先回に聞いた次のフレーズ「頭の中がアセンブラーで出来ているんだ・・・」は、眩暈がするほど悩ましく頭の中でとぐろを巻いている。開発現場で起こっている現実を前に、何から手をつけてよいのか判らないというのが実感だ。以前クロスコンパイラを開発した際には、アセンブラのノウハウをコンパイラのコード展開に組み込むことに費やした。しかし、その場合にはコードの生成結果とソースコードからの対応でアセンブラ技術者としてみて文句をつけたいから手を入れたのだった。
あれから17年も経過して世の中にはC言語でハードウェアすら記述する時代だったりもする。パソコンで不毛なクロックアップ競走が引き起こした成果なのか、重厚長大なソフトでも気にならなくなってしまったようだ。結果として充実したクラスライブラリなどでの迅速な開発での開発時間短縮のみが評価されるようになった。これにより真の速度の追及までは、要望されていないのが実情だ。もともと利用するソースコードの内、お絵かきをしているようにも見えてしまうUIジェネレータなどが生成したソースコードなどもあるのだから致し方ないのだろうか。
ともすると、今の若い人たちにとって出来上がったCソースコードはそうした上位設計ツールの吐き出した機械語に見えるものなのかもしれない。現場のドライバーを設計している技術者すらCソースでの制御を昔の機械語のように捉えているようだ。となるとコンパイラが更にCコードから生成した機械語の為の最適化などは、魔法使いの領域になってしまうのだろうか。コンパイラの最適化指示によっては、こうした冗長なコードでも高速なコードとしてコンパイルしてくれるものもあるのかもしれないが・・・。