サンディエゴ通信 VOL5 忙しく長い一日 

発行2001/4/18 米国

月曜である。ラッシュの時間帯を少しさけて早めに会社に向かう。8時半過ぎには会社に到着した。週末に予定されていた恩師の叙勲祝賀には参加できなくなったので記念品の費用を事務局に送付すべく隣接の赤坂郵便局にむかった。9時には窓口が開設され現金書留で送付をした。説明の手紙は電子メールソフトで書き印刷して封入した。まだ振込み費用を電子メールで添付する方法論はない。 引退されている先生への手紙も予め送付したかったが時間がない。同窓会名簿に記載の住所を転記して自分当てにメールで送付しておいた。空いた時間に現地から手紙を書くことにしていた。Gooによれば、レタックスの代行サービスというものがニフティにはあるので、これを用いれば電子メール的に書いたものを郵便のサービスとして封書にして送付してくれるのである。引退された先生がメールなどをされているのかも知る由もなかったのでとりあえずこれで落着である。 机に戻っても、まだ、月曜日には特に電子メールが届いている様子も無い。まだ向こうは日曜日なのだ。限られた時間を使って新しいビジネスチームと情報交換を行う。上位層のアプリケーションビジネスを支援するという新チームリーダが米国から戻ってきてようやく日本での仕事が本格始動する。我々が手がけてきたアプリケーションよりの幾つかのフィーチャーが彼らの手に委ねられることになった。端末メーカーとの付き合いしかなかったQUAD社にとっては、新ビジネスにより新たな局面やサポート内容の刷新が求められることになりそうだ。 打ち合わせを午前中に済ませて、昼一番の成田エクスプレスに乗り込んだ。週末まではサンディエゴでの仕事になる。翌週は、直接お客様の訪問も予定しているのでタイトなスケジュールだ。TCATでのチェックインが出来なくなり成田でのうんざりする長いチェックインの行列をすることになった。便数の少ないNWではビジネスクラスのチェックインも溢れていた。出国審査自体は空いていたのでゆっくりとラウンジで休憩が取れた。 ビジネスクラスでの旅行は、到着当日にすぐ仕事に移る余裕が出来る。しかし、最近の電機業界ではビジネスクラスを利用しない緊縮条例がまかり通っているらしい。開発費用だけではなく出張費用も絞り込んでいるようだ。隣席の御仁は、NECの方であったが、「今回は、委員会活動のスタッフなので特別です」と語ってくれた。会社では部長さんなのではあるが・・・。少し分野の違う同士ではあったが、その分話が弾み機内で映画を見ることも無かった。「現地からは、車で一時間の運転です。」と語ってはくれたものの電気労連の別の会社では運転禁止だが、通信の雄のこの会社はOKだった。 ロサンゼルス空港では、コネクトすべき飛行機には乗れなかった。ロスの空港でのチェックイン行列が物凄く、またトラブル続きの乗客ばかりでカウンター自体が閉塞状態に陥ってしまったためである。様子のわからないアジア人が大半の場合トラブルの源である。クレームを付けても列に戻るようにしか言わないのは、たいしたものである。皆乗るべき飛行機に乗れなくなりそうなのでクレームを言うのだが全員がその状態なので押し戻されるだけなのである。 唯一の例外は、間違えてファーストクラスのチェックインカウンターに並ぶことでカウンター担当者に指差されてエコノミーのカウンターに回されるケースになった乗客であるが英語の判らない振りをして確信犯なのかも知れない。この場合には航空会社側の対応では、「エコノミーのカウンターに行け」としか言わないようなので美味い方法かも知れない。長蛇の列も、この「特別例」としての扱いに不満をなぜか言わないのだ。 長蛇の列に閉口してはいたものの、自分の番になりもはや自分の飛行機の出発には間に合わないのは判っていたのだが・・・。開口一番、向こうから「長い列でごめんなさいね」といわれてから「あなたの飛行機は二時間後よ」と言われたのだが、先に予定外に謝られたので飲み込んでしまった。文句をいってもはじまらない。結局四時間あまりロサンゼルス空港に滞在する羽目になった。おかげで、国際電話のコーリングカードの使い方をマスター出来て、米国内での電話において小銭の心配をしなくてよくなった。 昼食は空港内のバーガーレストランで済ますことにした。現地でフードコートのチャイナにしようと思っていたのだが時間がなくなってしまった。野菜サンドとオニオンフライを頼んだのだが、例によって山ほどのフライがやってきた。近くのテーブルをみると事も無げに皆、そうした量を食べているようなのだが・・・。野菜サンドのボリュームも迫力があり、これだけで実は十分だった。 サンディエゴ行きの飛行機待ちをしていると日本からの家族旅行の風情の人達がいた。子供二人とご両親で、時差にとまどいつつという印象だった。どうやら、同じ飛行機らしく「私は窓側だわ」とハシャイでいた。家族で指差している先には、ふのブンブン飛行機が到着してきた。乗り込み、後方の窓席から前を見ると例の家族の人達の座席番号に違う人達が座っていた。座席リコンファームの問題などがあったのか結局最後部の4人掛け一列を空けて家族で座ることになった。チケットには大きくYのマークが書いてあったので、そういうこともあるらしい。 相変わらずの抜群の青空の下、海上をブンブン飛行機でゆくのにもすっかり慣れてしまい、転寝をするくらいになってしまった。オレンジジュースの配給を受けて眠りから少し我に返るともうすぐに足元にはトップガンのミラマー空軍基地が広がっていた。サンディエゴの上空であった。サンディエゴの市内上空を旋回しつつ空港に向かって高度を下げていった。空港に降りると、私より先に行ってしまった荷物がちょこんと私を待ち受けていた。 小型のサムソナイトにいつものデイパック一つであり、ひげを蓄えた国籍不詳の客に見えるらしいのかタクシーの運転手は、幾つかの言葉を掛けてきたが、幸いにも日本語も含まれていた。乾燥した天候の良いサンディエゴの風景は、いつもこのタクシーで北上するホテルまでの道でいつも気持ちよく迎えてくれる。モルモン教の教会の白さはいつも目に眩しい。 昼を大きく回ってしまっていたが、月曜の夕刻には日本・韓国・中国・米国と各出先事務所のエンジニアを招集する電話会議が行われるので、ホテルでゆっくりもしておられず、そそくさとまたタクシーに乗り込みオフィスに向かった。車では五分とかからずに到着する。会社で発給されている自分の写真入のIDカードを翳すとドアのロックが開いた。早速ボスの部屋に向かいお土産の薄皮饅頭を一つ御裾分けしつつ、状況報告をした。半ズボンとアロハが彼の制服なので、私のユニクロ姿は、むしろ堅いかも知れない。 自分のオフィスに向かうと日曜に出発した同僚は到着して仕事に入っていた。マシンを広げてメールを読み出して資料に目を通している内に、会議の時間となった。いつもは電話の先に居るのだがこちらから参加すると違和感がある。韓国のメンバーもこちらにきていたので電話の先には中国と日本の二箇所である。最新技術情報の紹介をしてもらうべく呼んだ仲間を囲み、コーラやミネラルを飲みつつ新技術について聞き、通常の国際会議に戻り、結局二時間の会議を行った。 少しオフィスに戻って仕事を片付けていると9時半近くになっていることに気が付き慌てて、同僚とホテルに車で食事をとりつつ戻ることにした。日本であればここからラッシュで一時間以上かかるところが5分たらずでホテルに着くのは、快適である。ホテル近くに新設されたレストランにいくことにした。何の店なのかは入るまでは判らず近づいてきたときには陽気な音楽だけが聞こえてきていた。実は彼の苦手なメキシカン料理であった。 陽気なサンバのリズムなどを聞きつつ肉料理をトルティアに包みつつ長い一日を思い返していた。ここでいつもお世話になっているコロナビールを飲みつつ少し残っていた時差を解消すべく酔いに任せていた・・・。明日は半年に一度の査定ミーティングなのであるが、アロハのボスとのミーティングはいつも肩に力は入らない。気軽なものである。

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