業界独り言 VOL143 光ブロードバンド化計画までの経過

混迷の携帯開発業界を尻目に、我が家の光ブロードバンド化計画は進行している。既存技術の集大成ともいえる  100Mbpsのイーサネット技術によるPPPoEのブロードバンドルータが2万円を切る価格で設置される予定である。現在のQUAD社での支援作業環境として光が生み出す環境がマッチするのかどうかは大きな関心がある。下りの速度よりも出先から自宅のリソースに高速にアクセス出来るのかどうかがADSLと異なる期待ポイントである。

今は、まだフレッツISDNで常時接続までは果たしているのだが出先から自宅サーバーのコンテンツをアクセスしようとは考えずにレンタルサーバーを借用してコンテンツのアップデートのみを実施している。実際のサーバーが何処にあるのかは知らないのも面白いことかもしれない。重要なことはTechno-Web.netというドメインで私の作成したコンテンツにアクセスできるようにすることである。長いドメインかも知れないが独自のドメインを一度設置してみたいと考えていたのでTechno-waveからの流れで言えば素直な展開でもある。

セキュアな環境が確保できて速度が達成できればコンテンツを更に双方向性の高い物にしていくことが出来るし自分自身の時間を生み出す最終兵器になるかも知れない。米国オフィスとの間のアクセスは既にフレッツISDNの中でVPN接続が確認されている。光にシフトしたときに聞くのは太平洋の間のインターネットのパイプと自分の会社からインターネットへのパイプの太さとゲートウェイの性能である。セキュアで高速なリンクが沢山張られる時代になるとデビルサーバーなどが活躍する時代ともいえる。

まず自宅のプロファイルとヒストリーを明らかにすると下町の三階建ての各階一部屋というマッチ箱のような状態であり、居間・洋間・和室と各階毎にアクセス環境を必要とするのはTPOにあわせて必要な要件である。引っ越した当初には各階のアクセスを実施する為にエアコンのダクト穴を介して4芯の電話線を通していたのだ。この背景には当時使っていたのがデスクトップタイプのMacintoshだったという時代考証が必要だ。Phone-Netというメディアを利用してネットワークを組んでいたのである。

この家への引越しに伴い、ISDNを導入してDialIN契約をして二つの番号を実現して旧型のFAXでも無鳴動着信を実現した。TAがまだ一般化していない時代でもあり新横浜の知り合いの商社にお願いして取り寄せてもらった。初代のTAはO電気のものでモデムラックに設置されてスタッキングされることを想定したようなデザインだった。堅牢そうに見えるそのデザインとトラブルとは無関係だった。周期的にリセットを必要とするのはアースが取れていないからだという説とコードレス親機をアナログポートに接続しているからだとも言われていた。

TAの機種変更を要求したのはPPVだった。家電品であるCSチューナーの追加でPerfecTV接続が必要になった。このチューナーを設計したメーカーは真面目に設計したらしくアナログモデムの実装において48V給電である前提で設計を為されたようだった。O電気のそれはプロ用であるがゆえに手抜きをされた設計となっていてケーブルでの電圧低下を見越してTAで距離が近いのであればという前提で24Vまでの電圧しか供給しない設計としていた。こうしたTAはその後に家電品やモデムの実装の多様化に伴い淘汰されて素人さんが家庭用に買うということはなくなっていった。二代目のTAは48Vに対応したNECのものである。

NECのものがコンシューマ向けに設計されていたことは若干感じられるがファームウェアの改版を必要とするようなことも持ち込んできていた。BIOS書き換えのようなことを要求するのは時代の為せる様だろうか。携帯電話もこうしたことが許されれば回収して対応する必要もなくなるのだが。115kbpsでの接続で64kbpsの同期接続を非同期変換してサポートするというのはEIA232Dの規格とISDNの規格の正にハザマのスペックだったようだ。

三代目のTAになった経緯は、コードレス電話のバージョンアップである。転職を契機に家庭内環境を改善したのではないが、初めてかつての同僚が設計していた端末機器を導入したのである。PHS対応の家庭内コードレスのものに変えたのである。初代のコードレス親機が吹き込んだ雨に打たれてご臨終してしまったためである。コードレスを買い替えるとiナンバーに対応しているのでこれに対応するTAを追加した。既に二台体制だったTAのうちO電気のものを貯蔵して、アイワの対応TAを追加した。このTAは安定に稼動している。

時代は進み、夜間のテレホーダイからフレッツISDNが始まった。これに対応することで常時接続になるのだ。ルータになり無線LANに対応してDSUの切り離しが出来るタイプというもので物色した結果NTT-MEのSLOT-IN11というPCMCIAスロット付のものにした。回線がISDNなので速度は出ないものの常時接続になったので併せて無線LANカードも導入した。二階に置いたTAルーターを中心に妻のノートPC用と私のノートPC用のものを購入した。802.11の初期型の為に2Mbpsあるいは10Mbpsという特殊な仕様のものだった。いずれにしてもISDNよりは速いので問題はなかった。このルータ導入によりNECのTAも貯蔵庫にしまい、回線品質は非常に安定になった。よく見るとNECのTAの内部には電池の漏液がさび付いている状況でもあった。これが不安定な原因の一つかも知れなかった。

ADSLが始まり同僚も導入を始めていた。しかしISDN契約を解約してアナログに戻して電話番号のダイヤルインのFAX番号が変更になるのはいやだったのでCATVまたは光が来る時代を待つことにした。既に地域は難視聴地域用のCATVにはなっていたのだが、この運用母体が商用CATVの会社に移管されたからでもある。しかし、この地域のみはまだ当分ネットサービスのみが対象外だと言われて何かついていないという印象を強くもった。都内の有線ネットワークスが始めた光通信のサービス地域に移転しようかとも考えた。

導入した無線LANが時々繋がらなくなるという事態が一年余りの間に起こり始めた。原因は混信である。無線LANが周囲で普及してきたために二階にある自宅の基地局よりも隣接しているビルにある無線LANの電波に引き困りれてしまうのである。対応策は強い電波で打ち勝つしかなく、複数の基地局を設置するタイプのものに替える必要が生じた。ルータはそのまま使い無線LANのカードをWiFiに対応した802.11bのものにすることにした。三台のアクセスポイントを購入して有線LANの配線を自前でしようとした際に細君から待ったがかかった。階段を不細工なケーブルが配線されるのはまかりならんという方針発表である。

正式に工事依頼を行い外壁まで穴をあけて二階から各階へのLAN配線を行いコンセントをつけるという工事である。出入りの工事屋さんに依頼して綺麗に実施してもらった。こうした大規模な工事に踏み切ったのは光ファイバーサービスが翌年の一月から始まるというアナウンスがあったからでもあった。三台のアクセスポイントを調整してIPネットワークを構築してチャンネル設定などを行い強力な電波で安定に書くフロアと階段とでアクセスできるようになった。隣接していた会社への影響は知らない。

実は、無線Ethernetについては、かつて標準化の委員会に出席したりローミングの為のプロトコルなどのドキュメントの和訳作業などを分担したりという時代を思い出してみたりして懐かしく思い返すのだが実際に製品化が出来て、最新型の無線LANカードは、やはり最新型のBTRONのソフトからもサポートされる時代に暮らせていることを人生の妙のように感じる。こうした準備を経てFTTHによるBフレッツサービスを待ち受けている。このために追加する処理は、高速なブロードバンドルータであり、65Mbpsまでのスループットが出るという最新型を購入した。またサーバー運用を考えている為にグローバルIPを割り付けてくれるプロバイダで安価な運用をしているところに加入もした。稼動が確認されると今利用しているプロバイダ契約は止めてしまうだろう。予備回線としてISDNのPPPoEもそのまま残すことは出来そうである。電話代の課題はあるが・・・。

借りているレンタルサーバーに割り付けているドメインネームから今回のFTTHで払い出されるIPアドレスにDNSの付け替えを行ったりするのが次のステージで控えている。500MBのレンタルスペースも実際には10MB程度しか使っていないのは殆どが独り言のテキストベースの情報しかないからでもある。ふるいパソコンをLINUXや超漢字でサーバーとして利用することで容量制限もなく動画も使い放題になるのが楽しみでもある。昨年米国で購入した型の古いCAMもlinuxでサポートされたらしくテレビ会議も出来そうな様子である。果たしてどんな顛末になっていくのだろうか。

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