VOL44 ラッシュの中で・・・ 発行2000/09/28

最近の恋人同士の連絡は、電話ではなくて携帯メールに変わったらしい。携帯メール日常化は凄まじく、こうして東急東横線のボックスに座っていると三人は携帯メールをアクセスしている。一人は昔ながらのラップトップノートを膝小僧で叩いている。時代の取り残されている感が否めない。モバイルパソコンという時代に向かってひた走ったメーカーがあった。ある意味でニッチ市場を狙い玄人筋を押さえつつ評判を上げて販売増に向かいたいという姿が既に時代錯誤なのかも知れない。そうした姿で振り回される人たちが大勢を占めてはいないのである。業務で使い込んでいくという観点からすれば、そういう会社の製品がよいのかも・・・しれない。

12Gのハードディスクを搭載して128MBのメモリーを搭載して山ほどのソースを検証するようなことをモバイル状態でするはずもないので手のひらでのオシャブリにも似た携帯電話は良いおもちゃなのであろう。軽薄短小を目指してきた流れから、やはりスタイルと使いやすさに価値観自体が移ってきている。軽いだけの機能が何もない電話機のユーザーもいない事はない。しかし、限られた人種である。かつてHPの電卓が限られた人種が使っていたのとカシオやシャープのそれとを比べるまでもないが、数が出るかどうかがメーカーにとっての生産貢献というファクタで大きくものをいうはずである。

モバイルな中で書き物をしていくには、電池のみで長時間つかえて専用ワープロがもっともフィットする。いくつかのPIM的な道具も含めてタイピングしやすかったF通のポケットPCは便利な道具であった。これが変遷してモバイルギアに移行したのだが、これも正解だった。軽量なDOSで十二分な機能が提供されていた。だんだんパソコンと同様に大げさになってきたのは、例によってWINDOWS的な色づけが濃くなってきたことによる。DOSポケットの究極はHPの100LXや200LXだと思うがタッチタイピングなどでこうしたものの幻想を抱いて導入したHPのCEマシンには幻滅を感じている。それでも乗せられて買ってしまった自分を恥じている。最近は持ち歩かなくなってしまった。何度となくシステムクラッシュを続けるとWINDOWSCEのみならず、系列のNTや2000なども使っていくのがいやになってしまう。

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VOL43 おもちゃとの戦い 発行2000/9/27

日曜の朝、AOLにアクセスしていると知り合いがログインしているのに気が付いてIMでチャットを始めた。某ベンチャーの社長さんである。無線通信ユニットなどの開発を最近は手がけているということでQuad社との接点などもありそうなものであるが、まだ互いのビジネスモデルがすりあわないというのが実情である。さて、そんな社長さんとももう長い付き合いになる。Cコンパイラの開発に伴い周辺機器の開発に着手したころの当時の初芝通信の某事業部は、さながらベンチャーのような勢いがあった。そんな中で、この社長さんと出会い、この会社を通じてOEMという商売にうっていこうとしたのである。

当時は、出来たばかりの端末にソフトウェアをダウンロードするのに適当なパソコンがない時代であり社長さんが米国の見本市にもっていくときに現地でダウンロードをしてデモをしたいというのが要請でもあった。PC8021というラップトップベーシックのパソコンを用いてソフトデータをダウンロードするように週末を使ってソフトを書き上げた記憶がある。幸い無事に現地でも動作したようだった。この社長さんは開発したこのCコンパイラを気に入ってくれてワークステーションを購入して開発環境のなかにインストールして欲しいといわれて応えてあげた。自作の心が共有できる世代の「かつて無線少年だった」時代を共有している世代なのだった。

さて、社長さんと話をしてみると社長さんの業界もビジネスモデルの刷新がありそうで起爆剤は、やはりI-MODEだそうである。ニッチ市場とおぼしき所謂プロ用の機器も「i-mode向け」のおもちゃの船団により価格破壊が起こりそうなのである。修理をしない、ソフトを個別に搭載しないネットワークモデルでのビジネスというゲームの図式に呑まれそうな勢いらしい。特殊なインタフェースであったとしてもね圧倒的なパソコンを凌駕する台数のi-MODEに接続する周辺機器は価格で10ドル程度が目標らしい。バンダイとかニンテンドーの世界なのだ。

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VOL42 ゆうこ 2000/09/26発行

村下孝蔵の歌の話ではないが、私の知り合いには五人のエンジニアのゆうこさんがいる。事務職のかたもいれればもっと増えるだろうが、そうじて技術者の名前のように感じている。組み込みソフト開発に女性が進出してから二十年くらい経つのだろうか。私の知るゆうこさんたちは、みなソフト技術者の方達だ。

この中の二人のゆうこさんにチームを組んでもらい組み込みようの軽いRTOSを開発したことがあった。いまでいうuITRONのようなものだ。ユニバーサルでコンパクトなOSとしてUCOSという名前にした。この名前に決めたのは開発メンバーの貢献があったからでもある。ふたりのゆうこさんは、結婚もされ、お子さんにも恵まれているが仕事も続けておられ後輩の育成もあわせて行われている。

このゆうこさんの一人は入社当時の自分が受けた開発を通じての教育を今自分自身で見直して改革して取り組まれているようだ。彼女は、組み込みの世界でおそらく世界でもはじめてCからはじめた女性技術者なのではないだろうか。このゆうこさんは、この開発プロジェクトの総括を本社までいって壇上で報告されてもいる。たくましい限りだ。大学首席卒業もうなづける聡明で明るい頼れるお姉さんになっている。

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VOL41 新しいオフィスへ 発行00/09/25

Quad社にジョイントして赤坂でのオフィス生活も一年を経過した。赤坂の一ツ木通りなど周囲は至便な環境である。食費を気にする向きには、リンガーハットもあるし、エスニック好きでも洋菓子好きでもいろいろな店が軒を連ねている。先日、赤坂ブリ ッツでのボニーピンクのコンサートなどは非常に身近で終わったあとには嫁さんと会社近くの行きつけのエスニック料理を楽しんだ。郵便局も銀行も近くにあり非常にコンビニエンスな環境であった。

Quad社の日本オフィスは急進する日本の状況に合わせて地道に広げてきた経緯から小さな雑居ビルのフロアを徐々に広げていくという戦略で進められてきた。当初6,7Fのみであったが私がジョイントするころには4Fも借り受けて3フロアという構成になった。家庭的なアットホームな環境も増えてくる人員や行き来する社内外の人間の会議スペースなどから拡張を求められてきた。今年はじめのCDMA2000事件を契機に拡張を決定付けることになり、近くの青山一丁目のビルを借り受けることになった。

サポートと営業の間に誤解が・・・いや五階が挟まるという体制ではなくなるので、いろいろなことがスムーズに運ぶようになるはずである。赤坂御所を望む18Fのビルの 眺望には期待をしているものの、赤坂界隈のローカルなお弁当屋さんの便利などにも捨てがたいものがあり、期待半分、残念半分といった気持ちである。チップサポートをしていくという目的に必要な実験室などの設備も今回の移転の中で準備を進めている。サンディエゴなみとまでは行かなくても必要十分な環境には近づくと期待している。まぁこうした環境で若干不便になるのは空調制御がビル全体に移ることになり延 長申請などの手間が増えることがあるのだが、遅くなることの心配をするよりもスムーズに解決できるように考えるべきである。

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VOL40 期末を迎えて片付けを 2000/09/24発行

Quad社では、期末に丁度あたり、ハードサポートと営業、事業戦略などのメンバーは サンディエゴに終結しており、ソフトサポートメンバーのみ留守番をしているような 状態であった。来年からは、ソフトもこのミーティングに参加しなければならなくな りそうだった。丸一日のミーティングでそれぞれの年間の成果を報告するのが慣わしらしく、まさに事業総決算のなかで名実ともに反省会に相当するものだろう。初芝で の反省会と違うのは、開催場所が昼からホテルを借りて数日行われることだろう。夕 刻から宴会をするために熱海まで繰り出していくのとは文化的にちがうようだ。

反省会の締めくくりには、会社主催のパーティが行われこれには、本社の社員は全員出席するようだ。昨年の入社直後にも現地で遭遇したのだが、車の免許がないことやコミュニケーションスキルが不足していたことも手伝って参加はしなかった。今年は、パーティ以外にもイベントがあるらしく野球場をかなり占拠して試合見物するということもあるらしい。イベントが近づくとカウントダウンのメールが毎日とどくのは向こうの風習らしい。

会社から貸与されたラップトップも一年の経過で容量的に陳腐化してしまった。現在 のサポートの実情からいえば、常時リリースしているソースコードや提供しているマニュアルを何世代かはディスクに保持したいのだが、お客さまからの問い合わせの メールなどの添付ファイルも膨大な量になってきていつしかディスクがあふれてしま った。昨年の業務開始時点では、6Gの容量で残りにはLINUXを入れかけたりしたのだ が、すべて消し去ってしまった。最初はZIPドライブを持ち歩いたのだがあっというま にZIPが十枚近くになってしまった。

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VOL39 オリンピックの応援をしつつ 2000/09/23発行

シドニー五輪が始まり、賑やかな楽しい会話が弾んでいるようだ。前回のアトランタ五輪のときは、チャレンジ休暇なる一ヶ月あまりの休みをいただき、実際に米国にいっていた。オリンピック開催国とはいっても、開催地のアトランタと訪問していたシカゴやボストン、ワシントンDC、カリフォルニアともに、広大な国土の中に日本のような熱狂はかき消されていた様子だった。前回のブラジル戦の結果も日本に電話した際に義父から話をきいたほどだった。特に予選リーグでの成果などは新聞にも載っていなかったような気がしていた。
 
今回は、時差の少ない南半球での試合ということもあり季節的にも涼しくなり応援にも身がはいっているかもしれない。ソフトボールの豪快な投法や柔道の切れのいい技などに喝采をおくっている。サッカーは南アフリカが初戦だったが、あいにくと会社の上司は南アフリカの人間である。週の報告をする日でもあったので「結果によって相互影響はないよね・・・」などとジョークをいれておいた。結果は、よかったが更に南アフリカはブラジルには勝ちリーグ最終戦は混戦模様となった。
 
スロバキアも一勝もしないままでは終われないだろうし、日本がアトランタに続いてブラジルに勝ってしまうと予選リーグ敗退という不名誉な状況も考えられた。関係のないときには、南アフリカも身びいきするようになってしまった。野球では、米国に惜敗したが、さすがに米国メンバーからもジョークが飛んできていた。お家芸はさすがだと返事をしておいた。結果として南アフリカはブラジルへの一勝のみでスロバキアのおかげでトーナメント進出が叶った。この点はまだ上司にはコメント出来ないでいる。
 
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VOL38-3 新機種ラッシュ 2000/9/14

秋になり、サポートをしていた各社から次々と製品がリリースされるようになった。暫定出荷を開始したK社の端末を私は利用しているが、世の中はすでにカラー化が前提になっているようで各社とも工夫を凝らしてカラー化端末の製品を出そうとしている。性能では昨年のリファレンスモデルだったT社もカラー化で新機種を展開するのだという。来月発売の予定なのだが開発問い合わせ内容からはうかがいしれないところがある。

Quad社が提供している基本機能の提供の範疇にはカラー液晶ベースでのグラフィック性能までは含まれていない。無線制御の間隙を縫って行われるためにUIからみたCPUリソースの制御などが難しいようだ。こうした面はQuad社としても認識して機能提供していくことが必要だろう。PDAを超えた容量のメモリを搭載した、こうした携帯電話がPDAよりも安価に販売されているのは、業界が不健全な気がしている。

携帯端末での部品価格が、カラー化のために大きくその構成比を変化させてつい昨年まではトップの座をQuad社のモデムチップが居座っていたのをカラー液晶やSRAM、FLASHといった部品に相次いで明渡すようになった。価格追求の手が緩んだわけではないが、高額なこうしたほかの部品への取り組みに顧客の関心が移っていったようだ。しかし、大容量化のFLASHなどの目的にはNAND形の安価なFLASHへの対応要請もあり弊社チップでのこうした安価な部品のためのソフト対応なども求められるようになった。

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VOL38-2 採用最前線から 2000/9/14

仲間を増やそうと、知己を通じていろいろと情報にアンテナを伸ばしてきた。ハード・無線・ソフトとようやく第一ステージを終えて教育実践の段階に入ろうとしていた。Quad社では、社内体制がすべてイントラネットで明らかになっている。上司関係と役職、人の検索といったごく普通の項目である。東京オフィスでのソフトチームも若手社員を向かえることで若干の変更が図られた。

東芝から迎えた同僚と話をしていると彼も自身の役職が変わっていることに気が付いた。Staff EngineerからMgr Engineeringとなったのだ。「これって部下をつけるからでしょうね」と互いに話した。名刺の更新は、事務所移転と合わせて実施すればよいので二週間ほど先延ばしにした。

さて、次世代通信が混沌とする中で米国内ではAMPSからGSMに移る動きも急だ。Quad社のチップもGSMなどとのデュアルモードをサポートしていくために、こうしたライセンスホルダーとクロスライセンスをしていくことが必要になる。従来からの独占的なCDMAパテントライセンスにもとづく商売形態との親和性を図るために、このパテント問題を拡張していく考えに基づいてQuad社自体は、分社することになった。当然、東京オフィスもその対象である。

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VOL38-1 サポートの一年 2000/9/12

会社から貸与されたラップトップも一年の経過で容量的に陳腐化してしまった。現在のサポートの実情からいえば、常時リリースしているソースコードや提供しているマニュアルを何世代かはディスクに保持したいのだが、お客さまからの問い合わせのメールなどの添付ファイルも膨大な量になってきていつしかディスクがあふれてしまった。昨年の業務開始時点では、6Gの容量で残りにはLINUXを入れかけたりしたのだが、すべて消し去ってしまった。最初はZIPドライブを持ち歩いたのだがあっというまにZIPが十枚近くになってしまった。

当初プリインストールされていた、win98からはWIN2000に切り替えなければならないほど開発ツールが相互に影響を及ぼすような使いかたを強いられるのがサポートだ。WIN98ベースではマシンがフリーズしてしまって仕事にならないのが実際の状況だ。プリインストールでないCDROM非搭載のラップトップでのインストールはちょっと大変だ。若干の工夫でしのげるのだがなかなか書いてはないことが多い。

コンパイルしてできるオブジェクトサイズも膨大であるお客様のサイズは4MBを超えている。リンクを開始しても完了まで30分以上を800MHzクラスのマシンをもってしてもかかる。私たちが持ち歩いている昨年のセルロン300MHzクラスのマシンでは一時間以上必要となるだろう。私たちは当然128MB程度はRAMを搭載しているのでコンパイルができないことはない。リファレンス用に提供している米国でのキャラクタベースのUIであれば生成サイズも一メガバイト程度なのでお客様の問い合わせに対して提供サイドでの確認は可能な情況だ。

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VOL38 夏休みを終えて2000/09/10発行

遅い夏休みを取らさせてもらった。九月に入ってのことなので列車も空いていて当然 ホテルも空いている。イベント列車の切符も無事入手した。JRのネットワーク会員に なっているのだが、特急でないこうしたイベント列車の指定は取れないのが現在のJR のサービスである。もともとのMARSの仕組みがダブリ発券をよくするようなのでイベ ント列車のサービスまでも行うのは無理があるのかも知れない。
 
世界遺産に選定された白神山地を走っていくリゾートしらかみという快速列車が、そ の列車である。秋田と弘前とを結ぶ、このイベント列車の為に起点・終点とで宿泊を 入れた。また翌日はのんびりと花輪線で八幡平を巻く快速八幡平で盛岡に抜けて泊ま りのんびりとかつ早めに東京に戻るというのが今回の旅行である。会社の上司の申し 入れの米国招待旅行を断って国内旅行をしたので却って高くついたのはいうまでもな い。しかし、歴史ある城下町を続けて三夜泊まり歩き自然と民俗音楽や料理に親しん だのは有意義な旅行でもあった。
 
休みに入る直前に、会社の携帯電話が非常に状態が悪くなった。H社の端末だが突然液 晶表示が横線が太くなったりしはじめたかと思ったら、さらに悪化して天地ひっくり 返った鏡像の状態になってしまいメールを読むのも困難になってしまった。キーの反 応などをみると表示のみが崩れていて液晶サブユニットがおかしいのだろうと思うの だが如何せん使いにくい状態でもあったので、K社の端末に変えてもらった。昨年来い ろいろお手伝いしてきたK社端末でもあったので感慨深く使っている。既に町では 4000円を切っているのだが、大規模なアプリケーションとソフトリーダー不在の中で の開発状態はあまり好転せずにリリースはまだ本格稼動ではないようだ。
 
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