東京ビッグサイトの一週間が明けた。月曜日の設置以降、3日間の立ち尽くしの日々であった。展示会の中での説明員という立場で過ごすのは、この会社に移ってからは初めてのことである。携帯を中心とするこの展示会は、携帯電話業界の現状を映しているのだろう。掛け声のみが空回りしているような雰囲気が感じられる。
展示会はトレードショーを標榜しているのだが、実際のところお土産狙いでカタログコレクターになっているのが日本人の姿の多くのように映る。QUAD社のチップを契約して利用するのは、限られた製造メーカーの方であり、そもそも展示する意味があるのかどうかという本質的な問い掛けすらあるのだが・・・。
そうした対象となりうるお客様の訪問も当然あるし、モバイルブロードバンドという時代に向けてPCやPDAの業界の方が開発の対象として捉え始めているのも事実ではある。そうした時代の要請として、3GPPが推移してきたはずなのだが、二年間あまりの推移を見直してみると果たして狙いどおり進行してきたのだろうか。
通信方式の優劣論議は、通信キャリアの間を広告タレントが行き来してしまった時点でPDCは捨てるしかないと判断したのが、それ以外のキャリアの選択だったのかも知れないのだ。WCDMA開発時間稼ぎの目的で開発した溢れるトラフィックを回避して通話からデータ通信に向かわせた通信キャリアの選択は大きな成果を得た。
一人勝ちの状態を産みだしたPDCでの低速データ通信は時代の寵児となった。ここで得た成果を自信と捉えた誤解は、このまま二年以上の間、誰からも訂正されることなく経過してしまった。標準化の渦中で欧州との共同で推進しようとした戦略は、奇しくもWAP戦略とは全く異なる方向で進めた挙句やはり頓挫しようとしている。
国産の技術に拘った、業界団体と政府とのやりとりに何があったのか知る由もないが欧州との共同歩調をとった通信キャリアと国内の通信機メーカーにとってのこの二年間の戦いはどこか第二次大戦の日本と同様なフラッシュバックにすら映る。ドイツはここではGSMという列強に当たる。CDMAという原油を求めて彷徨っていたのだ。
せめて二年間の成果として、通信キャリアから出る仕様書や技術資料が全て日本語でなくて欧州圏でも通用する英語で徹底されていたら事態は変わっていたのかも知れないのだが、グローバル化を計っていく3GPPの成果は限りなくお粗末な末路にしか見えない。そうした流れが、日本のメーカーの技術者の幼稚化を推進してしまった。
これに比べて韓国・中国の技術者の進展は比べるまでも無く展示会での技術的な質問において比率は圧倒的である。幸いにして稚拙な私の英語力でも十分対応できるのが内容を把握している側としての優位な点ではある。国内の技術者の質問で対等な形で行えたのはむしろコンテンツサイドの人たちやマルチメディアの技術者たちである。
二年前にもうすこしまともな判断をしていたら、日本の得意とする土壌での技術競走がスムーズに始められていたと思うし今日のような開発競争の果てでの品質問題なども起さずに、早期退職勧告を組合と結託したりする必要は無かったのではないかとさえ考えてしまうのである。急激な技術競走が意味のあるものだったのかどうか・・。
今、通信機メーカーの開発が破綻していると言われ、トップの電機メーカーが赤字に転じたりと色々な報道が為されている。実際のところ、良い商品が展開されていれば顧客は購入しているのだ。通信キャリア同士の意味の無い競走に、製品品質が追従してこないのは通信キャリアの端末買取という姿自体が間違っているからだと感じる。
ユーザーは通信端末の価格を知らず、通信費用に上乗せされた形でしか知りえない。CDMAの為の部品が高くなることを知り、通信品質を自身の判断で考えて端末価格を支払い、通信キャリアのオペレーションで受けられるサービスの比較を正しくして通信費用の比較を正しく行わせることが出来れば、こんな不景気が起こる理由はない。
不景気に見えるのは、実際以上の好景気に見せかけることがあったからに相違ない。なんとか通信が得た莫大な利益の反対に業界は莫大な損益を計上して、いまや技術者の退職勧告をする顛末までもが見え隠れする。堅実に開発をして技術を売り物にしているメーカーから見ると携帯バブルというものがあったとすれば政府のエゴが理由だ。
誰もが使うはずの無い、映像サービスに踊らされていた事実を誰もが否定せずに受け入れて、二年間あまりのリソース投入を続けた結果がこの秋に顛末として報告されてしまうのだろうか。秋からは学校が始まるのが米国や欧州の姿だが、二年間の夏休みの自由研究の成果報告になってしまうのは日本の性か。彼らは新しい学年の始まりだ。
コンテンツの研究や上位サービスの研究についての優位性を捨ててまで無線技術に拘った戦争犯罪人は一体だれなんだろう。この携帯戦争の渦中で日本の技術者の幼児化を進めてまともな開発が出来ないままに仕事を進めさせてしまった常軌を逸した通信キャリアにも責任はあるだろう。しかし裁かれることはないだろう。
意識ある技術者が疲弊して、組合と会社が結託した早期退職勧告を呑み退職していった後には幼児化した技術者しか残らないとすると誰が日本という国で物を作っていくのだろうか。今や電車のなかや街中で見かける幼児化した人たちがメーカーを構成して開発というママゴトをしているようだ。通信キャリアもそうなのかも知れない。
ママゴトの様に映る携帯業界の中で理想を追求して結果を出そうとしている姿が滑稽に映るかもしれないのは致し方ない。そんなドンキホーテのようなテーマに取組んでくれる通信機メーカーとの付き合いを大切にしていきたいと感じている。あっと驚くような端末をこんな状況下で出来ればその会社の株もまた復活するに違いない。