VOL13 求人最前線で考える 2000/06/19

半年らいの異常な事態を収拾するなかで、国内支援体制の拡充が大きな鍵であることを認識し上司具申のうえ体制拡充の許可をえた。現状からの6dBの体制強化である。ベースが何人なのか20logなのか10logなのかはモザイクのかなただ。問題は、やはり言語の問題なのか、あるいは自分自身への自信のなさの現われか、あるいは生活保障ということからかなかなか名乗り出てくるメンバーにはお会いできない。敷居が高いのだろうか。見知った人から見識の再確認で済めば私も自信をもって本社に申請をしようというのが目論見であり、培った実績から米国での日本メンバーにこうした人事採用までの裁量をいただきありがたく思うと共にまだまだベンチャーであり毎年優秀な人材を採用教育してくれていた大企業という枠の力についてうらやましく思いもするのである。

ある程度の日本語の会話力があり、英語の読解力と会話力のある日本に留学してきている学生を対象にして新人確保という線も却って日本人の技術者を採用するよりも私たちとしては容易いかもしれないと思いついた。日本人でも、宇宙語を話すようなコミュニケーション能力のないオタクな技術者を採用してもここQuad社では務まらないだろう。お客様である技術者のための技術者が我々の仕事なのである。バックエンドのサンディエゴのチームと相対することは日常であり、かの東川氏ですらおぼつかない英語で暮らしつつ未体験のCDMAの世界に突入していったのである。現物を見ないで、仕事の指示や確認だけをしている生活も安住という観点からは捨てがたいのかも知れないが、果たして技術者としての自分自身というものを持ちつづけていくことについてはどうなのだろうか。東川氏のように時代から浮いてしまうことを恐れずに嵌りこむのも考え物かも知れない・・・が。

携帯の通信費用を下げることで景気は上向くのでないだろうか。今は通信費用の嵩む部分を被服費用や他の娯楽費用から浮かしているために景気を悪く見せているのではないだろうか。そんな話を嫁さんと交していた。たしかにタクシーの若い女性運転手などと話してみるとそうした実情が窺い知れる。でも通信は外せないようなのだ。となると被服費用などが安く済むことのメリットなどがユニクロ現象などに現れてくるのかもしれない。

ある会社でCDMAの開発をしていたという技術屋さんの紹介を受けた。もともとは初芝電送にいたそうで何年か前にまとまってスピンアウトして会社を興してシステムハウスをしていたらしい。会社ごとサブコンとしてある韓国の通信機器会社の日本研究所という組織を形成していたらしい。初芝でもよく見られた地方研究所のようなものだ。ただし会社全体の人材が借り物だというのも最近ではあることなのだろうか。Quad社のお客様でもあったこの会社
がシャットダウンすると聞き及び技術者の奪取に走ったのは言うまでもないことである。この会社では昨年田町系列の会社からCDMA技術者の引き抜きがあったらしく我々としては、半年毎に行なわれる新製品リリースに伴うトレーニング会場でのレセプションを通じて、そうした人材交流(?)を知りえたりしていた。都合を伺いインタビューとしてヘッドハント活動をしレジメを書いてもらい、サンディエゴとのテレビ面接も行い、ようやくオファーという段になる。東川氏の時とはことなり迅速な人事処理が進んだ。

Quad社では、顧客先からの技術者の引き抜きは本人の意向が先行しないかぎりは攻めていかないのが鉄則であり、大企業にありがちな本人の意向と昇格での管理志向とのせめぎあいで不満を持っている人がいれば狙いどころとなる。今年に入って東下からきた同僚も同様なパターンである。二人の目標は、9時にきて6時に帰ることであり、そうした目標が夢ではないことは昨年の生活から東川氏は知りえている様子だった。そうここで注意しなければならないのは、顧客先以外からの引き抜きには言及していない点である。米国の会社であり、研究開発陣の充実などはトップレベルであり何よりも確かに自分達で牽引しているという自負のある環境は技術屋として腕や頭に覚えのある人にはやりがいのある場所なのだと思い返す。

昨年懸案だったWCDMA問題も決着して未来が約束し開かれた現在は、東川氏が野比Laboの一節で述べていたような危惧も消えている。ただし、一年足らずの東川氏の経験からは長年会社で不平不満のみをいつも漏らしているような技術者では、きっと馴染めないのではないかと思うのである。自分に前向きで仕事の中でそれを実践していくような人材で、仕事に恵まれないというような人材がもっとも奪取に走るべき人材であることを確信している。そうした人材をTechPaperという実践を通じて知りえた東川氏にこうした人材推薦の白羽の矢がささり今は奔走しているようだ。

年収は残業など勘案してもきっとがっかりさせないものがある違いないし、業界の技術者の方々を支援するということで日本中をまさに回りつつ最先端の技術会話を楽しめるという仕事の楽しさはきっと東川氏の個人シグネチャからも伺いしれるだろう。ベンチャだから組織の弱い所もあるだろうが、フラットな組織はそうしたことの是正をどんどん具申して直していけるということを人材採用や教育などの問いかけからも真摯な議論を上司と交し会社としてそうしたことへの取り組みをしていくことをしている。そんな勢いのある会社なのだ。もうプロトコル屋だけが欲しいのではなくてそうしたことを常識として捉えて端末というシステムを理解したうえで個人生活の中心としてネットワークを広げていくなかでの広範な技術者を求めているのである。

??夢うつつで書いていたようだ。いや単なる独り言だ。年収など気にしないひともいるだろうしこうした生活にあこがれている人もいるかも知れない。チャンスは少ないが、奪取に呼応するダッシュを示してくれれば、私もダッシュして奪取に向かうはずである。あまり冷やかしで呼ばれても肝臓に負担がかかるので勘弁して欲しいのだが・・・・。今週は鳥取で美味しい出張を済ませて来週には本社で情報収集にあたらなければなるまい。・・・こんなに遅くなってしまった。

VOL12.5 基本ソフト開発の方程式 発行2000/6/14

素直な梅雨空は、ひとしきり雨が続いている。エルニーニョなど、どこ吹く風で本当に日本らしい天候を楽しませてくれる。春から初夏にかけては、5月病の社員などのケアなのかいろいろなイベントを駆使してモチベーションの向上を図るのはどこの会社も同様のようだ。日常の疲弊した仕事の中で技術発表などのモチベーションを続けることが人事考課の賜物であるにしても気分転換の範疇でこなすのも良策であろう。人脈を広げるのに活用するのもまた良いことだろう。

大会社には豊富で優秀な人材が多い、しかし実際に活躍されている例は少ないようだ、人材不足が先に立ち、そうした優秀な人材を教育しあるいは実践させ仕事の中で教育サイクルをまわしていくことがなくなり、安直なあるいは効果的な解決策としてソフトハウスの導入に走ってしまっているように映る。こうした大会社でも不景気の荒波は打ち寄せ、ソフトハウスの導入という至極普通の取り組みすら出来なくなった会社が、うみの苦しみを越えて不死鳥の如くよみがえってきた。この会社では、このことが会社の仕組みを刷新させたように見える。また、相変わらず底知れぬ人材のダイヤモンド原石の上に砂利道をしいて相も変らぬ道路工事を続けているような会社もある。予算がつくので仕事をする。仕事をしないと予算がつかない。人材を確保しないと戦争がこわい。だから予算を計上する。こんな悪循環がいつまでも回るわけではなかった。実際淘汰されるものだ。

原石の磨き方を知らないままに砂利道の中に迷い込んでいる会社も多いのだろう。贅沢なものだ。すばらしい原石もなんどもほっくり返すような工事をしていたのでは硬いダイヤもいつしかヒビがはいり小さくなり砂になってしまう。毎年新人が入るから気にしないのだという人もいるだろう。外から見ているとそんな光景に見えてしまう会社がそこここにある。組合の問題もあるのだろうが、技術者の生活とは残業時間で計れるものではないのではないか。諦めにもにた、そんな雰囲気を組合は察知しているのだろうか。組合の委員長自らがそうした仕事にどっぷりと漬かっているのでは当然の結果かもしれないが。

どの会社もソフトウェア技術者の拡充をいわれている。新社屋を建てて鳴り物入りで推進されている会社もあるし地道に技術者を募っている会社もある。組織を作るのが好きな会社では毎年事業部の名前や会社の名前を変えたりして麻痺している会社もある。麻痺した感覚では、組織の位置づけも毎年の名称変更と同じように捉えている会社もあるのだろう。実体と組織の名前は乖離していることが多いようだ。ソフトウェア技術者の育成確保のために専門組織の別会社を作るのも常套策である。効果的に解決するにはソフトハウスとのジョイントが一番ですという会社もある。確かにそうであるかもしれない。ソフトハウスという観点で工数販売を目標にしていないのであれば、よいのだろうが基本ソフト技術というものよりも仕事をこなすという観点を増幅してしまいがちなケースに遭遇することが多い。

ソフトウェア開発という仕事を冷静に見つめて、プロセス改善などの手立てを始めている会社などは救いがあるといえるのだろう。そうした活動の本質を理解している技術者の育成が大きな課題であり、むしろ入社した社員での宗教教育にも似た段階でスタンプを押すことが必要なのであろう。ここで成功すれば効果は10年から20年はキープできるものだ。失敗した場合には5年とたたずに去っていく技術屋となりえる。10年たって出ていく技術屋という場合には、スタンプを押した側に問題があるのではないだろうか。それでも何もしない会社も多く先進的な会社には、まだ救いが残されている。

ソフトウェアの技術屋ですと言われると言語処理の知識・リアルタイム制御・マンマシン・プロトコル制御さまざまな範囲の仕事の技術屋全般を指し示すことになる。小さく分解したものを作成するのがプログラマーであり、こうした分解したもの(モジュール)の更なる全体構造が示せる段階が、システムエンジニアであろう。役割分担を明確にして楽しく仕事をしている会社もあるようだ。しかし何よりもお客様に向けた製品化ストーリーや技術のロードマップを正しく示しそれに向かって進んでいくことが見せられなければ、仕組み自体が絵空事になってしまう。在りたい会社の仕組みと在りたい自分をマッピングできればそこに向かって自分も一緒に進んでいくことが出来るのだろう。「最新鋭の技術に手をつけられるが、その選択は自分達ではなく、ともかく忙しくて追い立てられるように仕事を進めているんだ」というのでは楽しい仕事ではないといえるのではないか。

自分達で切り開いていくという仕事は,マイコン黎明期でもなければ、なくなってしまったのだろうか。技術の革新のなかでそんなことはありえない。ただしそうした会社としてもつべき余裕までもつぶして仕事の取捨選択もできぬままに百貨店経営を進めていくことに未来を映し出すことが出来ないのではないかと危惧するのである。25年前のマイコン黎明期に、ソフトウェア課という組織を作成した先進の恐るべき会社があった。まだICEもないご姿勢でアセンブラで開発するなかで家電系の会社としてのこの先進さには目をみはるものがあった。こうした会社での仕事は楽しいに違いない。

取り組みが早すぎるという声がこの会社には、その後たびたび訪れたようだが、渦中で進めている間の技術者は幸せであっただろう。追いつけ追い越せと電々ファミリーへの猛追を行い追いついたときに在りたい自分在りたい会社というものを考えるべきだったのだろう。いま1000名を越えるソフト開発技術者を募り通信の世紀を越えようとしている。こうしたバベルの塔にもにた状況に陥りつつも実際にももしかしたら、バベルの塔が構築されるかもしれない様にはさらに畏敬の念をいだかざるをえない。ヘドロを凍らせつつ埋め立てた関西空港のようなさまには、WCDMAという見えざる敵に果敢にブートストラップ大佐の如く立ち向かっているのかも知れない。

先進の会社として四半世紀前にソフトウェア課を興した課長と、1000名を越える通信ソフト開発体制を作ろうとしている社長の二人を知っているものとしては、本来であれば隆盛についての祝辞を述べたいとおもうのだが、残念な気がしてならない。

本来であれば、ソフトウェア事業部として構築していくことで進められるようにも思うのだがLinuxのようなあるいはDOS/Vのような仕事の進め方はありえないのだろうか。量産とシステム対応という両極のものが、LINUXでSOHOな暮らしをしている人たちは実現できているように思えてきている。こうしたプラットホームといことを基本ソフトとして進められるのではないかと考えはじめたのだがいかがなものであろうか。何かそうした未来を提示するなかで、現在の状況からのマイグレーションの道を進めていくことが必要なのだろう。

単に奇麗事を並べて、技術発表の場などを通じて情報交流していくことや、人脈だけで仕事は動けないのである。LINUXなどと同様に組み込みソフトウェアも出荷すればよいのである。良いソフト部品はLSI同様に使われるものであると考える。売り物でなければ営業マンもおけない、誰かカリスマ技術者でもいれば別かもしれないが・・・・。最近一つの別の解が発見されたが、共通のプラットホームを導入して自分達の力のみで解決対応するという策に出た会社がそのサイクルをまわし始めたということだ。基本ソフトということを進めていきたい技術者にとっての行き場所は、こうしたプラットホームを提供する側に回ることなのかもしれない。

会社のためというよりも、逆転して社会のために基本ソフトの匠達は集う場所を変えるべきではないだろうか。グローバル化を推進する。特許を推進する。奔流を追求する。いずれも日常のことなのである。掲げている目標には違いが見当たらないのだ。そうしてみると何が違うのかは、いまだに良くわからないのだが、やっているということを各人が認識しているという点は違うのかもしれない。他人事という感覚は、ここにはない。

VOL12 2000年入梅 2000/06/08

初夏を思わせる日差しの中、入梅が宣言されそうである。昨年のヘッドハント騒動からはや一年が経過した。渦中で相談を差し上げた方の訃報が届いた。読み返してみても当時のことは鮮明に思い返すことができる。辛口のコメントをいただく方ではあったが、それだけ親身に話を聞いていただくことができたとおもった。ご恩を返すことは、「継続は力なり」ということであるに違いなく、元気に快活に過ごしていこうと再度誓うしだいでもある。

最近のLINUXの世界は大きく広がりを見せている。クローズな世界での暮らしに懲りた人々や、オフコンなどの美味しい仕事にあぶれた人たちが手に業を身につけて切磋琢磨しているようにも見える姿は頼もしくもあり健康的にみえる。要求されるサービスの速度や機能は既に達成されていてそれを構築するための方法論にのみ終始することが可能になっている。こうした状況でSOHOな暮らしをはじめてネット起業する人たちも多いようだ。こうした要求に応えていくのがSEであるならば100万人のSEを唱えてきた業界から、ムックな資料のみでサーバーを立ち上げてサービスをしていく姿が続いてくるホームサーバーな世界なのであろうか。ムック本を読み漁る高校生SEが会社のサーバーを更新したりしている時代なのだ。新聞や就職情報誌などで華やかに脚光を浴びているSEという姿は既に変容しているのではないだろうか。

セキュリティをオープンソースな中に構築していく、地道にセキュリティホールをつぶしていくことが、やがてムック本として集大成された情報をさらっと読みふけって実現してしまう若い力でコストダウン実践されてしまう・・・。そんなコンビニエンスな時代なのかもしれない。

エンベデッドな世界は、やはりオープンソースな世界なのだろうか。各社毎にソースアーカイブを構築して自社のアーキテクチャを構築しておられるようにも見受けられる。最近流行りのブラウザ組み込みやかっての赤外線からブルーテュースまでも含めて自由な部品を構築しつつ無線携帯端末としての基本性能をギャランティしているというのが、その姿なのであろう。無論ITRONの時代でもあり、各社でこうしたOSも含めたモジュール管理が出来ていると考えたりしている。まだコストから逼迫するリソース不足を味つけする巨匠達が仕上げのバランスをみつつしているのだろうか。最近はcdmaとPDCを一体化するどっちつかずではなく国際ローミングという端末までも簡単に出てくる時代になっている。大御所はさすがである。値段をさておけば、こうした端末を短期的に開発が完了してしまうのは並々ならぬ物がある。コンビニエンスな環境とするには、きっと求心力のあるプロジェクトや組織があって達成しているに違いない。

あるメーカーは80名ほどのソフトウェア技術者の体制で8機種をこなしていると聞く。たしかにPHSもPDCもCDMAもあらゆる機種開発がなされている。我が社も200名弱の技術者の体制でcdmaの基盤技術開発を進めている。またあるメーカーは社員のみで開発しているともきく。このメーカーではcdmaしか開発していないのだが、貴重な人材は出産退職するとしても活躍できるような配慮がされているそうだ。

開発量をこなしていくために必要な人材のボリュームはソフトウェアのベースとなるものが構築されている、あるいは提供されているという形態の場合には、結構理想的に機能しているのではないかと考えたりもする今日この頃である。

コミュニケーション能力を高めて相互の力を発揮できるようにイントラインフラや人事考査などでの語学力などに重きをおくことで、国際分業して解決できつつあるのではないだろうか。

訃報が届く中で、うまく機能している顧客のかたの支援をしている。相談に符合するような内容が閃き回答と対策ファイルを作成して送付した。確認をとるべく電話をしたところ、「お帰りがけの所を申し訳ありません。」と応対され「いえ、確認をしてから帰宅するつもりなので結果を教えていただきたいので連絡をいただければ・・・」と返した。聞けば同僚も同様の経験をしているらしく11時過ぎに電話をとったとき「こんな夜中に申し訳ありません」と言われたそうだ。こうした状況が夜の7時30の電話からも周囲の風景が思い浮かび健全な開発の姿を垣間見たような気がしている。訃報の重苦しい気持ちをやわらげてくれた気がする。

VOL11 梅雨目前 発行2000/06/04

爽やかな季節に別れを告げて、初夏のような日と曇った雨の日が始まった。まもなく梅雨入りも宣言されるだろう。

仕事は昨年末から続いていてじめっとした感のある仕事にキリがついて、爽やかな状況に転じている。初芝通信の便りも時折届き、今年に入ってからは初芝魂への回顧が始まった印象ですとの朗報を寄せてくれた。ずるずるとした印象の仕事の進め方からきっぱりとした仕事の進め方に転ずるには大きなインパクトもあるだろう。

メリハリの利いた仕事の進め方は、社会貢献という公器の考え方にたてば必要不可欠であるに違いない。初芝時代に外部から指摘された社内通信インフラの整備の遅れはハードウェア的には達成したはずであるが、まだまだ心の事業部制をしいている限りには総合力を生かせるのはお召し列車の仕事のみになってしまうのではないだろうか。

初芝を飛び出して気がついた大きな点は、自分達の拠り所となる技術力の見定めをせずに日々を過ごしている人が多いように思うし、そうした拠り所となる技術の重要性についての認識が甘いのではないだろうかという点である。心の事業部制の壁は、自分自身の技術力を卑下したりすることで起きているのではないのだろうか。

インフラや会社の仕組みは用意できているのだから心のコンテンツをオープンにしていく事で解決を見るのではないかと内心期待している。業界を牽引していく初芝通信の技術者が気概を持たずに仕事を進めていて良いはずがないのである。そうした会社こそが、私の標榜する次世代通信技術の受け皿になってほしい会社なのである。

デュアルマイコンが携帯でも当たり前になろうとしている。こうしたデュアルな環境でのOS制御技術や言語処理の技術などを抜きにしては語れない。一万人近い社員を擁して多額な開発投資を共栄会社という形で使うにせよ、自らが求める技術像があればもっと有意義に使えるはずだと考えてしまうのだ。

自分達の技術で暮らしている現在の会社では、共栄会社という考えは当てはまらない。少なくともソフトウェアにしてもRFやベースバンドの技術は自分達で賄うのである。ベースとなる技術に立脚して整理していくことで徒労のない開発が出来ているのだとおもう。誰かが良く使う台詞だが、「三段の将棋は初段が三人いても勝てない」のである。皆が同じ方向で初段をとっても意味がない。それぞれの分野でスペシャリストを目指すべきなのである。

さあ、私もメリハリの利いたサポートをはじめよう。お客様からの支援要請に対して自分の専門分野を持たずに支援などできるものではない。