都内で仕事をするようになり、映画の試写会などにも立ち寄りやすくはなったものの以前ほどは自分自身では申し込みを出さなくなっていた。3D映画であることをあまり理解せずに、IMAXに並んでいた。ヘッドギアを着けてみるCGによる3D映画の画面の動きに視神経のバックエンドである三半規管が障害を起こしてしまいがちだった。確かに映像的には凄いのだが、ピカチュウではないが人間の生理的限界などについて考慮する必要があるだろう。見終わった後に周辺から聞こえてきた声は「はきそう」だった。誘いかけてきた嫁さんもげんなりしていた。上映時間の45分という長さは限界ともいえる。
CG利用でのタイタニックなどの映画を見てもそうした技術の必要性は感じるのだが行き過ぎた点についてはよくよく注意する必要があるだろう。こうしたハイテクによる生理的な不機嫌などによる後遺症は別の問題を引き起こすだろう。ケータイでメールを打ちまくる光景は日常化してしまっている。ほかに何も見えていないとも思えるそうした姿は、満員電車や禁止されている車両などの情景などに思いやる余地もないようだ。道徳といった観念を教える機能は現在の学校教育にはないようだ。ニュースで聞こえてくるとんでも教師などの話などからも、学校にも余地がないようだ。
映画でいえば、こまめに仕上げていくクレイアニメのアードマンの作品などを見るとほっとする。こうした作品作りは、かつて日本にも存在していたように思うのだが作品仕上げのためのコストなどからすっかり日本ではなくなってしまったようだ。ケータイの使用を注意して喧嘩になった光景に遭遇して処置なしの駅構内での風景などもあった。切れてしまう若者たち同志ではあるかも知れないが喧嘩するには健全なボディが必要なのだろうが、こうした状況を想定できるローテクすら身に付けていないようだ。
携帯にJavaを入れろという話が、盛り上がっている。溜池テレグラムさんが発端であるが、何が出来るかというとローテクなゲームで遊べるといった内容だったりする。ハイテクな割にはローテクな話となり、実装する側の気もそがれたりメーカーサイドも懐疑的になったりする。全てハイテクなあそびで息がつけないよりも、気の休まるローテクなゲームであると昔の携帯ゲームの延長線になるとみるのだろうか。渋谷から横浜に到着するまでにメールで2往復しているような現代の若者達のコミュニケーションのスタイルにマッチするのかどうかは未知数である。ハイテクな割にローテクよりもローテクな割にハイテクなことが出来たほうが良いように思うのだが・・・。