くという目的には端末同志という仕組みがふさわしい。

これらの仕組みを支えるスクリプトを、当時はキャラクタベースのUIながらも機能的に動作することから軽量実装のまま高付加価値が実装できるということが評価されていた。しかし実際問題として日本語表示で必要とするグラフィックス表示の重みを考えるとキャラクター表示が可能な英語圏での適用が当初目標となるのは投資対効果という観点から見た戦略としては正しかったと再認識している。現在のUnicodeを必要とするJava内部のコード変換テーブルの巨大さが今としては、いびつな実装の組み合わせの結果と感じられる。テキストだけで面白いことをと・・・考えていく一つのステップにはHDMLが一つの答えとして登場してきたのは少ししてからのことだった。

株価データの表示などの応用を考えていくと、フランスのミニテルのような使い方も含めてテキストだけでも十分に楽しめそうな状況は想定出来た。中国が漢字から離れてアルファベットに走ろうという気持ちも判らないでもなかった。アルファベットの便利さは、バーコードリーダーの表示部に7x5のマトリックスで実装したビープ音のみの音痴なカラオケなどでも楽しめたからだ。無論デラックスなビットマップ表示の細密度なモノクローム液晶が当時の最新型PDAであるHP100LXなどを見ていると遠くない将来に実現しそうな予感はあったのだが、実装して製品として世に問えるまでには至らなかった。Javaの上でエージェントを登場してきたのは、最近の事である。

さて、気がつくと会社の帰り道の電車の中である。最新型の携帯が雑誌広告に載っている。第三世代で首位に立つといきまくキャリアのトップが息巻いていた。第三世代を現実価格の範囲で実現しているメーカーと、サンプル開発に続いてはメーカー間の合同戦線に鞍替えするのが最近の流行となっている。UMTSと呼ばれる欧州での仕様と日本での仕様とに差異があり、開発が苦難に喘いでいる。果たして、そんなに急いで開発する必要があったのかというのが今となっては疑問と感じる。急ぐ必要があったのは日本だけだったのか。では、現在開発が完了してサービスインした台数はと考えると困っているほどではないように映る。

基地局の再配置の容易さ等からもCDMAへの移行は望まれることではあっても、今のままの技術でセルサイズを小さくすることで対応をはかっているからなのだろうか。あるいは、溢れたトラヒックを困ることなく単なる輻輳状態として見過ごせたのだろうか。ユーザーは 、空いているバンドのキャリアに移行するでもなく端末機能やCMの女優などをキーに選択しているのだろうか。端末の色が気に入って買っている人もいる。第三世代電話の開発よりも盛りだくさんの機能が入っている期待の端末も登場してくる。1年あまり防水機能で売ってきた私の携帯も気がつけば塗装が剥げてきている。真打ちの端末の登場に併せて機種変更をすべく準備している。

WCDMAの端末開発をしている舞台裏では、日韓の開発競争が行われている。といってもどちらも同じ部品とソフトを駆使してのビデオ電話の開発である。そんなものは、もう開発が出来ているというメーカーもあるかも知れないのだが・・・。端末開発として3Gアプリケーション開発をしている会社同志の同一プラットホームという環境での競争なのである。日本の会社が早いかというと、そうでも無かったりする。通信プロトコルの開発競争はプラットホーム開発の部隊に任せての競争という現実には端末開発の難しさはプロトコルには無いことを物語っているのかも知れない。焦って開発を推進してきた果てに何を掴んだのかは今はまだ判らない。

主義主張のある、シンプルな携帯の登場とデラックスな3G端末が世の中に出てくるとどういった審判が下るのかについては興味があるところである。アプリケーションプロセッサを積み込みゲームマシンと対抗したとして果たして電話としてあるいは通信機能を提供するツールとして何が面白いのだろうか。暇つぶしの機械としての位置付けで端末を契約してくれればこその話であるという意見もある。確かに電車の中でゲームに興じている子ども達と携帯でゲームをしている大人達という構図で、建設的な意見がかみ合わないのも仕方の無いことなのか。ゲームをする端末を作りたくて私は通信機器業界に夢をかけて来たのではない。安くてシンプルで主張のある楽しい機能の端末という中に遊び心はあってもテトリスゲームではないような気がする。

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