VOL37 仲間の広がり 2000/08/30発行

携帯端末開発の最前線に飛び込んで一年が経過した。いままで少し距離をおいてみていた仕事に首を突っ込むようになり、また外部から元の会社を見直すことが出来るなどの経験をしてきた。実際問題として退職理由でもあった高速無線データ伝送技術による業務無線改革に向けての第一歩ともいえる事がまず第一の難関でもあった。
 
初芝は、取り組みが早く撤退も速い会社である。長続きした開発はうまくいくはずだが、そこまでずるずるとしたやり方を好まない。最近は、そうした博打的な開発(昔は基礎研究とよんでいた?)をインキュベータと称してベンチャー育成に矛先をかえている。基礎研究するよりも、懸命に成果をだそうとするベンチャーが新鮮に映るのだろう。
 
社内での開発で必要な技術を紹介する伝導師(エバンジェリスト)や、必要なニーズを嗅ぎ取ってくる技術営業のような機能が機能していれば社内の種種の研究所での開発でも成果が出されてくるはずである。初芝の海外インキュベータ戦略は雑誌に紹介されるほど高名になってきた。しかし、裏返すと基礎研究には自信が持てないあるいは問題があるということではないだろうか。
 
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VOL36 中核技術者であるために 発行2000/08/29

旧知の共栄会社の方とお話をする機会があった。この方からは、「以前の会社の方々とお付き合いできるなんて、すばらしいですね。私もそのようにありたいと思います。」と過分な言葉を頂いたが、私自身、人生の妙の中で初芝を辞めて敵に回ったつもりも無いし自分自身の方針を変えたつもりも無い。ただ、私自身がソフトウェア技術者であるという存在理由に自分自身で問い直してみて疑問が残る状況であったために立場を変えたにすぎない。ありたい自分の姿がここには、あったからだった。
 
この方と話をした理由は、某メーカーでの開発でのご協力が得られないかという問いかけだった。転職以来、多くのメーカーを見てきた中で互いの情報共有がうまく機能しないために巡り合わない仕事も数多く存在していることはわかった。開発のための匠の技術についてなかなか横展開していくことは至難の業である。伝えようという思いが強いほど、その反動が大きいものである。ぐれてしまう訳ではないのだが、いわゆる疲れてしまうといった状況になる。こうしたことが続くことに対してがんばりを維持することは大変なことである。
 
こうした仕事の話をもちかけていくと互いの仕事のレベルの探りあいをいつのまにかしている自分に気がつく。相手も同様である。相手との接点を探しつつ実は相手の実力を推し量っている。技術者の採用と一緒である。今回は、たまたま自分たちのための採用ではなくてお客様のための紹介である。紹介するがわとしての実力を試されてもいるわけで、こうした打ち合わせは実は真剣勝負でもある。馴れ合いでの試験や情実での引き合いなどは決してない。
 
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VOL35 先が見えない時代に 発行2000/08/23

さて、私の過去の不安な材料が見えてきた。それは、あの海を埋め立てた、関西国際空港だ。何をしてきたのかというと簡単にいえば無線機付きのデータラジオを開発提供してきたのだった。当時、アナログでの同報通信をうたい文句にした和製トランクドシステムであるMCAシステムを関西空港の埋め立てに利用しようというのがニッチ市場に眼の無い事業部としては、まさにシステム件名としても適時な取り組みであった。一定期間の工事の間だけ利用するシステム機器を納入するというのは後腐れがなくて美味しい仕事だったのかも知れない。
 
私は当時アナログ無線でのデータ伝送を行うということを命題に暮らしていた。この開発のためにクロスコンパイラも開発したし、当時の上司は私のためにスーパーミニコンを買い与えてくれたのだった。一人で占有するには当時のVAXは高い買い物だったのだが同様な性能をより安く高性能に提供してくれたHPのスーパーミニコンは魅力的なものだった。Sunが出てくる少し前はHPとDECの一騎打ちだったと思い返す。自分が開発したクロスコンパイラは、Cコンパイラでそれ自身書かれていて同様のUNIXの上ではコンパイルしなおすだけでそのまま使えたのである。
 
コンパイルされたコンパイラで自分自身の目的とする端末のためのコンパイルを行い、得られたソースコードをアセンブルしてROMに焼く。Cで書かれたソフトは、そのままICEの必要もなく動作して所用のステップまで到達して機能確認を続けていく。こうした作業を横浜で行い、開発協力してくれたメンバーとともに現地に訪れた。大阪というよりは和歌山といったほうが適切なくらい離れた場所に関西空港の予定地はあった。そこはただの海だった。樽井とよばれる駅に隣接した場所を借り受け鉄塔の上にはMCAと呼ばれる800MHZ帯域の専用のアンテナが海に向けてのっていた。下の局舎は気象庁の関連施設であった。
 
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VOL34 夏休みをとろう 発行2000/08/20

弊社では、夏休みはチームで各自が宣言を前もって行ない対応を決めていくのが慣わしだ。同僚の彼は、私よりも先に明確に宣言をしたので二週間の休みをとることを決めていた。私はといえば、先月三週間弱の本社作業をしている中で彼のスケジュールを聞き帰国と同時に彼は休みに入った。不足分は本社との間でシェアするようにしていた。彼は休暇設定をメールにしたので自動応答にいてお客様にも通知できていたようだ。
 
夏休み目前で、キャリアから納入目前のメーカーに色々な宿題が飛んだようだ。そうした宿題の打ち合わせにきたメーカーの方が都内にきたついでに社を訪れたので夕方のひとときを赤プリのビアガーデンで過ごした。端末の開発を中身から設計してはこをあとから作るという方針の会社なので中々売れ筋にはあがってこない。ましてや、最近ここから技術屋がスピンアウトして弊社に入ったこともあって中では大変なことになっているようだった。彼も私と同様にこうした会社をサポートしているのだが・・・・。
 
このスピンアウトした技術屋が今休みを取っている同僚であった。彼や仕事を肴にして酌み交わして都会の谷間のプールサイドのひと時を過ごした。次世代や次機種の開発の流れのなかで現場の方達と話をするのは貴重なことである。盆休みに入ると都会も人通りや渋滞が減り、良い時期となる。実際お客様も夏休みを取られているので、サポート業務の仕事も次の仕事の充電時間だったり、採用に充てられたりといった時間に活用することができた。
 
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VOL33 携帯電話は生活を圧迫している? 発行2000/08/17

携帯電話の技術で暮らしている、私たちは正しい認識を持たずにはいられない。昨今、自分自身の感触としても気になっていた事実が新聞に掲載されて明らかになった。今の不況をあおっているのは携帯電話の通信費用らしい・・・。i-MODEとかメールでの通信が日常化した今、日常化していない通信費用の問題は個人のデジタル係数を押し上げている。通信費用の日常生活とのアンバランスは、不況の中での生活バランスを変化させているのは確かなのだろう。メーカーにいると製品開発のうねりのなかに飲み込まれていて自分達の製品の開発競争と、それに伴う製品寿命の短さとがあいまって結果として自分達の生産付加価値を下げているのではないだろうか。開発した商品が二ヶ月と持たずに価格ゼロのレッテルを貼られて斡旋されているのを見るのは日本の異常さを物語っているのではないか。
 
私はかつて、PHSの端末が10円で扱われるようになったときに通信の世界にも水道哲学が達せられたのかと感じたことがあったが、まったくの誤解だった。必要だが、潤沢にある水道の水と、不要にあまってしまった社会の公器を浪費した残骸を前に誰もが手を出さないという状況は異なるのである。エキサイトしたこうした競争に対して端末価格を自由競争という範疇でみれば国が出てくる筋合いではないのだろう。電話代の料金改定という流れが解決されるまでは、携帯電話の費用までは回ってこないのも事実だろう。PHSと携帯電話はもともと異なるターゲットを想定したものだった。ベルからPHSに流れ携帯にいき、愛のサービスに入った。i-MODEが出来れば、電話はいらないという人にとってPHSで動作するi-modeがもっとも合うような気もしてくる。
 
パケットの課金を細かく設定すると管理コストがかかり、ひいては基地局の能力を圧迫することもあるらしい。課金を考えないスループット議論をするには携帯電話のバンドは、混みすぎている。不平等にも平等にバンドをシェアしている状況下では、比較的空いているキャリアのPDCに走っている姿も納得がいく。こうなると全国区のキャリアは、エリアが命になっていてビームを富士山に向けてどこでも携帯を可能にしようとしている。昔ならアマチュア無線でやっていたような楽しみは、どこかに消えさってしまったようだ。こうした携帯電話の活況とは異なり、日本の空をスペアナで見ると興味深い事実が出てくる。空いているバンドがあるのだ。既得権や財団法人という形でガードされたバンドでは利用方法の模索が続いている。開発時間やコストが折り合わないと顧客はどんどん流出していくのも事実なのだろう。
 
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VOL32 二千年夏 発行2000/08/15

 電機労連の方々が休みに入ると我々は少し落ち着いた時間が取れる。こうしたときに進めやすいものは、技術のキャッチアップやスタッフィングである。6デシベル増加に向けて各方面にアンテナをはった。技術屋としての家業選択において過去には英語が出来ないから技術屋になったんですよという御仁もいた。確かにそうした年代の人は英語で躊躇するようだ。技術的に躊躇しないひとが、なぜ英語で引いてしまうのだろうか。忙殺されるスケジュールの隙間を縫って本社メンバーがスタッフィングの面接に立ち寄ってくれた。優秀な技術屋もこうした面接であがったり説明したいことの語彙が不足したり質問が理解できずに苦しんでいる。日本サイドとして、候補者のかたについての面接を経た結果でも一応仲間の増加に対しては特に中核になってほしいメンバーの場合には念をいれることになる。先日、幾つかの行き違いなどから内定しながら辞退された方がいた。優秀な技術屋さんであったがメンタリティとしての面が当面彼の進路について現状維持の道を選択された。義理堅いという特質をもたれている人であった。
 
彼はいわゆる小規模なシステムハウスの技術屋である。前職は初芝系列の会社で通信機器の開発にあたってきたのだが、通信機器普及に伴う低価格化などのなみによる激動から部隊の上司がスピンアウトして起こしたシステムハウスに転籍していたのだった。システムハウスの隆盛は人生といっしょで新たな人材を育成していかないかぎりは仕事内容を変容していくしか生きる道がなくなっていく。良い時期に仕事に恵まれてきた彼らは当時の若手技術者の彼を筆頭にする段階になっていた。考えてみれば彼の上司達の仕事はなくなってしまったのである。仕事を推進していくのは幾つかのキーとなる技術力を持った技術屋であり、付随した古参の管理職がついてまわることになる。こうした彼を引き抜こうとしたわけではなく、解散した会社の技術屋として目をつけて声をかけたら実は技術者はみんな社員ではなかったという実体だったのであった。CDMAの経験を持つ彼にとっては、quad社で働くことが理想的な状況にみえていたから・・・。しかし誤解と混沌の始まりだった。
 
どろどろとした状況の中で彼の会社のボスが乗り込んできた。今となっては彼を手放しては会社としての存亡に繋がるというのだった。実際システムハウスというものはこうしたことを契機にして衰亡してしまうのだろうと思い至った。大会社のなかで飼いならされた覇気のない技術屋もいるかもしれないが、スピンアウトして技術一本で仕事をしてきたシステムハウスの技術屋は良い環境があれば転職しやすいのだろう。これは日本も米国のような状況に近づいているのかもしれない。人をつくることを先に行なう大会社にいた彼は、結局メンタリティから当面は上司達との仕事を続ける道を選択したのである。米国人には理解できない結果かも知れなかった。こうしたことも先の面接に影響している。
 
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