VOL12.5 基本ソフト開発の方程式 発行2000/6/14

素直な梅雨空は、ひとしきり雨が続いている。エルニーニョなど、どこ吹く風で本当に日本らしい天候を楽しませてくれる。春から初夏にかけては、5月病の社員などのケアなのかいろいろなイベントを駆使してモチベーションの向上を図るのはどこの会社も同様のようだ。日常の疲弊した仕事の中で技術発表などのモチベーションを続けることが人事考課の賜物であるにしても気分転換の範疇でこなすのも良策であろう。人脈を広げるのに活用するのもまた良いことだろう。

大会社には豊富で優秀な人材が多い、しかし実際に活躍されている例は少ないようだ、人材不足が先に立ち、そうした優秀な人材を教育しあるいは実践させ仕事の中で教育サイクルをまわしていくことがなくなり、安直なあるいは効果的な解決策としてソフトハウスの導入に走ってしまっているように映る。こうした大会社でも不景気の荒波は打ち寄せ、ソフトハウスの導入という至極普通の取り組みすら出来なくなった会社が、うみの苦しみを越えて不死鳥の如くよみがえってきた。この会社では、このことが会社の仕組みを刷新させたように見える。また、相変わらず底知れぬ人材のダイヤモンド原石の上に砂利道をしいて相も変らぬ道路工事を続けているような会社もある。予算がつくので仕事をする。仕事をしないと予算がつかない。人材を確保しないと戦争がこわい。だから予算を計上する。こんな悪循環がいつまでも回るわけではなかった。実際淘汰されるものだ。

原石の磨き方を知らないままに砂利道の中に迷い込んでいる会社も多いのだろう。贅沢なものだ。すばらしい原石もなんどもほっくり返すような工事をしていたのでは硬いダイヤもいつしかヒビがはいり小さくなり砂になってしまう。毎年新人が入るから気にしないのだという人もいるだろう。外から見ているとそんな光景に見えてしまう会社がそこここにある。組合の問題もあるのだろうが、技術者の生活とは残業時間で計れるものではないのではないか。諦めにもにた、そんな雰囲気を組合は察知しているのだろうか。組合の委員長自らがそうした仕事にどっぷりと漬かっているのでは当然の結果かもしれないが。

どの会社もソフトウェア技術者の拡充をいわれている。新社屋を建てて鳴り物入りで推進されている会社もあるし地道に技術者を募っている会社もある。組織を作るのが好きな会社では毎年事業部の名前や会社の名前を変えたりして麻痺している会社もある。麻痺した感覚では、組織の位置づけも毎年の名称変更と同じように捉えている会社もあるのだろう。実体と組織の名前は乖離していることが多いようだ。ソフトウェア技術者の育成確保のために専門組織の別会社を作るのも常套策である。効果的に解決するにはソフトハウスとのジョイントが一番ですという会社もある。確かにそうであるかもしれない。ソフトハウスという観点で工数販売を目標にしていないのであれば、よいのだろうが基本ソフト技術というものよりも仕事をこなすという観点を増幅してしまいがちなケースに遭遇することが多い。

ソフトウェア開発という仕事を冷静に見つめて、プロセス改善などの手立てを始めている会社などは救いがあるといえるのだろう。そうした活動の本質を理解している技術者の育成が大きな課題であり、むしろ入社した社員での宗教教育にも似た段階でスタンプを押すことが必要なのであろう。ここで成功すれば効果は10年から20年はキープできるものだ。失敗した場合には5年とたたずに去っていく技術屋となりえる。10年たって出ていく技術屋という場合には、スタンプを押した側に問題があるのではないだろうか。それでも何もしない会社も多く先進的な会社には、まだ救いが残されている。

ソフトウェアの技術屋ですと言われると言語処理の知識・リアルタイム制御・マンマシン・プロトコル制御さまざまな範囲の仕事の技術屋全般を指し示すことになる。小さく分解したものを作成するのがプログラマーであり、こうした分解したもの(モジュール)の更なる全体構造が示せる段階が、システムエンジニアであろう。役割分担を明確にして楽しく仕事をしている会社もあるようだ。しかし何よりもお客様に向けた製品化ストーリーや技術のロードマップを正しく示しそれに向かって進んでいくことが見せられなければ、仕組み自体が絵空事になってしまう。在りたい会社の仕組みと在りたい自分をマッピングできればそこに向かって自分も一緒に進んでいくことが出来るのだろう。「最新鋭の技術に手をつけられるが、その選択は自分達ではなく、ともかく忙しくて追い立てられるように仕事を進めているんだ」というのでは楽しい仕事ではないといえるのではないか。

自分達で切り開いていくという仕事は,マイコン黎明期でもなければ、なくなってしまったのだろうか。技術の革新のなかでそんなことはありえない。ただしそうした会社としてもつべき余裕までもつぶして仕事の取捨選択もできぬままに百貨店経営を進めていくことに未来を映し出すことが出来ないのではないかと危惧するのである。25年前のマイコン黎明期に、ソフトウェア課という組織を作成した先進の恐るべき会社があった。まだICEもないご姿勢でアセンブラで開発するなかで家電系の会社としてのこの先進さには目をみはるものがあった。こうした会社での仕事は楽しいに違いない。

取り組みが早すぎるという声がこの会社には、その後たびたび訪れたようだが、渦中で進めている間の技術者は幸せであっただろう。追いつけ追い越せと電々ファミリーへの猛追を行い追いついたときに在りたい自分在りたい会社というものを考えるべきだったのだろう。いま1000名を越えるソフト開発技術者を募り通信の世紀を越えようとしている。こうしたバベルの塔にもにた状況に陥りつつも実際にももしかしたら、バベルの塔が構築されるかもしれない様にはさらに畏敬の念をいだかざるをえない。ヘドロを凍らせつつ埋め立てた関西空港のようなさまには、WCDMAという見えざる敵に果敢にブートストラップ大佐の如く立ち向かっているのかも知れない。

先進の会社として四半世紀前にソフトウェア課を興した課長と、1000名を越える通信ソフト開発体制を作ろうとしている社長の二人を知っているものとしては、本来であれば隆盛についての祝辞を述べたいとおもうのだが、残念な気がしてならない。

本来であれば、ソフトウェア事業部として構築していくことで進められるようにも思うのだがLinuxのようなあるいはDOS/Vのような仕事の進め方はありえないのだろうか。量産とシステム対応という両極のものが、LINUXでSOHOな暮らしをしている人たちは実現できているように思えてきている。こうしたプラットホームといことを基本ソフトとして進められるのではないかと考えはじめたのだがいかがなものであろうか。何かそうした未来を提示するなかで、現在の状況からのマイグレーションの道を進めていくことが必要なのだろう。

単に奇麗事を並べて、技術発表の場などを通じて情報交流していくことや、人脈だけで仕事は動けないのである。LINUXなどと同様に組み込みソフトウェアも出荷すればよいのである。良いソフト部品はLSI同様に使われるものであると考える。売り物でなければ営業マンもおけない、誰かカリスマ技術者でもいれば別かもしれないが・・・・。最近一つの別の解が発見されたが、共通のプラットホームを導入して自分達の力のみで解決対応するという策に出た会社がそのサイクルをまわし始めたということだ。基本ソフトということを進めていきたい技術者にとっての行き場所は、こうしたプラットホームを提供する側に回ることなのかもしれない。

会社のためというよりも、逆転して社会のために基本ソフトの匠達は集う場所を変えるべきではないだろうか。グローバル化を推進する。特許を推進する。奔流を追求する。いずれも日常のことなのである。掲げている目標には違いが見当たらないのだ。そうしてみると何が違うのかは、いまだに良くわからないのだが、やっているということを各人が認識しているという点は違うのかもしれない。他人事という感覚は、ここにはない。

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