株主総会の季節を迎えた、各社各様の迎え方をしているようだ。駅前から、会場までの道案内が出たりしている会社もあったようだ。会社の方針が大変更になりハードからソフトに切り替わった会社もあるし、カリスマトップが逝去されて会社の方向性が取りざたされている会社もあるようだ。トップに限らずカリスマ技術者もいるらしい。
オーバーアクションなパッション一杯の技術者がいる。「これが判らん奴は来るな」と迄言い切る彼の言動には、今までの技術者としての実績に裏打ちされているようだった。一億円で一部開示、三億円でパッケージとして開示、十億円で移籍すると断言する彼の説明には小気味よい響きがある。部門としてのベンチャー気質を感じた。
ハードとソフトの境界がはっきりしなくなった昨今ソフトウェアで実現する性能差別は容易に他社がキャッチアップ出来ると思われがちだが実像としては、提供されている数々のフィーチャーのインプリメントに追われているのが実情のようで、既に各社がインプリメントしたフィーチャーの数は各社の開発能力のバロメータとなっている。
そんなソフトウェア組込業界かと思っているとゲーム業界には凄い連中がリアルタイム処理を実践している。どうやったら同一のハードウェア性能のままで異なった表現が出来るのかを競っている。そんな彼らにこそソフトウェア工学としての追求が為されてきたように思われる。MPEG対抗のオリジナルなムービー技術開発をする人もいる。
間際になってから、新しいチップの為の古い版のソフトリリースを望む声が出てくる。既存のUIに変更を加える余地がないことに根ざすというのがその背景だ。開発が遅れているから、生産に間に合わないから・・・といったのが理由なのだが、ベンチャーの気風の会社としては「Why?」と相容れないのはいたしかたない事だろうか。
まあ、現実の仕事として捉えてみると生産ラインのような現在のソフトウェア開発という我々の顧客先のスタイルとして受け入れる必要があるのだろう。例えば、携帯のミドルウェアの開発を実際に推進しているのは三人くらいなのだが、顧客様で開発の中核を推進しているという人々は中々見えてこないで分業の仕組みのみが見えている。
そうした顧客様のトップを説得して新たなフィーチャーや開発スタイルを提案しているのが最近のQUAD社の事業の一つでもある。こうしたビジネス推進をしていく為に有用な人材を公募してきたし、軌道に乗ってきた昨今でもある。実際のチップ支援の為の技術者は難しい。仕事の内容や立場などが中々理解されないからかも知れない。
幾つかのチップ開発支援を通じて、ベンチャー故の強みも弱みも認識してきた。幸いにして創業者が目指した技術者にとっての最良の環境を提供するという施策は些かの揺るぎも無く維持されている。先達の方たちのパテントウォールを更に固めていく、次世代の技術開発は、新たな世界に向けての夢と道を語れる伝道者で推進されている。
1996年に日本を主眼に置いた開発の流れをトップ判断で決定してから日本事務所を立ち上げてチップ事業やソフトウェア支援といった仕事が、携帯の使い方先進国となっている日本が会社の中心になってきている。共通する最終ユーザーのスタンスを忘れずに進めているのは、初芝電器の精神を忘れない仲間達だからなのだろう。
ベンチャー精神を活用して推進できた日本での80年代での事業推進は、そうした仲間達を育んだ土壌でもあった。先進の開発に取り組んできた経験は我々の血や肉になり、そうした仲間が栄転されたり社長に抜擢される様を見ていると嬉しく思い返す。会社という枠組みを自分達の仕事への価値観にマッピングして人生を楽しんできた。
いま、そうした仲間が異なった経緯でありながら、取組める場所としてQUAD社に気がつくと集結して綱領や七精神をふいに思い出したりするような人たちと出会って苦笑したりする。聞いてみると初芝OBから会社を興した人だったりする。人を作るという目的で照らしてみると、その成果は多く見られ自分自身も感謝している次第だ。
ベンチャー精神旺盛な意識の人は、色々な会社に見かけもするしそうした人たちが、いる割には会社として元気の無い会社も多く見かける。みな人生として達観して生活しているのかも知れないし悩んでいるのかも知れない。携帯電話・通信料金・ユニクロ・衣料輸入・中国農産物規制・中国向けPHS関税・・といった輪廻が絶妙だ。
最近になって、会社のホームページが更新されていて日本のドメイン名が取られていることが判明した。リクルーティングの中の施策で行われたらしく先日の雑誌インタビューの際の内容が掲載された形で綺麗に仕上げられていた。会社としての情報発信という形で現場の人たちの素直な声が少しでも届けられればと期待している。