業界独り言 VOL1 99/11

秋から、すぐそこの冬へ 寒くなってまいりました。

最近の組み込み業界では、技術の空洞化が著しい。そういったことがメーカーを離れて良くわかってきた。溜池テレグラムの威光もあって、W-CDMAはきっと離陸するのだろう。実際設計する人々の顔が見えないメーカーが増えているような気がする。不満を持ちやりたいことを掲げてやらせてくれる会社に意気を感じて転職するのも良いだろう。実際やりたい事が終わるまでは会社にいられるというような会社方針を打ち出している会社はあるようだ。他方、大学を出ても就職先がない。不景気だという。設計方針を誤って出したばかりの端末が、設計期間を見誤り春モデルを最近出荷開始したある会社は新製品なのに最初から1000円で、カメラ屋でディスカウントになっている。「ハードの設計は完了したがソフトの目処はたたない」

そんな風景を見つつ一生懸命やった仕事が方針の誤りで残念な結果になっているという事態なのだ。サポートをしているとメーカーの出来や風土などもよくわかる。大学で予備校の先生を呼んで補習をしている大学があるそうな。大学がそうならば、会社もおなじなのだろう。デジタルの端末を開発して結果として出てくるアナログの音の評価の支援がある。実際にイヤホン端子から取り出して録音したWAVファイルが添付されて解析してほしいという。凄い時代だ。こうした添付ファイルが処理できる人の手に渡って解析されて対策が打たれていく。時間を超える経度による時差が活躍している。小さな時差では、打ち合わせでひいきのチームの会話に終始して優勝できなくて残念でしたねなどという会話が必要になる。移動する新幹線の時間を活用できるのだろうか。

会社を辞めてみると、いろいろな立場の人と忌憚無い会話をできたりする時間が出来る。会社という枠をはずしてみると素敵な人が多いことに気がつく。会社の仕組みがカースト制のように思えてみたりする。カースト制の歴史をもつ人達と暮らしてフラットな組織で自由に活動していくのが当たり前になったことから、18歳で中国から渡米して25歳の今上級技術者として会社の製品の先端を牽引している人たちがいる。私の上司も私よりも若い。事業部長も同様だ。だが、気持ちでは負けていない。若いが年寄臭い日常をしいてしまうのは会社組織の性ではないだろうか。

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Cコンパイラ開発顛末記 小窓次郎

はじめに
C3POとは、6809用に開発されたMicroCをベースにして日立のHD6301/6303にカスタマイズとチューニングを行った組み込み目的のCコンパイラです。現在DOSで動作するバイナリ-とソースコードとマニュアルなどがあります。開発の機会を与えてくださった、前職場の上司ならびに、快く端末開発の過程で付き合ってくれた仲間達、また没頭を許してくれた細君に感謝いたします。このコンパイラは、現在の状況で使う価値があるかといえば・・・?ということだと思います。まあ、まだチップとして630Xシリーズがあればフリーのコンパイラとしての価値があるのかもしれません。注意を加えるならば、このコンパイラはアセンブラソースコードを吐くタイプのコンパイラであってクロスアセンブラが必要になります。当時のクロスアセンブラの文法には準じたコードが出ますし、またその部分もコードが独立していますのでカスタマイズは可能です。ソースコードですのでご参照いただければ明白です。

開発されたのは、1984年12月が最初の版のリリースでした。1988年頃までは実務と趣味でメンテナンスをしてきたと思います。

アーカイブ(LZH形式です)

目的と開発の背景
このコンパイラの開発目的は次のようなものでした

  • 組み込み開発で適用可能なコンパイラが欲しかった
  • C言語を勉強する必要があった
  • アセンブラでのプログラミングノウハウをコンパイラにカプセル化したかった

今ならば、GCCも有りますし、昨今の溢れかえったFlashサイズなどからこだわりはなくなってしまったようですが、開発当時(1984)の組み込み開発事情を考えていただければまともに使えるコンパイラとは当時の8080用に開発されたLSI-Cだったかと思います。無論6809用であればMicroCはエレガントなコードを生成してくれました。コンピュータとしてのアーキテクチャが綺麗だったこともあります。しかし、私の暮らしていた組み込みの世界では、アーキテクチャよりも消費電力や多機能が搭載されていたマイクロコントローラという概念でかのモトローラと特許係争にまで陥ったほどのベストセラーになった日立の8ビットコントローラが厳然としたデファクトとしてありました。このCPUで16kBを越す大規模なソフトウェア開発の効率を上げたいというのが当時の背景でありました。

アセンブラベースで8kBぐらいの容量でメモリーダイヤル搭載の自動車電話を開発していた時代なのです。当時のアセンブラベースでICEと睨めっこしつつの開発というのは、現在のCベースで10MBを越すアプリケーション開発をしている状況から考えると稚拙に思われるかもしれません。せいぜい開発人数も3人で半年位かけて開発しているわけで8KBのコードですとアセンブラソースコードで9000行クラスでしょう。そうなると開発規模は、一人あたりの生産性は300ライン/月くらいだといわれていた時代でもあります。いまは、ベースとなるソースコードがCになって同様の数字なのでしょうか。アセンブラで記述するということによる問題点は相当の熟練を要するというのが背景にあります。スタック操作を誤れば簡単に暴走できますし、そうしたことからリアルタイムトレースといったツールや方法の必要論がまかり通っていました。

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サンディエゴ通信 VOL1 日光までサンディエゴメンバーと行きました。

サンディエゴから戻ってきて少し日本の活動を始めました。日本のお客様を回りつつまた、お客様をお呼びしてのトレーニングという集合形式でのイベントをサンディエゴのメンバーを交えて進めました。来日したメンバーの資料準備や環境セットアップなどを行い三日間のセッションでの質疑・進行・補足通訳などを行いました。サンディエゴの仲間であるインド人のスーディプトさんとカウムディさんとをガイドして、週末は日光に旅行をしてきました。 恵比寿の駅で彼らをピックアップして、浅草から特急でと考えましたがあいにく当日では特急券は売り切れでした。快速にのることにしてあまった時間で浅草駅構内でモーニングサービスをとりました。玉子とサラダとトーストとドリンクという組み合わせは日本ではポピュラーなものですが、彼らにとってははじめての体験だったようです。トーストや玉子にチリソースを付けたりするのは、やはり辛いものがベースに必要なようでした。 インドの方でしたの快速電車で車窓から日本の収穫を終えた田園風景を望みつつの旅は満足そうでした。東武快速は6両編成で日光まで行くのはそのうち二両で、下今市で切り離されます。残りは、鬼怒川をさらに北上します。下今市からは、二駅しかないので、立っていてもすぐつきました。 帰りの特急のチケットは購入できましたが、さすがにAMEXは使えなかったようです。しっかりと領収証をもらっていました。バスの停留所は溢れていたので、天気もよいし彼らにとっては町の風景そのものも旅ですから歩いて日光山を目指しました。 商店街にそってのハイキングは中々彼らの興味をそそるものだったようです。途中の銀行のキャッシュディスペンサにトライしましたがCirrus対応のものはありませんでした。まだまだ日本はカードの国ではないようです。 一汗かくとようやく神橋に到着です。あいにく神橋自体は工事中でした。大谷川を見下ろしつつ写真にふけっていました。まだ土曜日の昼前だったので小学生の下校風景に遭遇しました。まだ日本では土曜日に学校があるのです。 日光山に入ると入り口には、おおきな杉が林立していますが、カリフォルニアでは100メートルにも及ぶ木があるそうで次回サンディエゴにいったおりには郊外へのハイキングにトライしたくなりました。東照宮にある日本庭園では鯉をみたり隣接する宝物館を見学しました。神様が描かれている掛け軸などではそれぞれの神仏像について教えてもらいました・・・。仏像の源流は天竺ですから確かにその通りでした。 東照宮の主要なところには、1200円の拝観料が必要になるようでしたので、雰囲気を味わいつつ散歩にとどめました。ごく普通の御茶屋さんで昼飯にしました。うどんとそばの選択から鳥うどんとなめこうどん、そして私はざる蕎麦を選択しました。ざる蕎麦には興味深げでしたが、あたたかいほうが好みのようで汁まで残さずに食していました。 デザートにはアイスクリームという要望でしたが、日本にしかない特殊なアイスクリームである「雪見だいふく」へのトライを進めたところ大変気に入ったようでした。rice cakeにくるまれたice creamからbean jamのノーマルなバージョンは考え及ばないようでした。 バス停まできて中禅寺湖行きの時刻を確かめたところしばらくない様子でした。歩いて次のバス停まで行こうとしたところ遅れていたバスが到着しました。満員のバスでしたが日光山に入ろうとする人がかなり降りて我々は皆座れました。いろは坂を渋滞で進みましたが風景が良いので二人ともブーイングは出ずゆっくりと旅を楽しみました。 中禅寺湖までくると帰りの渋滞の時間を考えるとあまり時間がなく、茶ノ木平までのロープウェイにトライして空中からの紅葉見物にしました。3時を少しまわったところでしたが残った日差しがすこしあり紅葉を堪能できました。茶ノ木平からは中禅寺湖を一望してロープウェイで往復してもどりました。華厳の滝は、先日の雨の影響もあり、迫力在る量でした。帰りのバスは始発でしたのでゆっくり座れて夕映えのいろは坂を見ながら帰途につけました。残念ながら予約した特急の時刻には間に合いませんでした。bean jamの入っている酒饅頭を買い求めて、ほおばりながら日光駅でさらに特急券の払い戻しに成功してせんべいを買い求めて快速電車で賑やかに話をしながら帰ってきました。日常的な会話を楽しみつつ自分の単語能力の不足を電子辞書で補いつつ勉強になりました。 夕食は、しゃぶしゃぶが食べたいという彼らの希望にそって私の携帯のインターネットアクセスできるWAPブラウザで検索した結果渋谷のスエヒロに向かいました。地図付きで無事到着してアルコール抜きで3人で二皿平らげてしまいました。最後にいれたきしめんも、ランチのうどんの仲間だということで、綺麗に平らげてしまいました。ここではさすがにAMEXのご利益があったのでご馳走になってしまいました。楽しい食事で締めくくり、山の手線で帰り恵比寿の駅で別れました。 彼らは無事、日曜日のフライトで帰国しました。これから何度か相互に訪れる仲間との、生活のピンポンを楽しめそうです。