最近の恋人同士の連絡は、電話ではなくて携帯メールに変わったらしい。携帯メール日常化は凄まじく、こうして東急東横線のボックスに座っていると三人は携帯メールをアクセスしている。一人は昔ながらのラップトップノートを膝小僧で叩いている。時代の取り残されている感が否めない。モバイルパソコンという時代に向かってひた走ったメーカーがあった。ある意味でニッチ市場を狙い玄人筋を押さえつつ評判を上げて販売増に向かいたいという姿が既に時代錯誤なのかも知れない。そうした姿で振り回される人たちが大勢を占めてはいないのである。業務で使い込んでいくという観点からすれば、そういう会社の製品がよいのかも・・・しれない。
12Gのハードディスクを搭載して128MBのメモリーを搭載して山ほどのソースを検証するようなことをモバイル状態でするはずもないので手のひらでのオシャブリにも似た携帯電話は良いおもちゃなのであろう。軽薄短小を目指してきた流れから、やはりスタイルと使いやすさに価値観自体が移ってきている。軽いだけの機能が何もない電話機のユーザーもいない事はない。しかし、限られた人種である。かつてHPの電卓が限られた人種が使っていたのとカシオやシャープのそれとを比べるまでもないが、数が出るかどうかがメーカーにとっての生産貢献というファクタで大きくものをいうはずである。
モバイルな中で書き物をしていくには、電池のみで長時間つかえて専用ワープロがもっともフィットする。いくつかのPIM的な道具も含めてタイピングしやすかったF通のポケットPCは便利な道具であった。これが変遷してモバイルギアに移行したのだが、これも正解だった。軽量なDOSで十二分な機能が提供されていた。だんだんパソコンと同様に大げさになってきたのは、例によってWINDOWS的な色づけが濃くなってきたことによる。DOSポケットの究極はHPの100LXや200LXだと思うがタッチタイピングなどでこうしたものの幻想を抱いて導入したHPのCEマシンには幻滅を感じている。それでも乗せられて買ってしまった自分を恥じている。最近は持ち歩かなくなってしまった。何度となくシステムクラッシュを続けるとWINDOWSCEのみならず、系列のNTや2000なども使っていくのがいやになってしまう。