VOL77 ケータイは氷の世界 発行2001/2/6

携帯開発業界の様相が混迷している。どこのメーカーも社内人材流通革新を図り始めていたのだ。半年足らずでDOSの無いようなPCにアプリケーションを整える所までに仕上げるという大目標の中で凍てつくようなICEの世界である。慣れぬ手つきでICEの世界で暮らす彼らには、見知らぬ土地に迷い込んでしまったようなものであろう。16MBにも達しようという勢いのソフトウェアを纏め上げていく上では、効率の追求もともかく動作させなければならないという現実が厳然とある。

コミュニケーションする為の端末の開発には、バベルの塔の建設のごとき色々な国々の人たちとの会話なしではなしえないという現実がある。見過ごしてしまいつつも収穫の時期には出荷せざるをえないというのが農耕民族の悲しさであろうか。青いものがまじる麦かも知れないし虫のつくほど美味しいお米かもしれないのだが。農耕作業なので農耕機械の出来不出来は大きく収穫に影響する。かつての農耕現場で活躍していたリアルタイムトレースができて、ストップもステップも思いのままという機能を持ったFullICEは大味な時代までが全盛期だった。

全盛期をしる管理職の人々はかつての自分達の苦々しい経験のなかでFullICE教の伝道者となっている。ソフトウェア開発をスムーズに進めることとは、ハード完成度の向上であるのだが、簡単にハード確認の出来るFullICEはハード屋にとっても福音である。簡単に確認したハードウェアの完成度がどれだけのものかは別にして、同じように簡単に確認して結合してしまったソフトウェアの難しい結合テストやハードな扱いのなかでICEと供に生き延びてほしいボードの面倒を見るのがハード屋の仕事になってしまっていた。FullICEと開発ボードの確保は、プロジェクト生命線でもある。

無線端末の多くは、無線機が要求する周波数との最小公倍数のようなうまい周波数でマイコンを動作させてきた。いくつかの組み合わせが存在する場合には低い周波数を選択して低消費電力を図るメーカーと、高い周波数を選んで処理能力の余裕をみようという二つに分類されるようだ。最近は、アプリケーションが高機能になり無線機で要求する周波数よりもマイコンの周波数を高く動作させるようなPLL内蔵のマイコンも出てきている。マイコンのクロックとロジック設計とは非同期になりつつある。

クロック高速化でボトルネックになるのはICEのバス切り替えロジックなどである。安定動作を求める中でJTAGあるいはさらにETMといった機構の組み込みなども一般化してきている。JTAG+ロジックアナライザという機能構成のものも出始めてきた。こうしたことで携帯のような小型高密度の状態のハードウェアでも安定なデバッグ環境が構築できるようにはなってきた。しかし、ケータイにはまだ問題が山積している。

スリープクリスタルと呼ばれる32kHz程度の低周波数で待ちうけ動作の電力を減らすといった技術も一般化しているのだがJTAGで制御するICEのUIなどが携帯のこういった面を理解していないので、うまく制御できないICEとツボを押さえてあるものとがある。デバッグしている現場を良く知らない管理職の方が政治的にICEの選定などを好意的に手配されたりすると悲劇を生んでしまうかもしれない。上司は、潤沢な環境を与え現場を叱咤するだけなのだが・・・・。

デジタル通信端末の開発をしていく上では規格化されたメッセージなどの内容をICEが的確にUIで表示したりすることも必要な条件である。C言語環境が提供するシンボルをうまく取り扱ったものではenumで定義したメッセージ名を的確に表示してくれる。変換表などは不要である。ソースを開いてブレークポイントは張れるのが当然であるが、データの領域で思考通りに視覚化させることの重要性はあまり認識されていないように見える。

実際の機器組み込み状態でもJTAG機構のみで十分にデバッグできることもあまり認識されていない。またこうした環境ではFLASH書き込みのための機構も必要である。プリンタ接続ケーブルで簡易に接続したJTAGデバッガが、FLASHを高速に書き込める工夫がしてあったり、シンボル処理が優秀なUIを持っていると非常にバランスのよさを感じたりもする。

キャッシュ内蔵の時代にもなりはじめていて、デバッグする測定方法論もより吟味される時代になってきたようだ。ある意味で究極のデバッグ方法ともいえるコードインスツメンテーションと呼ばれる技術などもJTAGあるいは組み込みチップとして考慮すべき段階になってきたようだ。

しかし、ICEの使用台数に正比例してソフトウェアのリリース日程や工数が増えてしまうような現実があるのはいかがなものか。今日も匠の技でシリアルケーブルあるいはLED信号をオシロでみてデバッグしているメーカーは1機種10名たらずのソフトウェア技術者で次々と開発を進めている。何か時代がタイムスリップしているような印象さえある。

VOL76 新たなビジネスモデルを考える 発行2001/2/4

独身生活に一時的に立ち戻る中で、旧い仲間達との食事をすることに時間を割くことが出来るようになった。”法人割引あります”と書かれた居酒屋で若手や次世代の旗手などと話をした。無線システム商品の開発をビジネスとして捉えてきた初芝通信の直系の本流の仕事している恐るべき技術集団でもある。かつて、横須賀の研究所から一笑にふされた分散型電子交換機の開発を成し遂げた奇跡の流れの末裔でもある。

世の中の技術者のレベル低下なぞ何処吹く風で精鋭の技術者達が無線プロトコルの開発から端末・基地局それを構成する小規模電子交換機・ネットワークまでも開発成し遂げることが出来るのは流石である。PaloAlto研究所も恐れおののく集団である。業界独り言を書くようになって携帯業界の開発の舞台裏を支えつつ認識していた状況とは、異なる悩みに陥っていた。おそらく1000から10000台規模のシステム構築をフルターンキーで開発できる人たちが・・・・である。

システム事業という観点でみた顧客対応するカスタムシステムを構築するというビジネスモデルが立ち行かなくなっているのだという。果たしてそうなのだろうか。携帯で成 立していると思われるこの会社の歴史は、無線という事業によってたつシカゴにある米国の会社のそれに似たような背景がある。アプリケーション応用という観点でみれば、大阪の本社を中心とした全国規模の丁稚達によりニッチな市場を纏め上げてキャリアまでも事業として構築してきたのだが・・・。

端末事業などを進めているとシステム的な開発力の不足がフォーカスされてくるが歴史の流れから最近では研究所のビジネスを個別最適化を目指して支援していくかたちになってきていたことなどが影響しているのだと思う。他方、システム開発を進めているチー ム存続は量産というよりもプロトタイピングの範囲で済ませなければということになってきて、周囲から浮き上がってしまようだ。開発のプラットホームを叫ぶ彼らの意識は事業部の他組織から理解されないで居る。

システム開発力を標榜している初芝電器にはソフト軍団を統括してシステム件名への対応をしてきた歴史があった。新社長の方針で工場と開発部隊の分離ということが掲げられてることもあり、システム開発を進める別組織として独立して事業部を生産工場として 使えばかれらの開発力を会社全体に生かせるのではないだろうかと話は盛り上がった。こうしたプラットホームの話などを共通解として感じるQUAD社と初芝の中でそれに取り組んでいる彼らの環境を取り巻く差異はビジネスモデルの差異なのであろう。

彼らが自分たちで新しいビジネスモデルの中で産声を上げてもらえたらと感じてい る。システム開発という仕事でフルターンキーの開発能力がシステム事業部の工場の生産効率などからミスマッチしてきているのは業界のほかの会社からみても、実に奇妙なものである。

VOL75 インテルはマイクロソフトの夢をみるのか 発行2001/2/1

新製品発表・新技術セミナー開催と目白押しの週明けとなった。通常ならば、ホテルでの大規模な説明会となったりもするのだが、今回の新製品は、繋ぎの製品でもあり幾つか絞った形でメーカーの参加となり広くなったオフィスでの開催となった。時期を同じくしてQUAD社本体での新規事業の立ち上げなども手伝い忙殺された二日間であった。米国の仲間達も多くきてくれたので新人達のモチベーションも高まった日々であったようにも思う。

さて先週の水曜からの独身生活も一週間を経たのだが毎日のいろいろな出来事の中でまともな食事を自宅で試みるということもないままに過ぎてしまった。週末は、従兄弟の家に押しかけて久方ぶりに呑んで話を交した。QUAD社に入って以来伺ったことはなかった。ひげ面に驚くとともに、時の流れを埋めるべくすごした。翌朝はまたも雪になった。埼玉の奥地から、入院生活をして椎間板ヘルニアのリハビリをしている嫁さんの病院への見舞いに駆けつけた。

実は、昨年来続けてきていたQUAD社の流れの中で大きな取り組みがようやく記者発表の段階を迎えたようだ。異なる事業部での取り組みではあるが、Q社としての取り組みに違いは無く私の所属する事業部も含めて日本のお客様も巻き込んだ形でiモード事件を越えることになるかも知れないし、その逆かも知れない。しかしそうした危うさのなかで夢に向かって進んでいくようなベンチャー気質が失われてしまうことが1番恐れていることである。

ベンチャーの会社の中の人間の全ての気質が必ずしもそうでないことも学んできたもののそうした気質を大切にしなければかつて経験したことのある失敗の轍をまた踏んでしまうような気がしてならない。会社のこうした新生事業の創生なども含めて嬉々として取り組んでいるケイ佐藤ではあるが、いくつかの軋轢などものともしない強さの裏には互いに取り組んできた初芝通信の経験も含めたおおきな材料がそこにはある。私も、そうした取り組みの中にチップ/ソフト事業部門としての協力をしている。

チップビジネスにも、よりアプリケーションを睨んだ取り組みが望まれている時代に突入している。携帯電話の端末開発を纏め上げるプロジェクトリーダーの募集が就職情報誌を賑わしているが実際問題、そういう人材の不足とともに全く誰も考えも及ばない規模でのアプリケーションの纏め上げの苦労などが存在しているようだ。疲弊して会社を去るものもいれば、夢を持って転職して始めようとしているものもいる。Q社もチップソフト提供の立場から、もうすこし踏み込んだ取り組みをするべきであり今日のプレス発表をしたのだが、チップ事業の主体としては、中々インテルからマイクロソフトにはなっていくための取り組みは大変だ。

明日は、旧知の仲間からの声がけで横浜で一緒に食事をとろうかと考えている。そういえば、Techno-Wave忘年会も新年会も流れてしまっている。といっても急に声をかけても集まるものでもないし・・・・。ソフトウェア開発の現場の苦労について議論できればと思っている。まあ渋谷からの帰り道でも在るので、人数も増えるかもしれない。そんなメールを書いていると初芝通信からの問い合わせも来ていたので、集合場所が横浜駅なのかどうかは変わってしまうかも知れない。